後世の描写
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/24 05:28 UTC 版)
重能が重忠の頼朝への帰順後も平家方にあった最大の理由は、重能は源氏と婚姻関係などのつながりを持たず、明確な主従関係の成立も大蔵合戦から平治の乱までの数年間に過ぎず、平家との主従関係の方が遙かに長く強いものであったこと、当時の情勢から平家方の逆転が見込めるとの判断から自らの意思で積極的に加担していたと考えられている。だが、「延慶本」「源平盛衰記」を除いた『平家物語』の諸本では重能が平家方に起請文を迫られたり、押籠られたり、挙句の果てには平家の都落ちの際に処刑されかけている場面まで登場する。これは時代が下って源氏(頼朝陣営)の勝利の事実と畠山重忠の頼朝への忠義ぶりが自明のものとされていく中で、重忠が当初平家に味方した理由が理解困難となっていき、その事実を説明するために父・重能が平家方の人質であったかのような解釈がされるようになったと考えられている。
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