あけぼの (列車)
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奥羽本線・羽越本線夜行列車の沿革
黎明期から昭和初期
- 1908年(明治41年)5月1日:701列車・702列車が設定され、東北本線・奥羽本線を経由して上野 - 青森間を直通する初の列車となる。同列車は夜行運転となる上野 - 福島間は一部の駅を通過する形で運転したが、昼行運転の福島 - 青森間は各駅停車となり上野 - 青森間では約25時間を要した[40]。
- 1909年(明治42年)8月:豪雨により赤岩駅周辺で土砂崩壊が起こり、701列車・702列車は奥羽本線への直通運転を中止[41]。
- 1911年(明治44年)9月:一部区間が不通になっていた奥羽本線が復旧し、701列車・702列車は上野 - 青森間の全区間で運転再開、同時に奥羽本線内を夜行運転する703列車・704列車(上野 - 青森間)が新設され、各列車には一等寝台車(売店および二等座席と合造)が連結された[42]。
- 1913年(大正2年) 5月:普通701列車・702列車に売店付き三等車を連結、普通703列車・704列車は所要時間短縮のうえ一等寝台車の連結を廃止[43]。
- 1917年(大正6年)6月:普通701列車・702列車(上野 - 青森間、東北本線・奥羽本線経由)は列車番号を705列車・706列車に変更。
- 1919年(大正8年)
- 8月:普通705列車・706列車(上野 - 青森間、東北本線・奥羽本線経由)に連結の一等寝台車を二等寝台車に変更。
- 10月:上野 - 青森間に普通701列車・702列車(東北本線・奥羽本線経由、奥羽本線内は夜行)を新設、同時に普通705列車・706列車(上野 - 青森間、東北本線・奥羽本線経由)は売店付き三等車に替わり和食堂車を連結[44]。
- 1922年(大正11年)3月15日:上野 - 青森間普通701列車・702列車(東北本線・奥羽本線経由)は二等寝台車・和食堂車連結の夜行急行701列車・702列車に格上げされ、奥羽本線経由での上野 - 青森間を19時間35分に短縮した。夜行普通703列車・704列車・705列車・706列車とともに新設された。[45][46]。
- 1922年(大正13年)7月:羽越本線の開通により、上野 - 青森間(東北本線・奥羽本線経由)の普通703列車・704列車・705列車・706列車は上野 - 秋田間に運行区間を短縮、秋田駅で羽越本線から青森方面への直通列車に接続することとなった[46]。
- 1926年(大正15年)
- 8月15日:東北本線・常磐線・奥羽本線・羽越本線でダイヤ改正と大規模な列車番号の整理が行われ、夜行急行701列車・702列車(上野 - 青森間、東北本線・奥羽本線経由)の列車番号は401列車・402列車に変更し上野 - 秋田間に運行区間短縮、東北本線・奥羽本線経由の普通列車は403列車・404列車が上野 - 横手間、405列車・406列車が上野 - 秋田間に設定された。この頃から401列車 - 406列車に二等寝台車が連結される[46]。
- 12月16日:急行401列車・402列車(上野 - 秋田間、東北本線・奥羽本線経由)は再度青森駅まで運行区間を延ばしたが、秋田以北は普通列車とされた[46]。
- 1931年(昭和6年)9月:上越線が全通し、上越線・羽越本線経由で上野 - 秋田間を結ぶ夜行普通703列車・704列車が二等寝台車連結で新設される[47]。
- 1933年(昭和8年)8月:東北本線・奥羽本線経由の夜行急行401列車・402列車は上野 - 秋田間で三等寝台車を連結[48]。
- 1934年(昭和9年)12月:ダイヤ改正により東北本線・奥羽本線経由の夜行急行401列車・402列車(上野 - 青森間、秋田以北は普通列車)は列車番号を405列車・406列車に変更、上野 - 横手間普通403列車・404列車は廃止、改正前の上野 - 秋田間普通405列車・406列車は上野 - 青森間普通403列車・404列車となった[46]。
- 1939年(昭和14年)4月:東北本線・奥羽本線経由の夜行急行405列車・406列車(上野 - 青森間、秋田以北は普通列車)の運転形態が変更され、秋田以北は単独運転から一部の客車を大阪 - 青森間の普通505列車・506列車と併結して運転する形になる[48]。
- 1940年(昭和15年)
- 1943年(昭和18年) 2月:東北本線・奥羽本線経由の夜行急行401列車・402列車(上野 - 秋田間)は普通列車に格下げ、上野 - 青森間普通403列車・404列車は405列車・406列車と統合する形で普通402列車・403列車となり、普通401列車・404列車(東北本線・奥羽本線経由、上野 - 秋田間)には二等寝台車を連結[48]。
- 1944年(昭和19年) 4月:東北本線・奥羽本線経由の普通401列車・404列車に連結されていた二等寝台車を廃止[48]。
- 1945年(昭和20年) 6月:東北本線・奥羽本線経由の直通列車は普通401列車・404列車(上野 - 秋田間)を廃止、普通402列車・403列車(上野 - 青森間)のみとなる[46]。
戦後の展開
- 1946年(昭和21年)11月:上野 - 秋田間を東北本線・奥羽本線経由で運行する夜行405列車・406列車が準急列車として運転を再開。ただし、実際は当時の石炭事情の悪化から401列車・404列車の上野 - 山形間、準急405列車・406列車の山形 - 秋田間を運休し、準急405列車 - 401列車・404列車 - 準急406列車として通し運転した。
- 1947年(昭和22年)6月:東北本線・奥羽本線夜行準急405列車・406列車が格上げされ急行列車となる。
- 1948年(昭和23年)7月:ダイヤ改正で東北本線・奥羽本線夜行急行405列車・406列車の列車番号を401列車・402列車に変更[50][51]。同じく夜行普通列車の列車番号を411列車・412列車に変更。また、戦時中に廃止されていた上野 - 秋田間を上越線・羽越本線経由で結ぶ夜行列車(上野 - 新潟間は毎日運転の定期夜行急行701列車・702列車)が不定期ながら急行列車として運転再開(2701列車・2702列車)。
- 1950年(昭和25年)12月:上野 - 秋田間を東北本線・奥羽本線経由で運行する夜行急行401列車・402列車に「鳥海」(ちょうかい)の愛称が付けられる[51][52]。
- 1954年(昭和29年)10月:上野 - 青森間を東北本線・奥羽本線経由で結ぶ夜行普通413列車・414列車が新設される(二・三等車連結)。同じく、同区間を上越線・羽越本線経由で結ぶ不定期の急行列車「津軽」(つがる)が新設される(2801列車・2802列車)[52][53]。
- 1956年(昭和31年)11月:定期夜行(401列車・402列車)急行「鳥海」は運行区間を青森駅まで延長し、「津軽」と改称[51][54]。それまでの「津軽」は「羽黒」(はぐろ)と改められ、上野 - 秋田間の運転となった上で定期列車となる(801列車・802列車)[55]。新しい「津軽」は東京から秋田県・青森県へ向かう唯一の優等列車となったため、帰省者などが多く利用し、いつしか「出世列車」と呼ばれるようになった[56][57][58]。
- 1959年(昭和34年)6月:急行「津軽」の米沢 - 秋田間をC51からDF50牽引に置き換えし無煙化。
- 1960年(昭和35年)6月:上野 - 新庄間を東北本線・奥羽本線経由で結ぶ毎日運転の不定期夜行準急列車「出羽」(でわ)が新設される(1409列車・1410列車)[59]。なお、年末の下り列車は品川 - 横手間に運行区間を延長して運行された[要出典]。
- 1961年(昭和36年)
- 1967年(昭和42年)10月:上越線・羽越本線経由「羽黒」季節列車1往復を増発[53]。
- 1968年(昭和43年)10月:ヨンサントオのダイヤ改正により、「羽黒」の名称を同じ区間を運行する昼行急行列車の名称であった「鳥海」に統合[52]。旧「羽黒」は(上下列車とも)「鳥海」2号(定期列車)・3号(季節列車)に改称。夜行急行「おが」は上野 - 秋田間(定期列車、403列車・404列車)および上野 - 大館間(6401列車・6402列車)の2往復、昼行のディーゼル急行を合わせると3往復となった[66]。
寝台特急「あけぼの」の登場とその後
- 1970年(昭和45年)
- 7月1日:上野 - 秋田間に臨時寝台特急(ブルートレイン)「あけぼの」1往復を新設。9月30日まで毎日運転。この期間は、同じ区間を走る急行「おが」の夜行列車を運休とした。なお、お盆の最混雑期間中の下り列車は品川始発で運転。なお、この臨時運転は、同年10月の運行開始に合わせて落成した「あけぼの」専用の20系客車のお披露目を兼ねたものだった[67]。
- 9月30日:定期夜行急行「おが」(上野 - 大館間)を特急に格上げして臨時寝台特急「あけぼの」を定期化、運行区間を上野 - 青森間とする[67]。これに伴い急行「おが」は定期昼行1往復(気動車)と季節列車夜行1往復(座席のみの在来形客車、グリーン車連結)となる[59]。
- 「あけぼの」新設当初は、初めて運転停車(深夜時間帯に停車する駅での客扱いを行わない)措置をとり[注 8]、のちに深夜の長区間通過扱いが当たり前となっていく寝台特急ダイヤ設定のモデルケースとなった。
- 上野 - 黒磯間ではEF65 1000(PF)が、最初にブルートレイン牽引の定期運用実施[24]。これが、同形式機関車使用の初例となる。なお、同区間では一時期EF58も使用した。
- 1972年(昭和47年)3月15日:このときのダイヤ改正により、急行「天の川」が寝台急行列車となり、運行区間を上野 - 新潟 - 秋田間(上越線・白新線・羽越本線経由)に変更。また夜行「鳥海」の季節列車を廃止。昼行列車も10月1日に廃止され、「鳥海」は1往復のみとなる。他にも、座席車のみの編成だった季節夜行急行「おが」にA寝台とB寝台各1両を連結した[59]。
- 1973年(昭和48年)
- 1975年(昭和50年)11月25日:奥羽本線の羽前千歳 - 秋田間が交流電化。これにより全線電化が完成により、山形 - 青森間の牽引がDD51からED75 700へと変更する[68]。
- 1976年(昭和51年)9月27日:急行「天の川」が20系客車による運行開始[47]。
- 1978年(昭和53年)10月1日:急行「津軽」の普通座席車を12系客車に置き換え[70][71]。
- 1980年(昭和55年)10月1日:このときのダイヤ改正により、「あけぼの」を20系客車から24系客車に置き換え。これにより20系は定期寝台特急の運用がなくなる。また、「津軽」のグリーン車連結を廃止し[72]、季節夜行急行「おが」の座席車を14系客車に変更した[59][73]。
昭和53年10月改正時の停車駅(列車によって停車駅は異なる)
- 「あけぼの」・「津軽」・「おが」 【】は「津軽」・「おが」停車駅
上野駅 - 赤羽駅 - 大宮駅 - 【小山駅】 - 宇都宮駅 - 【西那須野駅】- 【黒磯駅】 - 【白河駅】 - 【郡山駅】 - 【二本松駅】 - 【福島駅】 - 【米沢駅】 - 【上ノ山駅(現在のかみのやま温泉駅)】 - 山形駅 - 【天童駅】 - 【神町駅】 - 【東根駅】 - 新庄駅 - 【真室川駅】 - 【院内駅】 - 【横堀駅】 - 湯沢駅 - 十文字駅 - 横手駅 - 【飯詰駅】 - 大曲駅 - 秋田駅 - 【大久保駅】 - 八郎潟駅 - 【森岳駅】 - 東能代駅 - 【二ツ井駅】 - 鷹ノ巣駅 - 大館駅 - 【碇ケ関駅】 - 大鰐駅(現在の大鰐温泉駅) - 弘前駅 - 青森駅
- 「天の川」・「鳥海」(列車によって停車駅は異なる)
上野駅 - 大宮駅 - 熊谷駅 - 高崎駅 - 渋川駅 - 水上駅 - 六日町駅 - 小千谷駅 - 長岡駅 - 見附駅 - 東三条駅 - 加茂駅 - 新津駅 - 新潟駅(天の川号のみ) - 新発田駅 - 中条駅 - 坂町駅 - 村上駅 - 鼠ケ関駅 - あつみ温泉駅 - 鶴岡駅 - 余目駅 - 酒田駅 - 遊佐駅 - 象潟駅 - 仁賀保駅 - 羽後本荘駅 - 秋田駅
- 「出羽」
上野駅 - 大宮駅 - 小山駅 - 宇都宮駅 - 西那須野駅 - 黒磯駅 - 郡山駅 - 福島駅 - 米沢駅 - 赤湯駅 - 上ノ山駅 - 山形駅 - 天童駅 - 神町駅 - 東根駅 - 楯岡駅 - 大石田駅 - 新庄駅 - 狩川駅 - 余目駅 - 酒田駅
東北・上越新幹線開業以降
- 1982年(昭和57年)
- 12系客車に従来型客車(A寝台+B寝台)を連結した座席車主体であった夜行急行「津軽」2往復のうち1往復を24系25形使用の寝台特急「あけぼの」に格上げ、残りの1往復は20系客車に置き換え。これにより「あけぼの」は計3往復となるが、24系24形使用の2往復は「ゆうづる」1往復および「出羽」と運用を共通化する都合改正前は編成中に2両連結されていたA寝台が1両のみの連結となる[75]。
- この改正では同時に気動車急行「出羽」や季節急行「ざおう」などの奥羽本線の夜行急行も廃止となり、それまで各列車合わせて最低20両はあった自由席が定期列車では「津軽」の3両だけとなった。しかも、「津軽」では定員の少ないナハ21形[76] を自由席として使用していたため[77]、通路・デッキ・洗面所に至るまですし詰め状態となり、繁忙期には満員のため積み残しを出す事態が続いた。急遽、B寝台車2両の寝台をセットせず自由席開放し、季節急行「おが」の運転日を増やすことで対処した。そのため時刻表には「都合により寝台をセットしない日があります」の注意書きがあった。
- 東北本線・奥羽本線・陸羽西線経由の夜行気動車急行「出羽」(上野 - 酒田間)と東北本線・高崎線・上越線・信越本線・羽越本線経由の夜行客車急行「鳥海」(上野 - 秋田間)を統合、旧「鳥海」の経路を踏襲し所要時間を短縮した寝台特急「出羽」(上野 - 秋田間、24系客車)を新設する[47]。なお、上り夜行客車急行「鳥海」の最終列車(1982年11月14日秋田発)は車両運用の都合24系客車を一部座席扱いで使用する「鳥海52号」として運転された[78]。
- 昼行特急列車「いなほ」の上野発着便の名称を「鳥海」に変更。
- 1983年7月1日:季節夜行急行「おが」の使用客車(14系:全車座席車)と定期夜行急行「津軽」の使用客車(20系:A寝台・B寝台、普通座席車の3種類を設定)を14系客車に入れ替え。
- 混雑が続く「津軽」と季節急行「おが」の車両を交換し、ようやく事態は落ち着いたが、「津軽」から寝台車がなくなった。
- 1984年(昭和59年)2月1日:夜行急行「津軽」の座席車の一部をB寝台車に置き換え。
- 1985年(昭和60年)3月14日:東北・上越新幹線上野駅乗り入れに伴うダイヤ改正により、以下のように変更。
- 1986年(昭和61年)11月1日:国鉄最後のダイヤ改正で「あけぼの」減車実施。通常期は10両(電源車込み)となった[83]。同改正後も多客期にはB寝台車2両を増結した12両編成で運転されている[8]。
- 1988年(昭和63年)3月13日:青函トンネル開業による一本列島のダイヤ改正により、秋田発着の寝台特急「あけぼの」1往復を廃止。「あけぼの」は2往復に。これは「北斗星」運行開始に伴う車両捻出とされている[84]。
- 1989年(平成元年)5月:「あけぼの」2往復は多客期に増結車としてB寝台車2両を連結していたが、最繁忙期の1往復(3号・2号)にはJR東日本秋田支社が座席利用の企画切符を発売した関係上さらに座席車1両(14系座席車)を連結。8月にも同様の措置を実施した[85]。
- 1990年(平成2年)
- 1991年(平成3年)10月:山形新幹線第二期建設工事に伴い、以下のように変更。
- 臨時寝台急行「おが」を東北本線・北上線・奥羽本線経由に変更。
- 臨時急行「あきた」を東北本線・陸羽東線・奥羽本線経由に変更。
- 1992年(平成4年)
- 1993年(平成5年)10月1日:夜行急行「津軽」の使用車両を485系電車から583系電車に変更。
- 1993年(平成5年)12月1日:以下のとおり変更[90]。
- 上野 - 小牛田間の牽引機関車がEF65およびED75からEF81によるスルー運転となる。
- 寝台特急「出羽」(上野 - 秋田間)は「鳥海」(上野 - 青森間)に統合されて消滅。「出羽」の停車駅だった水上駅と吹浦駅が停車駅から外れる。
- 夜行急行「津軽」を臨時列車に格下げ。
寝台特急「出羽」停車駅
- 上野駅 - 大宮駅 - 高崎駅 - 水上駅 - 新津駅(上りのみ) - 新発田駅(上りのみ) - 村上駅 - あつみ温泉駅 - 鶴岡駅 - 余目駅 - 酒田駅 - 遊佐駅 - 吹浦駅 - 象潟駅 - 仁賀保駅 - 羽後本荘駅 - 秋田駅
- 吹浦駅は1985年(昭和60年)のダイヤ改正で、寝台急行「天の川」の廃止により追加。
- 1994年(平成6年):季節臨時夜行急行「天の川」(全車座席車)、「おが」(2段式B寝台車連結)廃止。
- 1996年(平成8年):上野 - 秋田間を上越線・羽越本線経由で運行する臨時急行列車「うえつ」が運転される。臨時寝台特急「あけぼの」81号・82号を廃止。
秋田新幹線開業以降
- 1997年(平成9年)3月22日:寝台特急「鳥海」は「あけぼの」に統合されて消滅。「あけぼの」は「鳥海」の運行経路を踏襲[91]。
- 1998年(平成10年):臨時夜行急行「津軽」、同年年始の運行を最後に廃止[92]。なお、「津軽」と同じく臨時急行として残されていた「八甲田」も同年夏の設定が最後となり、同年の年末以降は後述のリバイバル運転を除き上野 - 青森間の臨時急行自体が設定されなくなった[93]。
- 2001年(平成13年)12月29日(下り上野発)・2002年(平成14年)1月3日(上り青森発):臨時急行「なつかしの津軽」が、陸羽東線経由で14系客車(座席車)を使用してリバイバル運転された[94]。
- 2002年(平成14年)
- 2003年(平成15年)12月下旬 - 2004年(平成16年)1月上旬:上野 - 弘前間を運行する臨時夜行特急列車「特急583系ゴロンと号」(12月23日弘前(浪岡)始発・1月4日上野始発)と「ふるさとゴロンと号」(12月27日上野始発・1月3日弘前(浪岡)始発)が運行される。
- 2004年(平成16年)10月23日 - 2005年(平成17年)3月24日:新潟県中越地震による上越線不通の影響により、上野 - 秋田間で運休[97]。秋田 - 青森間は臨時特急「かもしか」91号・92号が全車自由席で、「あけぼの」のダイヤを使用して振替輸送。ただし、車両運用の関係で一時期、ディーゼル車による快速列車として運転[要出典]。
- 年末年始に運転が予定されていた臨時特急「ふるさとゴロンと号」[98] は運休となる。
- 2005年3月25日:中越地震の影響により運休していた上野 - 青森間が運転再開[99][100]。
- 2005年12月25日 - 2006年(平成18年)1月18日:JR羽越本線脱線事故による影響で、「あけぼの」が運休。なお、年末年始に運転が予定されていた臨時特急「ふるさとゴロンと号」(この時期から上野 - 青森間に運行設定変更[101])は、2年連続で運休[102]。
- 2006年7月13日 - 8月8日:羽越本線土砂崩れの影響により「あけぼの」が海の日を含む3連休は東北本線・北上線経由の迂回運転を行い、その後は運休[要出典]。
- 2006年12月29日・2007年(平成19年)1月4日:上野 - 青森間を運行する臨時夜行特急列車として「ふるさとゴロンと号」が運転。2003年12月 - 2004年1月以来、3年ぶりの運転となる。なお、12月29日は下り、1月4日は上りのみの運転[103]。
- 2007年12月29日・2008年(平成20年)1月2日 :上野 - 青森間を運行する臨時夜行特急列車として「ふるさとゴロンと号」が運転[104][105]。また、オリジナルの方向幕も用意された[要出典]。
- 2009年(平成21年)3月14日:運行の定時性を保つため、上野 - 長岡間の牽引をEF64に置き換え[19][20]。また、8号車(ゴロンとシート)が禁煙となった[106]。
- 2010年(平成22年)
- 2011年(平成23年)
- 3月11日 - 3月31日:東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の影響により運休[107][108]。
- 7月26日 - 8月9日:平成23年7月新潟・福島豪雨により運休。
- 8月10日 - 8月12日:東北本線・北上線経由で迂回運転を実施[109]。
- 2012年(平成24年)12月29日:上野→弘前間・2013年(平成25年)1月3日:弘前→上野間を運行する臨時夜行列車として、583系を使用した「あけぼの81号・82号」が設定される。同列車の臨時列車は16年ぶり(上越・羽越線経由の運行は初)、583系の運行は17年ぶりとなる[12]。
- 2014年(平成26年)
「あけぼの」定期運用最終日編成 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
← 上野 青森 →
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- 2015年(平成27年)
- 1月3日 - 1月4日:上り列車は3日発、下り列車は4日発の臨時列車運行。B個室ソロが編成から外されての運行だった[16][17]。この運行をもって、臨時列車としても運行設定がなくなった。春季以降は老朽化により運行状況が厳しいことから[111]、臨時列車での運行も終了した[4]。
- 4月2日:小坂鉄道レールパーク(秋田県小坂町)への展示予定に向けた整備のために、オハネフ24 12、スロネ24 551、オハネ24 555、カニ24 511が秋田総合車両センターへの輸送がなされた[112]。それに伴い、該当4両は4月3日付けで廃車となっている[113]。
- 9月 - 11月:青森車両センター所属の24系客車が、長野総合車両センターへ廃車を前提とした配給輸送がなされている[114]。また、11月1日に所属の9両、11月8日にさらに9両、11月15日にさらに9両が秋田港に海外譲渡を前提とした配給輸送されている[115][116]。(24系客車(青森車両センター)を参照)
- 2016年(平成28年)3月26日:定期運行終了後の秋田 - 青森間における立席特急券・指定席特急券の代わりに毎日運転の臨時特急「つがる1号・10号」を部分代替していたが、ダイヤ改正における「つがる」の運行の見直しにより同時間帯の秋田 - 弘前駅と弘前 - 青森駅の普通列車に分割で置き換えられる[110][117]。
- 2018年(平成30年)6月16日:湯沢 - 男鹿間で急行「おが」がリバイバル運転される。途中停車駅は横手駅、大曲駅、刈和野駅、羽後境駅、秋田駅、土崎駅、追分駅、二田駅、羽立駅[118]。
- 2019年(令和元年)7月27日 - 7月28日:秋田 - 青森間で急行「津軽」がリバイバル運転される。途中停車駅は、昼行の81号・82号が八郎潟駅、森岳駅、東能代駅、二ツ井駅、鷹ノ巣駅、大館駅、碇ヶ関駅、大鰐温泉駅、弘前駅、浪岡駅、新青森駅で、夜行の83号が八郎潟駅、弘前駅、新青森駅[119]。
注釈
- ^ 長岡駅では、牽引する機関車の交換を行う。
- ^ 羽越本線での迂回時は通常は秋田機関区のED75 700牽引することとなっていた[27]。
- ^ 1973年2月1日から1978年10月2日まで、仙台駅構内での東北新幹線建設工事のため深夜運行の旅客列車は宮城野貨物線を迂回していたため、迂回列車がさらに迂回するという珍事となった。
- ^ 1975年3月ダイヤ改正で20系客車を使用した寝台特急「北星」が登場し、「北星」牽引用に宇都宮運転所所属のEF58にもP化改造(AREBブレーキを備えた20系客車牽引するにあたって、ブレーキ増圧用の元空気溜め管を増設改造)した車両が登場したので、1975年3月改正以降は上野口においてもEF58牽引 20系客車も可能になった。
- ^ 当日担当したC58は小牛田機関区所属の本務機「C58 122」・後補機「C58 228」で重連運転が行われ、国鉄線内で蒸気機関車が定期特急列車を牽引した最後の事例とされていたが、2008年になって、1973年5月9日にC57が重連運転で寝台特急「彗星」の牽引したことが判明した。
- ^ 牽引は下りの上野 - 黒磯間をEF58、黒磯 - 小牛田間と新庄 - 青森間は上下列車ともED75 700、小牛田 - 新庄間は上下列車ともDE10、上りの黒磯 - 上野間はEF65 1000が担当した。
- ^ 1990年代前半まで繁忙期には、上野 - 弘前間に1往復 - 2往復の臨時列車を運行していた。
- ^ 運転停車駅は黒磯駅・福島駅・米沢駅・山形駅。臨時列車(8月11日 - 8月13日・品川始発)で設定された時点では東京駅および上野駅も運転停車だった。
- ^ 同様の事情で「瀬戸」もナシ20形連結を外されている。
- ^ 方転は9月1日から4日にかけて行われ、「あけぼの」は9月1日上野発、「鳥海」は9月1日青森発、「出羽」は9月2日上野発からそれぞれ方転編成が運用入り[87]。
- ^ 当時はまだ電化されておらず客車中心の時代で、電化後は交流区間で直流電車が走行することはできない。
出典
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- ^ ナハ21形の定員は64名で、ダイヤ改正前に使用していた12系はオハ12が88名、スハフ12・オハフ13が80名である。
- ^ ダイヤ改正前は「十和田」3・4号に使用されていた車両で、3号は盛岡まで全車指定席、盛岡 - 青森は全車自由席としてそれぞれ使用され、4号は全区間自由席として使用していた。
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- ^ 斉宮則仁、2016、「小坂鉄道レールパークに...泊まる !」、『鉄道ファン』56巻(通巻661号(2016年5月号))、交友社 pp. 100 - 104
- 1 あけぼの (列車)とは
- 2 あけぼの (列車)の概要
- 3 概要
- 4 運行概況
- 5 急行「津軽」
- 6 奥羽本線・羽越本線夜行列車の沿革
- 7 登場した映画・テレビドラマ
- 8 参考文献
- 9 関連項目
- あけぼの (列車)のページへのリンク