後世の展開
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/31 03:39 UTC 版)
2~3世紀ごろ、インド大乗仏教の理論的大成者である龍樹(ナーガールジュナ/Nāgārjuna)は、『大智度論』および『十住毘婆沙論』において『般舟三昧経』の所説について言及している。 5世紀初頭の中国東晋時代、中国浄土教の先駆者である廬山の慧遠は、『般舟三昧経』にもとづく空観の完成を目指して観想念仏の行を実践して、念仏結社である白蓮社の祖と仰がれた。 6世紀の中国随時代、天台宗を開いた智顗は、『摩訶止観』において、『般舟三昧経』にもとづく精神統一の行を説いた。この行法は「常行三昧(じょうぎょうざんまい)」とよばれ、後世の浄土教や禅宗にも影響を与えた。 7世紀の中国唐時代、中国浄土教を確立した善導は、『般舟讃』において般舟三昧の行道の法を記している。 12世紀、日本において浄土宗を開いた法然は、『選択本願念仏集』において、『般舟三昧経』から、「我が国に来生せんと欲せん者は、常に我が名を念じて休息せしむること莫れ。」の句を引用し、これを「選択我名」と呼んだ。 13世紀、日本において浄土真宗を開いた親鸞は、『教行信証』において『般舟三昧経』から「余道に事うることを得ざれ、天を拝することを得ざれ、鬼神を祠ることを得ざれ、吉良日を視ることを得ざれ。」の句を引用し、「神祇不拝」を説いた。
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