刈谷駅 概要

刈谷駅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/05 09:02 UTC 版)

概要

刈谷市の玄関口となる駅[1]で、JR東海の東海道本線、名鉄の三河線が乗り入れる。東海道本線にはCA58、三河線にはMU02駅番号がそれぞれ設定されている。

東海道本線の豊橋駅 - 岐阜駅間では名古屋駅金山駅に次いで乗車人員が多い主要駅である。南口側には名鉄三河線が乗り入れており、両駅を乗り換える利用客も多い[2]。以前は共同使用駅だったが1989年平成元年)の橋上化により別々の改札口を設けるようになった[3]

開業当時は中心市街地から離れた場所に立地していた[2]が、大正時代には豊田紡織[注釈 1] が駅付近に工場を設けたのを皮切りに系列企業の駅前進出が進み、刈谷駅の利用者増加および刈谷市の工業都市としての発展をもたらした[4]。現在では名実ともに刈谷市の中心地となっており、駅周辺の開発も進んでいる[2]

歴史

官営鉄道の開通と刈谷駅誘致運動

1921年頃の刈谷駅。

1870年明治3年)6月に実施された工部省による東海道沿いの調査によると、刈谷付近は逢妻川境川などがある以外には特に鉄道建設について障害となるものはないと報告している[5]1886年(明治19年)3月には武豊 - 熱田間が中山道幹線建設の資材運搬線として開通しているが、諸般の問題から7月にルートを中山道経由から東海道経由に変更され[5]8月12日から30日の間に既設の大府村付近から下重原村までの測量が実施された[6]

大府駅から岡崎駅までの間には、地理的に中間地点となる安城(箕輪村)に駅を設ける予定だったが、誘致運動の結果、大府 - 浜松間開業と同時に刈谷に駅を設けることができた[7](後に安城駅も開業)。運動当初、下重原村・高須村・半城土村の三村は、猿渡川と交差する下重原村字陣屋下に駅を設けるべく、1887年(明治20年)9月9日勝間田稔(愛知県知事)へ停車場設置願を提出している[7]。これは鉄道と猿渡川水系の船運とを結びつけるためであった[6]が、付近は低地であり駅を設けると列車運転の支障となるため、話は進まなかった[7]刈谷町字花捨付近など現在地より西寄りを要望する声もあった[6]

他方、刈谷の商店街でも誘致の動きがあり、地元有力商人の太田平右衛門らが中心となって関係各局へ陳情を行った結果、現在地への駅設置が決定した[7]。当時の刈谷町中心地からは外れた場所であり、刈谷駅が開業した当時は駅前に何もなかったという。その閑散ぶりから野田村神楽山(現・三河安城駅付近)への駅移転が取り沙汰されたほどであり[7]、刈谷町は刈谷貨物運搬会社を興して刈谷駅に倉庫を設けたり[8]、駅前に旅館寿司屋を急造させたりするなど駅前整備に努めた[7]

三河鉄道の開業と工場誘致

1923年に刈谷へ進出した豊田紡織。その後の豊田系企業進出の礎となった。

刈谷駅移転論は駅整備により立ち消えとなった[7]ものの、1891年明治24年)に安城駅が新設された影響で、刈谷に集積していた物資が安城へと流れるようになった[7][注釈 2]。この事態を打開すべく、刈谷町出身の衆議院議員である三浦逸平が地域振興のため構想したのが碧海南部 - 刈谷 - 知立間の軽便鉄道計画である。才賀藤吉などの実業家や、沿線町村有力者の協賛を得た三浦は、1910年(明治43年)に碧海軽便鉄道の名で大浜 - 刈谷 - 知立間の免許を出願した[9]。交付後に社名を三河鉄道と改め、1914年大正3年)に大浜 - 刈谷新間、翌年に刈谷新 - 知立間が開業した[10]

当初は刈谷駅乗入れを予定していたが、鉄道院組織改革の影響で協議が進まず、やむなく刈谷駅南100 m付近に刈谷新駅を設けて徒歩連絡で対応することになった[11]。刈谷新駅の移設統合には刈谷町も協賛し、1927年昭和2年)になってようやく移設された。この時刈谷駅は鉄道省・三河鉄道の共同使用駅となり、駅南口を設置した[7]

三河鉄道の開業によって刈谷駅は東西南北に鉄路を伸ばす交通結節点となった[12]。また、交通面で優位となったことで、駅付近への工場進出を促す結果となった[13]

三河鉄道の延伸で枝下付近の木節粘土[14]を入手した神谷傳兵衛は、木節粘土を三河鉄道で刈谷へ運び、工場で製造した煉瓦を東海道本線で出荷する構想を立て、東洋耐火煉瓦(後の東海炉材、現・クアーズテック)を創業した[15]。工場用地は刈谷振興会の支援もあって1917年(大正6年)5月に取得。刈谷町初の誘致工場であった[16]

1923年(大正12年)11月には豊田紡織が刈谷に進出し、駅近辺に自動織機試験工場を設立した[17]。豊田紡織の誘致は工業の近代化や人口増加、経済効果が期待できるため[18]、刈谷町は町民大会を開催するなど積極的な誘致運動を展開した[19]。こうした町民の協力に地価の安さも相まって、刈谷駅周辺には豊田系の工場が集積するようになる[13]

1925年(大正14年)には日本陶管が常滑から刈谷駅前に工場を移転し、社宅を建設した。同工場は高浜港駅付近にあった高浜第一工場と三河鉄道で通じており、高浜港駅から刈谷駅に運ばれた燃料専用線で工場内に引き込んでいた[20]

刈谷市の表玄関として

北口の区画整理事業が進む刈谷駅。

国鉄が引き継いだ東海道本線では、1951年(昭和26年)より浜松 - 米原間の電化工事が進められた。1953年(昭和28年)7月にはまず浜松 - 名古屋間の電化工事が完了し、電気機関車牽引による運転が開始された。1955年(昭和30年)には名古屋 - 米原間も電化され、同年7月のダイヤ改正からは湘南型電車による電車運転に切り替わり、所要時間が大幅に短縮[注釈 3] された[21]

東海道本線電化工事に刺激される形で、刈谷市(1950年に刈谷町が市制施行)は刈谷駅の改築や駅前広場(北口)の整備を実施した。1953年(昭和28年)5月に完成した新駅舎は2階建ての鉄筋コンクリート造で、2階には宿直室など、1階には改札や駅長室、売店、待合ホールなどを設けていた。また、駅前広場は広さ7000m2に拡張された[22]1957年(昭和32年)3月には駅構内の改良工事にも着手し、それまで片面ホームだった上り線ホームを島式ホームとしたうえで60m延長し、貨物側線も増強した[23]

また、刈谷市では駅の改良を機に駅周辺の土地区画整理事業に着手、刈谷駅前土地区画整理事業を1951年(昭和26年)に着工し、1956年(昭和31年)に完工した。駅前広場には自動車や各種バスの駐車場を設置したほか、サツキ吉野桜などを植えた芝生園を整備した。駅前道路も拡幅されたが、この時点ではまだ舗装されず、側溝も作られていなかった[24]

国鉄側では電化工事を前後して駅の改良が行われていたが、名鉄が管理する南口駅舎は旧態依然とした設備で営業を続けていた[23]。その後、狭い連絡跨線橋が原因で、ラッシュ時に通勤者が重傷を負う事故が発生したため、跨線橋の幅を1.8mから3mに拡幅する工事が1958年(昭和33年)に実施された[25]ものの、それ以上の改築は行われなかった。

1959年(昭和34年)10月には東海道本線を跨ぐ刈谷跨線橋が完成した。これは今まで踏切(刈谷街道踏切)を渡っていた県道挙母半田線(現・愛知県道51号知立東浦線)を立体交差化させたものである。東海道本線電化以降、刈谷街道踏切の遮断時間が増加し、道路の混雑が問題となっていた[注釈 4]。刈谷市では踏切を解消して県道を立体交差化させようとしたが、住民に説明せず用地買収を始めたため紛糾し、住民側は強制立ち退きや踏切廃止、商店街の分断などを理由に立体交差化に反対した。その後の交渉で和解が成立し、立体交差道路を作る一方で踏切は存続となり、旧道は市街道路となった[26]

三河線の改良と南口再開発

日本陶管の工場閉鎖後の空中写真(1987年度)。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。再開発が始動するまでは運動広場として開放されていた。

三河線では沿線自治体らが名鉄三河線複線化期成同盟を結成し、知立 - 碧南間の複線化を名鉄に働きかけていた。モータリゼーションの進行や貨物業務の縮小から複線化計画は二転三転したが、1969年(昭和44年)11月になって、名鉄社長の土川元夫より複線化工事を来年度から着手するという確約を得た[27]。刈谷市はこの複線化計画にあわせて、三河線の刈谷市内区間約3kmを高架化することにした[27]

当初の計画では、東海道本線と三河線が交差する神田町付近から下り松川までの全長2981m間を高架とし、工費負担比率を国:県:市で4:1:1とする予定だった。しかし、建設省神田町 - 刈谷駅 - 南桜町(市道桜1号線)までの区間(881m)について、同区間には踏切が無く、都市計画街路事業の基準に適合しないため補助を行わないと通知してきた。刈谷市は自己負担による高架化も検討したものの、刈谷駅での名鉄・国鉄間の貨車入替の問題もあり、結局、刈谷駅は地上駅とする建設省の案に同意した[28]

その後も、高架化による日照問題などで沿線住民との協議に追われて高架化事業は遅延したが、1978年(昭和53年)9月になって仮線工事に着手、同年12月下旬には高架工事に至り、1980年(昭和55年)11月に完工した。この工事で1850mが地上5mの高架となり、刈谷 - 刈谷市間の1500mが複線化された[29]

1989年平成元年)1月には刈谷駅南北連絡通路(現在のウイングデッキの一部)が完成した[30]。橋上化に伴いJR東海(国鉄東海道本線を継承)と名鉄の共同使用駅体制は解消され、橋上にそれぞれ改札口を設けた単独駅となった[3]。南北連絡通路は幅8.0m、延長98.7m、鋼製6径間のゲルバー桁橋で、JR・名鉄の橋上駅舎はともに鉄骨2階建て、広さはJRが710.4ha、名鉄が396haである[30]

2010年(平成22年)には、都市再生機構による[31] 刈谷駅南地区第一種市街地再開発事業が完了した。同地区は1982年(昭和57年)に閉鎖された日本陶管刈谷工場の跡地を主体とする地区で、1983年(昭和58年)に刈谷市が跡地を取得して以来[32]、第5次、第6次都市総合計画を通して文化施設の建設や大型商業施設の誘致などが提示される[33][34]など、様々な案が検討されていたが[35]、企業などの関心が得られないなどの理由で開発が遅れ、長らく運動公園として開放していた[36][注釈 5]

刈谷駅南北連絡通路はその後南北に延長し、南側延長部は「みなくる刈谷ウイングデッキ」と名付けられた。

再開発地区愛称は公募によって選定され、「みんなが来る」「ミラクル」から「みなくる刈谷」と命名された[37]。刈谷駅とは南北連絡通路を延長したペデストリアンデッキ「みなくる刈谷ウイングデッキ」で結ばれている[37]

年表

駅構造

北側にJRの駅が、南側に名鉄の駅がある。両駅の改札口は分離されているが、両方とも駅の南北を結ぶ連絡通路に面している。

JR東海

JR 刈谷駅
北口(2023年5月)
かりや
Kariya
CA57 野田新町 (1.9 km)
(1.9 km) 逢妻 CA59
所在地 愛知県刈谷市桜町1丁目55
駅番号 CA  58 
所属事業者 東海旅客鉄道(JR東海)
所属路線 CA 東海道本線名古屋地区
キロ程 341.6 km(東京起点)
電報略号 カリ
駅構造 地上駅橋上駅
ホーム 2面4線[73]
乗車人員
-統計年度-
36,528人/日(降車客含まず)
-2019年-
開業年月日 1888年明治21年)9月1日
備考 駅長配置駅管理駅
JR全線きっぷうりば
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島式ホーム2面4線を有する地上駅[73]橋上駅舎を備え、改札口は2階にある。内側の2番線と3番線が主本線、外側の1番線と4番線が副本線で、接続追越駅として機能している。なお、名古屋方面側の1・4番線ホームには柵があり[74]、列車はホームの岡崎駅寄りに停車する。改札口とホームとの間の階段は両方向にあるが、名古屋寄りの階段はほぼ2番線・3番線専用とみてよい。エスカレーターエレベーターは各ホームの岡崎寄りに1基ずつ設置されている。

駅長駅員配置駅(直営駅)である。管理駅として、刈谷市内にある3駅(東刈谷駅野田新町駅逢妻駅)を管理している。JR全線きっぷうりば(営業時間:5時20分 - 22時00分、日中閉鎖の時間帯あり)がある。また、改札北側にはキヨスクが設置されている。

1986年まで、駅北口東側の刈谷市産業振興センター一帯に、1面1線のコンテナホームや1面1線の有蓋車用の貨物ホームがあった。また1970年ごろまで、トヨタ紡織刈谷工場への専用線や同線から分岐し豊田自動織機刈谷工場や愛知製鋼刈谷工場へ至る専用線、駅から北へ向かいデンソー刈谷製作所へ至る専用線もあった。

2019年7月24日に、JR東海がホームの拡幅、コンコース等の拡張、駅舎の橋上化に着手することを発表した[72]。ホームの拡幅は、下りホームを約12.6 m、上りホームを約13.3 mと、それぞれ約6.2 m拡幅するとし、下りホームが2022年度、上りホームが2024年度の完了が予定されている[72]。また、ホームの拡幅工事終了後に、可動式ホーム柵を設置するとし、下りホームが2025年度、上りホームが2026年度の設置が予定されている[72]。さらに、駅舎の橋上化に伴い、コンコースの拡張、自動改札機の増設、エスカレーターの増設、地域交流拠点施設等の新設(刈谷市が運営)の工事を2026年度までに完了させることが予定されている[72]。コンコース等の改良の詳細は、コンコースの面積は1.5倍に拡張、自動改札を2通路増設し11通路に増設、エスカレーターを上下ホームに各1基増設し、各ホームに3基となる。刈谷市が運営する地域交流拠点施設等を新設、地平駅舎を橋上に移転がある。現存するJR東海ツアーズは、コンコース等の改良として自由通路の向かい側に移動し、地域交流拠点施設等も入る予定[72]。なお、利用者から要望が多い名鉄との乗り換え改札の設置について、JR東海は刈谷市に対し「現改札口の拡張により十分な混雑緩和がなされる」として実施しない旨の回答をしている[75]

のりば

番線 路線 方向 行先 備考
1 CA東海道本線 上り 岡崎豊橋方面 待避線[注釈 6]
2 本線
3 下り 名古屋大垣方面
4 待避線

(出典:JR東海:駅構内図

名古屋鉄道

名鉄 刈谷駅
駅全景(2020年10月)
かりや
KARIYA
MU01 重原 (1.7 km)
(1.6 km) 刈谷市 MU03
所在地 愛知県刈谷市若松町1丁目78番地
駅番号 MU  02 
所属事業者 名古屋鉄道(名鉄)
所属路線 三河線
キロ程 25.2km(猿投起点)
知立から3.9 km
駅構造 地上駅橋上駅
ホーム 1面2線
乗降人員
-統計年度-
20,920人/日
-2021年-
開業年月日 1914年大正3年)2月5日
* 1927年まで刈谷新駅。
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島式ホーム1面2線を有する地上駅橋上駅舎を備え、改札口は2階にある。終日駅員配置駅である。三河線は重原駅より当駅までは単線、当駅より刈谷市駅までは複線である。なお、現在はJRと線路は繋がっていない。

バリアフリー対策としてホームへのエレベーター設置、多目的トイレへの改修、階段の設置、電車とホームの段差の解消、知立方向へのホーム延伸のための工事が行われ、2008年2月に完成した。

ホームにはLED列車案内が設置されているが、自動放送は導入されていない。自動改札機・自動券売機はトランパス導入前より存在する。ホームには階段付近など、幅の狭い場所がある。

のりば

番線 路線 方向 行先
1 MU 三河線(海線)[76][77][注釈 7] 下り 知立ゆき[79]
2 上り 碧南ゆき[79]

配線図

刈谷駅 構内配線略図
↑ 三河高浜・碧南方面

岡崎・
豊橋方面

名古屋方面
↓ 知立方面
凡例
出典:[80]
黒線が東海道本線、赤線が三河線

注釈

  1. ^ 現在のトヨタ紡織。戦時中にトヨタ自動車工業へ合併したが、戦後に民成紡績として再分離。以後豊田紡織、トヨタ紡織と改名した。
  2. ^ 衣浦の奥に位置する刈谷は古くから陸路・海路の結節点となっており、碧海西部から知多東浦までの物資が刈谷に集まっていた。知多方面は武豊線の開通で既に物資の流れが変化していたが、それまで農村だった安城が駅設置によって発展し、ついに碧海郡役所をも設けるに至ったことで、刈谷の物流はほとんど東西に分散される結果となった。(『刈谷市誌』p.489)
  3. ^ 電気機関車の時代、刈谷 - 名古屋間の所要時間は快速25分、普通37分であったのが、湘南型電車になって快速19分、普通28分となった。(『刈谷市史』4巻, p.288)
  4. ^ 電化によって貨車入れ替え作業を大府駅の旧設備で行えなくなったため、刈谷駅に新しい入れ替え線等を設けることになった。この設備改良で刈谷街道踏切から名古屋方50mまでが刈谷駅構内となり、踏切が駅構内に入ったことで遮断回数や遮断時間が増加した。(『刈谷市史』4巻, p.242)
  5. ^ 刈谷駅南口再開発の遅延は他地区の再開発にも影響を及ぼした。例えば、旧市街に当たる刈谷新栄地区の再開発では当初ダイエー等の大型商業店舗の出店を模索していたが、刈谷駅南口再開発で商業開発案が浮上したことで競合してしまい、交通面で劣る新栄地区は誘致が難しくなり、最終的に再開発を断念している。(『刈谷市史』4巻, p.551)
  6. ^ 下りの当駅始発も使用する。
  7. ^ 名鉄公式サイトにおいては「三河線(知立〜碧南)」と表記される[78]

出典

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  88. ^ a b 刈谷市 1990, pp. 207–209.
  89. ^ 刈谷市 1990, pp. 323–324.
  90. ^ 刈谷市 1990, p. 410.
  91. ^ 刈谷市 1990, p. 411.
  92. ^ a b 刈谷市 1990, pp. 400–402.
  93. ^ 刈谷市 1990, p. 366.






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