あけぼの (列車) 運行概況

あけぼの (列車)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/26 16:13 UTC 版)

運行概況

上野 - 青森間を1日1往復、2014年3月までの定期運行時は約12時間30分をかけて運行していた[6] が、臨時列車化後は、上り列車の所要時間が13時間9分、下り列車の所要時間が14時間46分[7] と定期列車時代より延びた。

なお、東北新幹線が八戸駅まで延伸となった2002年12月1日以降は、首都圏東北地方を結ぶ唯一の定期夜行列車となった。本列車の定期運行終了により、青森駅を発着する「定期寝台特急列車」が消滅した。

停車駅

上野駅 - 大宮駅 - 高崎駅 - (新津駅) - (新発田駅) - 村上駅 - あつみ温泉駅 - 鶴岡駅 - 余目駅 - 酒田駅 - 遊佐駅 - 象潟駅 - 仁賀保駅 - 羽後本荘駅 - 秋田駅 - 八郎潟駅 - 森岳駅 - 東能代駅 - 二ツ井駅 - 鷹ノ巣駅 - 大館駅 - 碇ケ関駅 - 大鰐温泉駅 - 弘前駅 - 新青森駅 - 青森駅

使用車両・編成

「あけぼの」
定期列車末期および臨時列車時の編成図
← 上野
青森 →
2015年1月4日までの編成図
1 2 3 4 5 6
B B B B B B EG
2014年8月19日までの編成図
1 2 3 4 5 6
B B B B B1 B EG
定期列車末期(2014年3月15日まで)における編成図
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
Fゴ B B B B1 B1 A1 B B EG
なお、9号車・10号車は多客期のみ連結。
本節における座席種別凡例
A1=1人用A寝台個室「シングルデラックス」
B1=1人用B寝台個室「ソロ」
B=開放式B寝台
ゴ=普通車座席指定席「ゴロンとシート」
Fゴ=女性専用普通車座席指定席
「レディースゴロンとシート」
EG=電源車
=禁煙車

客車

2010年代における定期列車末期および臨時列車化後における使用車両
青森車両センター(現在:盛岡車両センター青森派出所)所属車が使用されていた。
  • 1980年に20系客車を置き換えた際に「あけぼの」に投入された車両は24系24形(置き換えに際して青森運転所から秋田運転区に転属)であったが、1982年の「ゆうづる」削減に伴う「あけぼの」増便(2往復から3往復に増便)により「あけぼの」3号・4号(上野 - 青森間)に「ゆうづる」1往復と共通運用の形で青森運転所の24系25形編成が投入された。しかし国鉄分割民営化直前の1987年3月になって24系25形の北海道乗り入れ改造を行う都合からも「ゆうづる」運用に24系25形を集中することになって「あけぼの」と「ゆうづる」の運用を分離、「あけぼの」は定期運行の全列車が秋田運転区所属の24系24形運用となった[8][9]
  • 1988年の「北斗星」運行開始に伴い南秋田運転所(秋田運転区から改称)所属の24系24形は全車青森運転所に転属し、「あけぼの」運用も同所へ移管、以後は24系24形を主体とし一部のB寝台車に銀帯のオハネフ25形・オハネ25形を組み込む編成で運転されていた[10]。2002年の「はくつる」廃止と2012年の「日本海」定期運行終了以降は、同列車に使用されていた3本金帯を巻いたオハネフ25形・オハネ25形が編成に組み込まれることが多くなり、白帯の24系24形、金帯の24系24形および25形の混成編成で運行されていた。
過去の使用車両
1987年まで多客期に運行された全車座席車の臨時特急「あけぼの」51号・52号(1987年は「あけぼの」81号・82号として運転)で使用された。また、1989年には多客期の増結車として「あけぼの」3号・2号(上野 - 青森間)に1両連結されたこともあった。
1988年以降は多客期の臨時寝台特急「あけぼの」81号・82号で使用された。車両運用の都合により、1988年のダイヤ改正直前には定期「あけぼの」の一部列車を583系で代走[11] した。
2012年から2013年にかけての年末年始に再び臨時列車として使用された[12]
1983年夏の「あけぼの」51号に使用された[13]

客室

ソロ
B寝台個室「ソロ」は2014年3月15日までは全編成中、5号車・6号車が連結されていた。2段構造で、全28部屋。寝台定員は1名。補助ベッドはない。個室番号は、1階が1番・3番・5番 - 25番・27番(奇数番)、2階が2番・4番・6番 - 26番・28番(偶数番)となる。個室の扉には、利用する旅客が任意の暗証番号を設定して使用するテンキー式の錠が設置されており、カードキーを不要とした。
「北斗星」「北陸」などと異なり、通路が車両中央にあるタイプ。上段の個室へ登る階段は個室の外にあるため、下段の個室内への張り出しはほとんどないが、上段・下段とも個室内で着替えなどのために直立することができる場所はない。また、上段・下段とも寝台使用中は床が露出せず(折りたたみ式の座面を展開するとその下に隠れる)、特に寝台使用中は寝台以外の空間がないなど、「北斗星」のソロと比較して居住性は低い。しかし、開放式B寝台と同額で個室を利用できるので、非常に高い人気を維持していた。なお、上段窓の日よけは曲面のスライド式カーテンとなっており、晴れている日であれば寝台使用中に満天の星を満喫できるが、座席として使用する際の足を置くスペースが極めて狭いという難点があった。対して下段は床スペースが上段よりも比較的広く、座席使用時も落ち着ける空間となっていた。また、下段の個室は乗車時すでに寝台が展開された状態になっておりシーツも敷いてあるが、上段の個室は旅客自身で座面を展開して寝台を構成しシーツを敷く必要がある。これは上段の個室で寝台を構成すると、個室への出入りが非常に困難になる(座面を展開すると入口のおよそ半分を支障する)という構造上の問題でもあった。
2014年の臨時列車化に際して、1両・5号車に連結されていた[14][15] が、2014年末から2015年初に運転された際には連結を取りやめた[16][17]
開放式B寝台
開放式B寝台は、2014年3月15日までは、2号車 - 4号車と9号車・10号車に連結されていた。下り羽後本荘→青森間は立席特急券で、上り青森→羽後本荘間は指定席特急券で座席として利用できた。ただし、上り列車では利用できる車両は4号車のみである。このため4号車の夜行区間の寝台券は羽後本荘以南の区間のみの利用に限って販売されていた。下りでは、羽後本荘 - 大館間は4号車のみ、大館 - 青森間は3号車・4号車が利用できた。
2014年の臨時列車化に際して、当初は7両編成中5号車を除く5両が連結されていたが、2014年末から2015年初に運転された際には全車両がこの寝台車となった。また、臨時列車では上述の立席特急券、指定席特急券による乗車扱いは行わなかった。

定期列車時代に存在した客室

シングルデラックス
A寝台「シングルデラックス」(7号車)は、全11室の1人用個室であった。室内にはビデオモニターや、BGM装置が設置されている。ビデオモニターではビデオが放映されているが、機器の老朽化に伴い2011年9月30日出発の列車をもってサービスを終了した。基本的には映画が放映されており、2つのチャンネルから選べるようになっていた。
また補助ベッドが設けられ2名で使用することが可能であった。2名で使用する場合、1人当たりの寝台料金はB寝台個室の「シングルツイン」と同額となった。また、トイレ側1室を除いてベッドと反対側の壁の仕切(コネクトドア)が開閉できるようになっており、1番個室以外は最大4名で利用することができる(2番・3番、4番・5番、6番・7番、8番・9番、10番・11番)。
かつては磁気式カードキーが備えられていたが、その後改造し「ソロ」同様テンキー式の錠に変わっている[いつ?]
定期列車の運行終了により、臨時列車運行からも外されている[14]
ゴロンとシート
「ゴロンとシート」(8号車・禁煙席)・「レディースゴロンとシート」(1号車・女性専用席・禁煙)は簡易寝台。浴衣、枕、掛け布団、シーツは一切ないものの、設備そのものは通常の2段式(開放式)B寝台をそのまま使用。指定した一人用の寝台を一人で使用できた点は、従来の寝台と変わらなかった。なお、指定券の券面の列車名は、ゴロンとシートが「あけぼの(ゴロンと)」、レディースゴロンとシートが「あけぼの(レディゴロ)」と表記される。
寝台特急「サンライズ瀬戸出雲」の「ノビノビ座席」や急行「はまなす」の「カーペットカー」同様、寝台料金不要で横になって眠ることが出来るため、繁忙期は発売開始と同時に満席になることも多かった。
なお「ゴロンとシート」を利用して青森駅から東京都区内へ往復できる特別企画乗車券「ゴロンとシート東京往復きっぷ」が通年設定されていた[1][18]
また、「ゴロンとシート」によって編成された臨時列車「特急583系ゴロンと号」「ふるさとゴロンと号」が年末年始・お盆の多客期に運転されたこともあった(後述)。

機関車

EF64(1000番台)牽引の「あけぼの」(2009年5月 鶯谷 - 日暮里間)

()内は所属区所で、両者とも所属は当時。

運行終了時の牽引機関車
上野 - 長岡間を担当。上越線での走行のために設計されたともいえ、「北陸」が廃止された2010年3月13日のダイヤ改正より牽引を受け持つこととなった[19][20]。(2009年改正から2010年改正まではEF64 0が担当)
長岡 - 青森間を担当。かつては全区間を担当していたが、上越線での空転が多い上に高崎線・上越線の乗務運転士が運転しにくいという問題があった。このため2009年3月14日のダイヤ改正により、担当区間が長岡 - 青森間に短縮された[20][21]
過去の牽引機関車
2009年3月14日のダイヤ改正時に、長岡車両センターのEF64 1000の不足が懸念されたため、高崎車両センター高崎支所(現在:ぐんま車両センター)から転入[22]し運用に加わったが、翌年「北陸」の廃止によって運用に余裕が出たため、寝台特急運用から外れ、再び同支所に転出した[23]
上野 - 黒磯間を牽引。
登場当初から1993年12月まで、東北本線上野 - 黒磯間の牽引として従事した[24]
PFのブルートレイン牽引は「あけぼの」が最初である。なお、1971年の一時期に東京機関区所属の500番台が使用されたこともあった[25]。またレインボー専用色のEF65も牽引したこともある。
  • EF81
田端運転所所属
1993年12月から1997年3月まで上野 - 小牛田間で運用された。また、2006年には、E531系増備車甲種輸送・試運転に青森車両センターの双頭連結器装備車(136・139)が必要なことから、甲種輸送日実施前後を中心に「あけぼの」運用に充当された[26]。その後も、青森車両センター所属のEF81の点検や配給列車への充当などにより、上野 - 長岡間で代走を務めることがある。また、「北斗星」色や、「カシオペア」色、レインボー色のEF81が充当されることがあった。
酒田機関区所属
1980年5月に泉田駅で発生した貨物列車脱線事故による陸羽西線・羽越本線迂回時に使用[注 2]
長岡車両センター所属
2010年1月に長岡 - 上野間、2010年9月、2011年2月、2012年10月と2013年2月から3月まで、長岡 - 青森間で代走を務めた[28]
黒磯 - 福島間、陸羽東線経由に変更後は黒磯 - 小牛田間を牽引。
東北本線内では運転当初から1990年まで黒磯 - 福島間、1990年から1993年までは黒磯 - 小牛田間で運用。1970年の運転開始から1982年までは青森機関区(のちの青森東運転区)所属の1000番台、1982年に福島運転所へ運用を移管し1993年までは700番台が主に運用されたが、予備的な形で0番台も投入された。
奥羽本線内は山形 - 秋田間(1975年の羽前千歳 - 秋田間電化後、1990年以降は新庄 - 青森間)と秋田 - 青森間(1971年の秋田 - 青森間電化後)を秋田運転区所属の700番台、羽越本線経由への変更直前までは冬期の勾配区間空転対策として青森東運転区と秋田運転区の2両で、それ以外は青森東運転区所属機の単機運転で牽引した。
福島 - 山形間。当初はEF71牽引したが、20系の防火・汚物処理対応改造による重量増加により板谷峠での空転が頻発したため、補機の連結が常態化し、昭和55年10月改正からの一時期は粘着係数に勝るED78の2両が限定運用された[29][30]。また、運用末期の1990年7月には山形新幹線工事に伴う福島駅構内工事の関係で上り列車を郡山駅まで直通牽引し[31]、1991年2月には陸羽東線内での工事により奥羽本線経由で運転された下り列車の福島 - 新庄間をEF71の2両で牽引した[32]
2011年夏季に平成23年7月新潟・福島豪雨による上越線不通時に、8月10日 - 8月12日発で行われた上野 - 北上間を牽引していた。「北斗星」色と「カシオペア」色が充当されていた。
  • DD51(秋田機関区所属)
電化前の山形 - 青森間、秋田 - 青森間電化後の1971年10月1日以降は1975年11月25日の羽前千歳 - 秋田間電化まで山形 - 秋田間を牽引。
また、国鉄時代における奥羽本線内の工事時と、1973年4月に芦沢 - 舟形間で土砂崩壊による東北本線・北上線経由での迂回運転時[注 3]には北上 - 横手間を牽引した。
新庄 - 秋田間(1974年院内峠で発生した土砂崩壊および1980年泉田駅での貨物列車脱線事故による陸羽西線・羽越本線への迂回運転時に牽引)
陸羽東線経由に変更後の小牛田 - 新庄間を新庄運転区所属機が2両で牽引。
2011年夏季の平成23年7月新潟・福島豪雨による上越線不通時に、8月10日 - 8月12日発で行われた大宮 - 秋田間迂回運転(東北本線、北上線経由)において、北上 - 秋田間を牽引。
1970年 - 1980年代、上野 - 黒磯間において、EF65の代走および臨時列車で使用された[注 4]
ともに小牛田 - 新庄間。C58は1973年4月12日のみ、陸羽東線への迂回運転時に使用された[注 5]

担当車掌の所属

2009年6月 - 2014年1月時点での定期運行終了した直前の編成運行では、原則として上下とも秋田運輸区(JR東日本)が2人で担当し、秋田駅で交代した[33][34]

車内販売

2009年3月時点で、秋田 - 青森間における車内販売は取りやめとなっていた。それが故に下り青森行きの乗車においては、朝の秋田駅で食料調達目的で駅弁販売や飲み物の買い込みに必死になっていたと言う[35]。なお、2014年3月7日から定期運行が終了した3月15日まで、「花善の鶏めし」が車内販売で販売された[36][37]。詳細は花善#鶏めしを参照。


注釈

  1. ^ 長岡駅では、牽引する機関車の交換を行う。
  2. ^ 羽越本線での迂回時は通常は秋田機関区のED75 700牽引することとなっていた[27]
  3. ^ 1973年2月1日から1978年10月2日まで、仙台駅構内での東北新幹線建設工事のため深夜運行の旅客列車は宮城野貨物線を迂回していたため、迂回列車がさらに迂回するという珍事となった。
  4. ^ 1975年3月ダイヤ改正で20系客車を使用した寝台特急「北星」が登場し、「北星」牽引用に宇都宮運転所所属のEF58にもP化改造(AREBブレーキを備えた20系客車牽引するにあたって、ブレーキ増圧用の元空気溜め管を増設改造)した車両が登場したので、1975年3月改正以降は上野口においてもEF58牽引 20系客車も可能になった。
  5. ^ 当日担当したC58は小牛田機関区所属の本務機「C58 122」・後補機「C58 228」で重連運転が行われ、国鉄線内で蒸気機関車が定期特急列車を牽引した最後の事例とされていたが、2008年になって、1973年5月9日にC57が重連運転で寝台特急「彗星」の牽引したことが判明した。
  6. ^ 牽引は下りの上野 - 黒磯間をEF58、黒磯 - 小牛田間と新庄 - 青森間は上下列車ともED75 700、小牛田 - 新庄間は上下列車ともDE10、上りの黒磯 - 上野間はEF65 1000が担当した。
  7. ^ 1990年代前半まで繁忙期には、上野 - 弘前間に1往復 - 2往復の臨時列車を運行していた。
  8. ^ 運転停車駅は黒磯駅・福島駅・米沢駅・山形駅。臨時列車(8月11日 - 8月13日・品川始発)で設定された時点では東京駅および上野駅も運転停車だった。
  9. ^ 同様の事情で「瀬戸」もナシ20形連結を外されている。
  10. ^ 方転は9月1日から4日にかけて行われ、「あけぼの」は9月1日上野発、「鳥海」は9月1日青森発、「出羽」は9月2日上野発からそれぞれ方転編成が運用入り[87]
  11. ^ 当時はまだ電化されておらず客車中心の時代で、電化後は交流区間直流電車が走行することはできない。

出典

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  76. ^ ナハ21形の定員は64名で、ダイヤ改正前に使用していた12系はオハ12が88名、スハフ12・オハフ13が80名である。
  77. ^ ダイヤ改正前は「十和田」3・4号に使用されていた車両で、3号は盛岡まで全車指定席、盛岡 - 青森は全車自由席としてそれぞれ使用され、4号は全区間自由席として使用していた。
  78. ^ 『鉄道ファン』1983年3月号、交友社、1983年、36頁。 
  79. ^ 『鉄道ファン』1983年2月号、交友社、1983年、112頁。 
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  124. ^ 斉宮則仁、2016、「小坂鉄道レールパークに...泊まる !」、『鉄道ファン』56巻(通巻661号(2016年5月号))、交友社 pp. 100 - 104





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