江の島 主な観光スポット

江の島

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/16 07:38 UTC 版)

主な観光スポット

島東部

  • 日本近代動物学発祥の地記念碑(モース記念碑) - 1985年(昭和60年)4月14日設立。制作:山本正道。
    碑文『東京大学の初代動物学教授エドワード・S・モースは明治10年(1877年)7月から8月まで、ここ江の島に日本最初の臨海実験所を開きシャミセンガイなどの研究をしました』
  • 東京オリンピック記念弁財天と世界女性群像噴水池
    1964年(昭和39年)10月に湘南港竣工とオリンピック東京大会ヨット競技開催を記念して造られた。彫刻作者は藤沢市鵠沼在住の加藤顕清
    1998年(平成10年)3月に第53回国民体育大会かながわ・ゆめ国体を機に江の島北緑地再整備事業の一環の中で現在の位置に移設整備された。(完成は2000年)
  • 江の島モーターボートクラブ(E.M.C.) - 1966年(昭和41年)創業。モーターボートの保管・補修・免許教習などの業務を行う。江の島漁港に面しており、釣船の発着場もある。
  • 聖天島公園 - 聖天島は江の島東端に浮かぶ小島で、2つの岩の形が観喜天の姿に似ていることから付けられたという。1703年元禄地震の隆起によって半島になった。1960年代の埋立により海岸から離れ、小さな岩山という感じになっている。南側に小公園がある。
    千日修行中の良真が島上に弁才天の姿を見て将軍実朝に下之宮(辺津宮)建立を請願するきっかけとなった場所といわれる。南面に小さな祠があり、良真上人像が安置されている。側面の崖は島東部のみに分布する逗子層が見られ、貝化石が含まれる。
  • かながわ女性センター - 1982年11月、県立「婦人総合センター」の名で開館。1991年4月、「かながわ女性センター」に名称変更した。男女共同参画社会を推進する県域の拠点施設として設立された研修施設。隔年に催される「江の島歌舞伎」の公演会場にもなった。2015年3月31日に閉館し藤沢合同庁舎へ移転。
    敷地面積=22,245m2・建物延床面積=10,846m2の鉄筋コンクリート造3階建。ホール、会議室、宿泊室、展示コーナー、図書室を整備。
  • 江の島ヨットハーバー - 1964年東京オリンピックのヨット競技場として誕生した日本で初めての競技用ハーバー。2020年東京オリンピックではセーリング競技の会場となる。
    ヨット保管地面積=28,000m2・ヨット泊地面積=29,000m2・水面係留=96隻・陸上保管=981隻・ビジターヤード=226隻
  • 湘南港 - 1963年開港した神奈川県立の地方港湾。泊地面積=75,000m2・岸壁(2,000t級) 1バース。現在の指定管理者は株式会社湘南なぎさパーク。
    開港当初は日本高速船が江の島湘南港 - 熱海 - 伊東を結ぶ水中翼船「わかしお」を定期運航、また東海汽船が湘南港 - 大島航路「さくら丸」を就航させたが、定期航路は長続きせず1974年を最後に廃止された。2009年に伊豆大島の島内観光ツアーと合わせたチャーター運行が行われ、35年ぶりの復活となった。好評のため2010年にも3回の臨時船が運航されている。
  • センタープロムナードとサザエ島 - 1999年に整備された遊歩道と人工島状の高まり。ヨットハーバーを展望するのに良い。サザエ島周辺はタイドプールになっており、安全に磯遊びが楽しめる。
  • 江の島ヨットクラブ - 第18回東京オリンピック大会のヨット競技会場である江の島ヨットハーバー内にハーバーを管理運営するホストクラブとして発足
  • 小田急ヨットクラブ - 小田急電鉄が管理する民間マリーナ。
  • 南防波堤と海釣り広場 - 防波堤に沿った遊歩道があり、釣り人の姿が見られる海釣り広場に達する。
    • 湘南港灯台 - 通称白灯台。1964年にオリンピックのヨットレース会場に因みヨットの帆のイメージを表した灯台として整備。高さ18.2 m、光の届く範囲は8.5 海里、海上保安庁の管轄。

表参道周辺

  • 江の島アイランドスパ(えのすぱ) - 江ノ島弁天橋を渡って右手の旧二見館跡に2004年12月15日にオープンした天然温泉&スパ施設。温泉、プール、スパ施設の3部門がある。
  • 青銅の鳥居 - 延享4年(1747年)に創建され、文政4年(1821年)に改修されて現在に至る。市指定文化財(建造物)。
    ここから地元で宿道と呼ぶだらだら上りの参道になる。両側には旅館、飲食店、土産物店が軒を連ね、かつてはしつこいほどの呼び込みの声が飛び交っていたが、今は自粛している。1998年のかながわゆめ国体準備のために前年拡幅整備が行われた。
  • 堀江商店 - 江戸時代より「繪圖屋」の屋号で営業していた。文化5年(1808年)に「江嶋一望圖」という絵地図を制作している。
  • 惠比壽屋旅館 - 慶長年間創業の老舗旅館。「島に弁天、旅館は惠比壽」のキャッチコピーで知られる料理自慢の宿。
    明治期の主人は泉山という俳号を持ち、島内の俳諧仲間の指導者だった。旅館の門内と参道女坂には門人が建てた句碑が残る。
  • 井上総本舗 - 「女夫饅頭」「貝もなか」で知られる和菓子店
  • 江ノ島郵便局 - 昭和初期に風景印を作り、宿泊客に人気だった。明治5年(1872年東京府下に郵便取扱所を開設するにあたり設置した黒塗柱書状箱を復元したポストが入口脇に立っている。
  • 紀乃国屋本店 - 「女夫饅頭」「江の島もなか」で知られる老舗和菓子店
  • ハルミ食堂 - 江ノ島丼を創始した飲食店。
  • 岩本楼本館 - 金亀山与願寺最大の宿坊で、「岩本坊」「岩本院」または「江嶋寺」とも呼ばれていた。明治以来一般旅館となったが、江の島を代表する存在である。
    館内には古文書や秘蔵の品々を多彩に展示する岩本楼資料館を設け、ステンドグラスが美しい王朝風岩本楼ローマ風呂は国の登録有形文化財である。
    歌舞伎「白浪五人男」の一人弁天小僧菊之助は、岩本院の稚児上がりという設定になっている。岩本院が江戸市民に周知されていたからと推定される。
  • 渡邊本店 - 貝細工の老舗。片瀬に製造部門の渡辺貝細工がある。
  • 朱塗りの大鳥居 - 参道の突き当たり。現在の鳥居は1936年(昭和11年)10月に東京麹町三番町の林やす子・林敏子が寄進したもの。
  • 長堀検校寄進の狛犬 - 朱塗りの大鳥居の脇に設置された大型の狛犬。1865年(慶応元年)に杉山検校の後輩に当たる長堀検校らが寄進したもの。
  • 男坂 - 朱塗りの大鳥居をくぐって正面の幅広い階段が江島神社の表参道である。瑞心門の先で右折し、福石の所で左折して辺津宮に到る。相当急なので「男坂」と呼ぶ。
  • 瑞心門 - 龍宮城を模して1986年(昭和61年)造営された神門で、その両袖には鮮やかな色彩にて唐獅子画や牡丹の天井画が描かれている。
    • 弁財天像 - 2002年(平成14年)江島神社鎮座1450年を記念して建てられた。
    • 百度供養碑 - 宝暦11年(1761年)から36年間で百度詣りが結願したことの記念に寛政8年(1796年)江戸下谷住時田三天明昭が建立。弁才天種子である「सु(ソ)」と「ゆくとしや百度詣でし豆の数」
    • 永代祭礼講碑 - 1898年(明治31年)藤沢のほか腰越津村俣野村六会村明治村深沢村長尾村ほかの永代祭礼講の講中の名が刻まれている。
  • 福石 - 杉山和一が参篭して、結願の日の帰途に、この石に躓き倒れ、松葉の入っている竹の管を拾って、しかもこの石の上に弁財天女の影向を拝み、管鍼(くたばり)の術を授けられたと伝える石。彼はこの術で、時の将軍綱吉の持病を癒して、遂に総検校の職を得たといわれている。それからこの石の傍で物を拾えば必ず福運を授かるということから福石と名付けられた。
    福石の脇には現在江の島弁才天道標(市指定文化財)の一つが立っている。これはもともとここにあったものではなく、島外から移設されたと思われる。
  • 女坂 - 江の島駐在所脇から右へバイクの走れる簡易舗装の道を進み、江の島市民の家の先で細い石段を上る。
  • 裏参道(裏道) - 上記バイクの走れる簡易舗装の道は、東山の北西側の中腹をほぼ水平に曲がりくねりながら山二つの中村屋本店裏手に達する。途中、木の間越しに見る湘南海岸公園や富士・丹沢方面の展望のほか、照葉樹林の観察にも向いている。西山(江の島二丁目)の住民にとっては重要な生活道路である。
  • 江の島市民の家 - 1884年(明治17年)に開設され、1961年(昭和36年)に閉校になった藤沢市立片瀬小学校江ノ島分校跡の施設を活用して1978年(昭和53年)に開設された市民活動の拠点。
    分校には1 - 4年生が通学し、5年生になると本校に通ったという。本校までは子供の足で1時間近くかかり、長い桟橋を渡って行くのだから、毎日の通学は大変だった。閉校の理由は江の島大橋の完成により、定期バスが通うようになったことと、人口減が予想されたことによると思われる。因みに島の人口は1955年(昭和30年)の1324人をピークに減少を続け、現在[いつ?]はピーク時の3分の1程度であり、これは江戸時代の人口より少ない。
  • 杉山検校の墓 - 市民の家の先を右手に降った「西浦霊園墓地」にある笠塔婆型墓石。市指定史跡。
    関東総検校杉山和一は、元禄7年5月18日(1694年6月10日))に病臥し、6月26日に没した。享年85。遺言により命日は病臥した5月18日となっている。杉山検校の墓は墨田区立川にある真言宗豊山派の弥勒寺にもあり、東京都指定旧跡となっている。

江島神社辺津宮周辺

  • 江の島エスカー - 1959年(昭和34年)4月に江ノ島鎌倉観光によって建設された日本初の野外エスカレータ。高低差46メートルを4連で結ぶ。全長106メートル。1時間に8,000人を運ぶ能力を有した。有料。上りのみで下りはない。1-2連、3連、4連の3系統に分かれ所要時間は全てを乗った場合で約4分。通し切符で乗れるが、それぞれ別に切符を買うこともできる。江の島サムエル・コッキング苑、江の島展望灯台の入場券との割引セット券もある。
    • 1-2連 - 朱塗りの大鳥居から乗り継いで辺津宮に到る。
    • 3連 - 辺津宮と中津宮を結ぶ。
    • 4連 - 中津宮と江の島サムエル・コッキング苑を結ぶ。
    2001年に1-2連、2003年に3-4連がリニューアルされた。
  • 蟇石 - 建仁2年(1202年)修行中の慈悲上人の邪魔をしたガマガエルを法力で石にしたと伝えられる。
  • 最勝銘碑 - 1884年(明治17年)東京大学でインド哲学を教えた曹洞宗の僧の原担山の撰。
  • 無熱池 - 龍女が棲んでいたと伝えられる。
  • 鋏塚 - 大日本花道協会が1964年(昭和39年)6月に協会創立35周年を記念して花鋏の供養のために建てた。題字は飯田九一の揮毫で花の字を鋏型にデザインしたもの。1989年(平成元年)11月整備され、説明のための別碑が建てられた。
  • 児玉神社 - 日露戦争で活躍した明治時代軍人児玉源太郎を祀る神社。1918年(大正7年)創建。境内には日露戦争に関わるいくつかのモニュメントが見られる。児玉源太郎は1898年2月26日 - 1906年4月11日台湾総督を務めていたため、台湾との関係も深い。
  • 江島神社辺津宮 - 建永元年(1206年)に良真上人の請願により、源実朝 が田寸津比売命(たぎつひめのみこと)を勧進して建てたもので、当初は「下之宮」と呼ばれていた。
    • 嗽水盥 - 江戸麻布坂下町の藤屋半七が寛延2年(1749年)に奉納したもの。正面中央に三つ巴紋が陽刻される。
    • 本殿 - 拝殿と幣殿から成る。天文18年(1549年)と延宝3年(1675年)および元禄3年(1690年)に再興・改修の記録があり、現在の社殿は1976年(昭和51年)に新築されたもの。
    かつては護摩堂、三重の塔も建てられていた。
    • 奉安殿(弁天堂) - 旧神楽殿跡に1970年(昭和45年)建てられた法隆寺夢殿を模した八角の堂。江島神社の宝物を収蔵、展示。弁才天の拝殿も兼ねる。有料。堂内撮影禁止。
      • 八臂弁財天 - 鎌倉時代初期の作。源頼朝が鎌倉に幕府を開くとき、奥州の藤原秀衡調伏祈願のため、文覚上人に命じて造らせたと伝えられる。「木造弁才天坐像」として国の重要文化財(彫刻)に指定されている。
      • 妙音弁財天 - 「裸弁天」ともいわれ、琵琶を抱え、女性の象徴を備えた全裸体の半跏像。
      • 江島縁起絵巻 - 5巻。金界天地金箔切砂子紙本。延寶年間、狩野派絵師の筆。
      • 江島縁起 - 朱界紙本、永承2年(1047年7月26日延暦寺伝燈大法師位皇慶の作。享禄4年(1531年7月28日、肥後住人清鏡乗海筆 藤沢市指定文化財(書跡)。
      • 得瑞島上宮縁起 - 墨界紙本。
      • 浮彫弁才天及び脇侍眷属一具 - 通称護摩之灰弁才天。天長7年(830年7月7日弘法大師が岩屋に参籠し、護摩修法の灰を以て作ったと伝えられる。裏に大師の手形がある。
      • 制札 - 大鷹紙。天正18年(1590年卯月豊臣秀吉が、江島寺にて軍勢等乱暴狽籍を禁制したもの。
      • 文覚上人扁額 - 石彫。長方形で金亀山とある。寿永元年(1182年))文覚上人の筆。
      • 役行者像 - 楠製、像高42cm。役小角自作と伝えられる。
      • 江島大草子 - 2巻。
      • 江島大明神勅額 - 檜製、長方形。建治元年1275年1275年9月23日9月23日、後宇多天皇の勅額であると伝えられる。
      • 八方睨亀扁額 - 享和3年(1803年)、酒井抱一筆。藤沢市指定文化財(絵画)。奥津宮拝殿の天井画。画面が劣化したためここに収蔵された。奥津宮の天井には1994年製の複製画が掲げられている。
      • 大太刀 - 銘:肥前国佐賀住河内大掾藤原正広。1口 県指定文化財(工芸品)。
    • 八坂神社 江島神社の末社。江戸時代は天王社として祀られ、弘化元年(1844年)に再建。1873年(明治6年)に「八坂神社」と改称した。祭神:建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)。社殿:銅葺、入母屋造り。2001年に改築。
    例祭は「江の島天王祭」と呼ばれ、毎年7月14日に近い日曜日に海上渡御が行われる。御神体は命(みこと)の木像。昔、対岸の腰越・小動神社(こゆるぎじんじゃ)の御神体が海に流されたとき、江の島の漁師が江島岩屋近くの海で拾い上げ、それを東浦に持っていき、真水で清めて八坂神社に祀ったのが始まりといわれる。江の島にある八坂神社、対岸の腰越・小動神社の神輿が海に入り、海上渡御を行なう。天王囃子(里神楽)を奏でながら神輿は辺津宮より参道を練り、弁天橋から海に舁ぎ入れる。祭礼は華麗を極め、1982年「かながわのまつり50選」に制定された。
    • 稲荷社秋葉社合殿 - 祭神は豊受気毘賣命と火之迦具土神。秋葉稲荷・与三郎稲荷・漁護稲荷など、江の島随所にあった小祀を合祀したもの。
    • 銭洗白龍王 辺津宮の脇にある湧水。水源には黄金の小判が隠されているとの言い伝えから、黄金浄水とも呼ばれている。この水で銭を洗うとご利益ありという風習は、近年のものと思われる。
    • 江島霊迹建寺の碑 - 江島縁起によれば、元久元年(1204年)にに渡った源実朝の使節鶴岡八幡宮の良真が、慶仁禅師より江の島に因んで授けられたと伝えられ、碑面の四辺を細線で刻画し、上方に左右から双龍形を陽刻し、大日本国江島霊迹建寺之記と篆刻されているというが、碑名は摩滅して判読不能。元禄14年(1701年)に杉山検校の門弟、島岡検校が雨よけを寄進したといわれる。
    • 沼田頼輔の歌碑 - 1961年(昭和36年)建立。沼田頼輔(1867年 - 1934年)は、『日本紋章学』を著し日本学士院賞を受賞した愛甲郡宮ヶ瀬生まれの紋章学者。
    • 菊和会記念碑 - 東京の楽器商菊屋のグループが1909年(明治42年)建立。浜千鳥模様の袋に包まれた琵琶が描かれている。
    • 震柳居四世句碑 - 1923年(大正12年)建立。震柳居九江は晩年を片瀬に住んだ俳人。

江島神社中津宮周辺

  • 花の広場 - 江島神社の宿坊が明治時代に「金亀楼」という旅館になったところ(石塔が残る)。この旅館には1902年(明治35年)に江ノ電の初乗りを狙って来訪した大学3年の寺田寅彦が宿泊した記録がある。1993年(平成5年)に全逓信労働組合の手で再建されたものの、わずか1年で閉鎖に追い込まれた。景観上問題視されていた建物も1999年(平成11年)に撤去解体されて、花の広場に生まれ変わった。展望台があり、湘南港、七里ヶ浜方面が望める。
    • 「猿田彦大神」の石碑 - 天保3年(1832年)建立。阿部石年筆。阿部石年は幕末期の藤沢宿に住んだ儒学者、書家で、墓所は鵠沼万福寺に現存。
    • 不老門再建記念碑 - 昔、中津宮の社前に竜宮城の門と同様な楼門があり、そこには「妙音弁財天像」(鎌倉時代後期から室町時代前期の作)が安置されていたと伝えられる。楼門は、長い年月の間に天災や風雨を受け、破壊された姿をさらしていたが、文久元年(1861年)相州津久井郡勝瀬村の富豪・岡部政右衛門が私費を投じて独力で再建を果たした。この碑はその時のもの。摩滅が著しく判読は困難。門はそれから間もなく、1873年(明治6年)に三重塔などと一緒に撤去された。
  • 江島神社中津宮 - 仁寿3年(853年)に円仁(慈覚大師)が龍窟(現・岩屋)に籠もり、弁才天よりお告げを受け、建てたもので、当初は「上之宮」と呼ばれていた。祭神は市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと)。天文18年(1549年)に北条氏綱の寄進により修復が加えられ、元禄2年(1689年)に再建された。1980年(昭和55年)屋根の葺替がなされたが、社殿の土台や彫刻の破損が甚しかったため1996年(平成8年)改修が進められ、基礎補修、彫刻の復元や幣殿拝殿の格天井に花鳥画を施して一層典雅な趣をもって極彩色の社殿が甦った。
    • 古帳庵夫妻の句碑 - 江戸小網町の古紙回収業古帳庵の鈴木金兵衛夫妻が日本全国の霊場に巡礼したことを記念に天保12年(1841年)建立。
    • 間宮霞軒句碑 - 間宮霞軒は本名雄太郎、岩本院の出身で永野泉山の門下。『江之嶋記』の著者。初代江ノ島郵便局長。1958年(昭和33年)建立。
    • 狛犬 - 宝暦13年(1763年)、「江戸尾立」。石工は麹町平三郎。
    • 石灯籠 - 安永6年(1777年)市村座、1782年(天明2年)中村座の寄進。附近にはそれから200年を記念して1985年(昭和60年)9月23日に尾上菊五郎が手植えしたしだれ桜が見られる。
    • 江の島歌舞伎記念碑 - 1999年、五代目尾上菊之助七代目尾上菊五郎の手形と扇面をあしらったもの。附近には1999年(平成11年)9月に開催された「江の島歌舞伎」の際、尾上菊之助が手植えしたしだれ梅が見られる。
    • 江島弁財天女上宮之碑 - 文化元年1804年)、姫路城酒井雅楽頭源忠道が建てたもの。

江の島サムエル・コッキング苑

東山頂上部一帯の旧江の島植物園をリニューアルし、2003年にオープンした藤沢市立の公園。名称を冠したサムエル・コッキングとは、1869年(明治2年)に来日し、横浜に住んだアイルランド人貿易商で、この地に別荘と庭園の造営を開始した。多くの熱帯植物を収集栽培し、本格的なボイラーを持つ大型温室やオオオニバスの栽培池を持つという画期的な施設であった。コッキングの没後も庭園は残されたと思われるが、1923年(大正12年)の関東地震によって破壊され、荒廃した。しかし、コッキングの収集した熱帯植物のいくつかは成長、繁殖を続け、現存する。そのうち4種は1971年(昭和46年)7月5日に藤沢市天然記念物に指定された。

1947年(昭和22年)4月1日に、江の島を含む鎌倉郡片瀬町藤沢市に合併し、藤沢市は江の島の観光地開発に乗り出すことになる。先ず江の島弁天橋の橋脚をコンクリートにして恒久化を図り、次いでコッキングの庭園跡地を買収して改修し、1949年(昭和24年)12月に「藤沢市立江ノ島熱帯植物園」を開設した。翌年、園の経営は江ノ島鎌倉観光に移譲され、名称も「江の島植物園」となった。1951年3月25日、江ノ島鎌倉観光が東京都世田谷区二子玉川の読売遊園(後の二子玉川園)にあった落下傘塔(戦時中は陸軍が落下傘練習塔として利用)を江の島植物園内に移築し、「読売平和塔」という展望台を兼ねた民間灯台を建設した。1959年、江の島エスカー開設を機にインドネシアスラウェシ島トラジャ族の家屋を模した「南方民俗館」が開設された。1964年、経営が藤沢市に戻ったが、その頃から入場者数は減少した。神奈川県は1985年に「湘南なぎさプラン」を策定、さらに1990年、イベント「サーフ'90」を開催し、相模湾岸各自治体の連携と県の指導による相模湾岸地域の活性化が図られた。その一環として藤沢市による江の島植物園のリニューアル工事が行われたのである。オープン1年後に発表された年間入場者数は、旧江の島植物園時代の約5倍となった。

主な施設

  • 姉妹都市・友好都市記念広場 - 苑内の各所に藤沢市と友好提携を結ぶ各都市をイメージした広場が設けられている。
    • マイアミビーチ広場 - 東洋のマイアミビーチ片瀬海岸からヨットハーバーを見渡すウッドデッキの広場。日本初のフレンチトースト専門店LONCAFEが営業している。
    • 松本広場 - 休憩室を兼ねた海鼠壁の蔵風の蕎麦打ち体験施設「松本館」がある。
    • 保寧(ポリョン)広場 - 韓国にちなんだ樹木の広場。
    • 昆明広場(春澤園) - 中国伝統建築様式の四阿(あずまや)騁碧亭(ていへきてい)と昆明碑記、孔雀のブロンズ像「吉祥永駐」がある。
    • ウィンザー広場 - 春秋のシーズンにはウィンザー市から贈られたバラ園が見事。
  • コッキング遺構
    • 温室遺構 - 遺構は温室の基礎部分、池、ボイラー室・燃料を入れた貯炭庫、貯水槽など。
    • 熱帯植物 - 1971年(昭和46年)7月5日に藤沢市天然記念物に指定された4種をはじめ、江の島植物園時代に植栽されたものも多い。
  • 江の島展望灯台 - 旧灯台「平和塔」の隣に新たに建設された江ノ島電鉄経営の観光用展望台兼民間灯台。2002年12月31日、江ノ島電鉄開業100周年記念事業のフィナーレとして点灯式において初点灯され、2003年1月にオープン後、旧灯台は解体された。
    ライトアップされた展望灯台
    ライトアップ - 平日の営業は17時までだが、土休日は20時まで開かれ、折に触れて発光ダイオード(LED)によるライトアップが行われる。
    • 江の島展望灯台サンセットテラス - ライブ会場になる。「カフェ・ドゥ・ガボ」が営業する。
    • グッズショップ「デルフィス」
    • 藤沢市郷土資料館 - 展望灯台の根元にあり、旧灯台の資料や江の島の古写真などが展示されている。

山二つへ

  • ガーデンパーラー - 旧サムエル・コッキング別邸跡に建つ江ノ島電鉄の経営の飲食店、土産物店。
  • 一遍成就水 - 一遍上人が加持した旧跡に飲料水に窮する島民を助けるために掘り当てたと言われ、今も水をたたえている。
  • 江の島大師 - 旧江の島館(1964年(昭和39年)廃業)跡地に1993年(平成5年)創建された寺院で、高野山真言宗最福寺別院が正式名。寺院離れした近代的な建物の前に巨大な不動像が立つ。
    • 福村漁村句碑 - 福村漁村は元江の島館主人。江の島大師前に立つ。
  • 貝広物産店 - 1911年(明治44年)創業の貝細工店。店舗の一部を「世界の貝の博物館」と名付けて数千点の貝類コレクションを展示している。
  • 木喰上人古跡 - 崖下に木喰上人が修行したと伝わる洞窟があり、そのほぼ中央に石造阿弥陀如来の立像が安置されているが、危険なため現在立ち入り禁止。
  • 群猿奉賽像庚申塔 - 36匹の猿がそれぞれ異なった姿態で歌ったり、踊ったり、綱渡りなどして、その本尊である山王神に奉賽しているという江戸中期の珍しい庚申塔。市指定有形民俗文化財 1963年指定。
  • 中村屋羊羹店 - 創業1902年(明治35年)。創業以来江の島らしい名産をと工夫を重ね、大正に入って「海苔羊羹」を完成させた。
  • 山二つ - 江の島を2分する巨大な断層線に沿って侵蝕が南北両方向から進んで、東山と西山の接点になっている部分。南側には「長磯」と呼ばれる隆起海食台を見下ろせる。風の通り道になっているので植物の風衝扁形が著しい。

江島神社奥津宮周辺

  • 江島神社奥津宮 - 本宮または御旅所(おたびしょ)と称されていた。祭神 多紀理毘売命(たぎりひめのみこと)。
    • 鳥居 - 文治元年(1185年)、源頼朝が寄進したと伝えられる。現在の鳥居は2004年(平成16年)台風で破損し、補修された。
      • 鳥居修復記念碑 - 文政6年(1823年)に台風で木が倒れ頼朝奉納の鳥居が破損したのを文政10年(1827年)に修復したときの記念碑。
    • 手水舎 - 東京材木問屋熊野屋安兵衛の奉納。鋳銅の亀は1979年(昭和54年)東京在住の青山建作氏が参拝30周年を記念して再復奉納したもの。
    • 拝殿 - 1976年(昭和51年)に改築。天井に八方睨みの亀の絵が掲げられている。
      • 八方睨みの亀の絵 - 享和3年(1803年)画家・酒井抱一が描いた「正面向亀図」。傷みが激しいため抱一筆の原画(藤沢市指定文化財)は改築時に辺津宮奉安殿に収蔵されている。代わりに1926年(大正15年)4月、東大資料編纂室長の浦永峯光氏が酒井抱一の末流野沢堤翠に摸写を依頼したものが掲げられていた。現在掲げられているのは1994年(平成6年)片岡華陽筆になる復元画である。
    • 本殿 - かつては壮麗を極めていたが、天保12年(1841年)火災で焼失し、翌年造営したものが現社殿という。1979年(昭和54年)に屋根を葺き替えた。
    • 亀石 - 玄武岩柱状節理断面が磨かれて亀甲紋が現れたもの。江の島では産出しない石材(地質・地形参照)。
    • 力石 - 江戸時代に日本一の力持ちと言われた卯之助(岩槻藩)が奉納したもの。重さ80(320キロ)で、石には「奉納岩槻卯之助持之八拾貫」と刻まれている。
    • 山田検校顕彰碑と座像 - 箏曲「江の島曲」の作曲者である山田流琴曲の開祖・山田検校を顕彰し、1917年(大正6年)4月10日の検校100年忌に幸田露伴らによって建てられた。座像は戦時中に供出されたが、近年当時の鋳型が発見されたことから、山田流箏曲協会が残された土台上に再建し、2004年(平成16年)4月10日除幕された。
    • 龍宮大神(わだつみのみや) - 1994年(平成6年)篤志家により新しく祀られた。岩窟の入口に巨大な龍の像が睨みを利かせる。
  • 龍野ヶ丘自然の森(恋人の丘) - かつては島内でも珍しいまとまった草原が見られた。分校の運動会にも使われたという。
    • 龍恋の鐘 - 1996年(平成8年)江嶋縁起の伝説「天女と五頭竜」にちなんで藤沢市が観光協会設立を記念して鐘を設置。「恋人の丘」の地名もこの時つけられたようだ。周りにある柵に南京錠を下げる風習が間もなく始まった。
  • 奥の院の鳥居 - 嘉永4年(1851年)に造られ、1915年(大正4年)に修理された。
  • 岩屋道道標 - 文政2年(1819年)に江戸・芝の講中の手で建てられた。
  • 高木蒼悟句碑 - 高木蒼悟は江島神社の宮司で、俳諧の研究者。著書の『俳諧人名辞典』で文部大臣賞を受賞したことを記念して、当時の江島神社宮司相原直八郎が1961年(昭和36年)に建立。
  • 龍燈の松 - 稚児ヶ淵に下る坂道の途中にあった名松。江戸時代の観光スポットの一つであった。いつ消滅したかは不詳。その根元と思しき場所に6基の石碑が並べられている。
    • 八雲庵碑 - 「遊江嶋」と題する漢詩。
    • 松尾芭蕉句碑 - 「疑ふ那潮能花も浦乃春」。これは江の島で詠んだ句ではない。
    • 佐羽淡齋詩文碑 - 佐羽淡齋は上野国桐生の豪商で文人。大窪詩佛題及碑陰。東京玉淵加藤豊書、文政5年(1822年)。
    • 服部南郭詩碑 - 儒学者で漢詩人の服部南郭の碑。南郭没後の文化2年(1805年)に同志らが建立。
    • 龍燈松碑 - 文化6年(1809年)に江戸・深川新地の遊郭五明楼の主人喜兵衛が建てたもの。

稚児ヶ淵から岩屋へ

稚児ヶ淵から見える風景のパノラマ写真
稚児ヶ淵から望む夕暮れ(遠方に富士山も見える)
  • 稚児ヶ淵 - 江の島南西端の幅50mほどの隆起海食台。伊豆半島、富士山が一望でき、1979年(昭和54年)かながわ景勝50選の一つに選ばれた。夕暮れ時には富士山の方角に陽が沈む光景を見ることが出来る。回遊魚が釣れる磯釣りのスポットとしても知られる[30]。島の裏側にあるため、徒歩では峠を越える必要があり往来に時間が掛かるが、波が穏やかな時は近道となる定期船も運行される。稚児ヶ淵は足元が滑りやすく、転倒した際は海に転落する可能性が高い。外洋の荒波が直接打ち寄せるため、海が荒れている時に縁に居ると波にさらわれる危険もある。夜間は完全な暗闇となり、歩行自体が危険であるため、日没後に利用者はいいなくなる。
    稚児ヶ淵の名は、万治2年(1659年)の中川喜雲の『鎌倉物語』などに見られる鎌倉相承院の稚児白菊と建長寺広徳院の自休蔵主が相次いで身を投げたとする話に基づく。1817年(文化14年)初演の鶴屋南北の『桜姫東文章』にも採り入れられて広まった。
  • 稚児ヶ渕句碑 - 風化が激しく、年代・作者とも不明。脇に石灯籠が立つ。
    • 永瀬覇天朗句碑 - 本名=永瀬登三郎(1873年 - 1937年)。藤沢大坂町坂戸の酒屋日野銀の主人。句集『覇天朗』を著す。この句碑は1937年(昭和12年)に桟橋のところに建てられたものが、波浪で破損したのを、江の島俳句協会などの協力によって1961年(昭和36年)にこの地に場所を移して再建された。
  • 江の島弁天橋行き渡船乗り場 - 稚児ヶ淵から西に回り込んだところにある。潮位に応じて高低差のある2本の波止場を使い分ける。
  • 岩屋 - 江の島南西部の海食崖基部の断層線に沿って侵蝕が進んだ海蝕洞群の総称。古来、金窟、龍窟、蓬莱洞、神窟、本宮岩屋、龍穴、神洞などさまざまな名で呼ばれており、宗教的な修行の場、あるいは聖地として崇められてきた。富士山風穴をはじめ、関東各地の洞穴と奥で繋がっているという伝説がある。江の島参詣の最終目的地と位置づけられ、多くの参詣者、観光客を引きつけてきたが、1971年(昭和46年)3月7日に崩落事故が起き、以来立ち入り禁止措置がとられた。22年を経て藤沢市の手で安全化改修工事が行われ、1993年(平成5年)第一岩屋と第二岩屋が有料の観光施設として公開された。2017年(平成29年)10月に発生した台風21号により、入口付近の階段の崩落や洞窟内への岩石流入が発生したため、再度立ち入り禁止となった[31] が、復旧を進め、2018年(平成30年)4月28日に公開が再開された[32]
    • 第一岩屋 - 公開区間の全長152m。奥で二手に分岐する。
      • 展示室 - 洞内入口近くの人工の横穴で、江の島ゆかりの資料や浮世絵、古地図などを展示。
      • 神秘の池 - 本洞に入ったところにあり、夜光虫を模した電飾が施されている。
      • 石造物群 - 古来洞内にあった各種の石仏・石神・石祠などが分類整理されて陳列され、照明が当てられている。
        最奥部右手に弘法大師坐像が安置されているが、鎌倉市手広にあった廃寺寶積院(真言宗青蓮寺末寺で手廣山藥王寺と号す)にあった相模国準四国八十八ヶ所札所の像が運ばれたものである。
      • 與謝野晶子歌碑 - 2002年(平成14年)、鵠沼在住の歌舞伎研究家・中山成彬(元文部科学大臣とは別人)によって洞内に設置された。書:尾崎左永子
    • 第二岩屋 - 公開区間の全長112m。入口は2本の洞が並行し、奥で一つになる。
      • 龍神 - 公開区間最奥部に設置された観光施設。音響と照明でおどろおどろしい龍神を表現。



注釈

  1. ^ a b 出土した温室遺構の基礎部分に使用された煉瓦に1888年(明治21年)創業[7][8][9][10] の横浜煉化製造会社の刻印が多数見られる。
  2. ^ 旧「ヨットハウス前」バス停。東海汽船の大島航路運航時迄は現在の「湘南港桟橋」は「ヨットハウス前」という途中のバス停で、更に左折して桟橋の袂が「湘南港桟橋」終点だった。
  3. ^ 「湘南港桟橋」の移転前は4箇所であった。
  4. ^ 平塚駅を経由し終点は大磯駅。
  5. ^ 1962年の江の島大橋開通までは対岸の片瀬にある「江ノ島海岸」停留所が終点であった。
  6. ^ 現在の湘南港桟橋終点とは位置が異なる。
  7. ^ 車道に設置されているゲートが閉められたことはなく、車の通行は黙認されている[29]
  8. ^ 江の島からは直線距離で2キロメートル強の地点に位置している。
  9. ^ 三浦半島以外では、東京湾鋸南町いわき市金華山などにて組織的な古式捕鯨が行われていた[35][36]。ただし、西日本と比較してクジラが多い地域が少なかったというわけではなく、捕鯨を嫌う民衆が多く、捕鯨をタブー視したり捕鯨そのものを禁止する地域も存在したなど、社会的な情勢が西日本と異なっていた[37]。しかし、三浦浄心が憂慮するほどに一帯での捕獲が多かったらしく、20年前後でクジラがあまり見れなくなったとされる[38]
  10. ^ セミクジラコククジラザトウクジラニタリクジラミンククジラなど[41][42][43]
  11. ^ 三浦半島自体は現在でも一部のクジラ回遊経路として機能しているが、基本的には半島の先端など外洋や水深がより深いエリアでの記録が目立ち、近年の観察がとくに多いのは深海性のマッコウクジラである[45]
  12. ^ またはミナミハンドウイルカ

出典

  1. ^ a b 町丁字別人口と世帯数(国勢調査を基準とした推計値)2023年9月” (PDF). 藤沢市 (2023年9月6日). 2023年9月21日閲覧。 “(ファイル元のページ)(CC-BY-4.0)
  2. ^ 『国勢調査町丁・字等別境界データセット』(CODH作成)”. CODH. 2023年8月25日閲覧。(CC-BY-4.0)
  3. ^ a b c 江の島の郵便番号”. 日本郵便. 2023年8月25日閲覧。
  4. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2019年6月24日閲覧。
  5. ^ 住居表示実施区域”. 藤沢市. 2018年2月26日閲覧。
  6. ^ a b 栗原岳「江ノ島にて明治中期の煉瓦造温室遺構が出土」『土木学会土木史研究委員会ニュースレター 25 』” (PDF). JSCE 公益社団法人 土木学会 (2003年12月20日). 2018年6月15日閲覧。
  7. ^ 川崎市川崎区:年表”. 川崎市. 2018年7月10日閲覧。
  8. ^ 石田勝俊「100年前の煉瓦がでてきた 御幸煉瓦製造所」『かわさき産業ミュージアム講座記念論文集(平成23年3月発行)』” (PDF). 川崎市. 2018年7月10日閲覧。
  9. ^ 横浜煉瓦会社の発起人をした「田中半兵衛」という人物について調べています。『日本紳士録 東京横濱之部』...”. 国立国会図書館. 2018年7月10日閲覧。
  10. ^ コッキング植物園温室遺構、温室遺構で使われたレンガ”. みゆネットふじさわ. 2018年6月17日閲覧。
  11. ^ 藤沢市|藤沢市の人口と世帯数”. 藤沢市. 2016年7月24日閲覧。 町丁字別人口と世帯数(国勢調査を基準とした推計値)2016年(平成28年) 7月より。
  12. ^ 2009年(平成21年)10月1日現在、住民基本台帳による。
  13. ^ a b 新編相模国風土記稿 1932, p. 188.
  14. ^ 新編相模国風土記稿 1932, p. 189.
  15. ^ a b c d 新編相模国風土記稿 1932, p. 190.
  16. ^ 黒田基樹『戦国北条家一族事典』(戎光祥出版、2018年) ISBN 978-4-86403-289-6 P147-152.
  17. ^ 1934年(昭和9年)12月28日文部省告示第312号「史蹟名勝天然記念物指定」
  18. ^ a b 1967年(昭和42年)1月19日自治省告示第13号
  19. ^ 文化審議会答申 ~国宝・重要文化財(美術工芸品)の指定及び登録有形文化財(美術工芸品)の登録について~” (2019年3月18日). 2020年4月2日閲覧。
  20. ^ a b 平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年3月28日). 2019年8月16日閲覧。
  21. ^ a b 平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年5月30日). 2019年8月16日閲覧。
  22. ^ a b 平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年6月27日). 2019年8月16日閲覧。
  23. ^ a b 平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2012年1月20日). 2019年8月16日閲覧。
  24. ^ a b 平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2017年1月27日). 2019年8月16日閲覧。
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  29. ^ a b “ポケモンGO利用者殺到 江の島で夜間通行規制“復活”へ”. カナロコ. (2016年7月29日02時00分). オリジナルの2016年7月29日18時59分時点におけるアーカイブ。. https://megalodon.jp/2016-0729-1859-02/www.kanaloco.jp/article/188903 
  30. ^ 【神奈川釣りポイント】江ノ島裏磯〜湘南エリア屈指の回遊魚釣り場〜 | TSURI TRIP KANAGAWA”. tsuri-trip.com. 2020年5月17日閲覧。
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