後世の影響と評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 03:52 UTC 版)
「アントニオ・ヴィヴァルディ」の記事における「後世の影響と評価」の解説
ヴィヴァルディは作曲家としてもヴァイオリンのヴィルトゥオーソとしても、同時代において高い評価を受け、多大な収入を得たこともあった。ルイ=クロード・ダカンも著作の中で「アルカンジェロ・コレッリに匹敵するのはヴィヴァルディの『四季』のみ」と書いている。ところが18世紀末から19世紀末にかけて、ヴィヴァルディはイタリアでは全く顧みられず忘れ去られた。フランスでは『四季』、特に『春』は人気曲としての地位を保ち、1775年にジャン・ジャック・ルソーによってフルート独奏曲に編曲されたりもしたが、それもフランス革命で終わりを告げられた。19世紀末になり、ヨハン・ニコラウス・フォルケルらによってバッハが再評価されるとその生涯が調査され、その作品にヴィヴァルディの楽曲を編曲した箇所が複数発見された。 20世紀に入り、アルノルト・シェーリングやマルク・パンシェルルがヴィヴァルディの器楽曲に歴史的意味を見出し、1926年と1930年にはトリノの国立図書館が未発見の膨大なコレクションを入手した。それらはアルフレード・カゼッラやジャン・フランチェスコ・マリピエロらの尽力で整理、校訂が行われ、1939年9月にシエナで開催された「ヴィヴァルディ週間」で〈グローリア〉(RV 589)、〈スターバト・マーテル〉(RV 621)などがカゼッラの指揮で復活演奏され、聴衆の関心も高まることとなった。第二次大戦を経た1949年にリコルディ社が『四季』の楽譜を出版、1951年に録音されたカール・ミュンヒンガー指揮シュトゥットガルト室内管弦楽団のレコードがデッカ社から発売されベストセラーとなり、ヴィヴァルディの作品は完全に復興を果たした。 パンシェルル以後の研究者としては、ヴィヴァルディの研究で教授資格を取得したオーストリアの音楽学者ワルター・コルネーダー、リオム番号の生みの親、デンマークの音楽学者ペーター・リオム、そして「マンチェスター・ソナタ」の発見者であり、『ニューグローヴ世界音楽大事典』のヴィヴァルディの項目を執筆し、多数の録音媒体の解説書に文章が採用されているイギリスの音楽学者で作曲家のマイケル・トールボットが挙げられる。 イ・ムジチ合奏団は『四季』を1955年に初めて録音し、レコードはこれまでに2500万枚以上という驚異的な売り上げを記録している。 21世紀はNAÏVE(ナイーヴ)が、精力的にヴィヴァルディの作品をオペラから器楽曲まで体系的に、時代楽器のみで録音している。 小惑星(4330) Vivaldiはヴィヴァルディの名前にちなんで命名された。
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