ISILによる動画の公開以前とは? わかりやすく解説

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ISILによる動画の公開以前

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/01 21:18 UTC 版)

ISILによる日本人拘束事件」の記事における「ISILによる動画の公開以前」の解説

2013年12月 - 元ミリタリーショップ経営者湯川遥菜が、千葉市実家訪れ家族対し、「生きること限界覚えた」「人生ラストチャンス」などと話す。湯川はミリタリーショップの倒産や、妻の病死などを経験したあと、実家とは長年連絡絶っていた。 2014年1月 - 湯川東京都江東区青海ピーエムシー株式会社国際民間軍事業、国外警護紛争地域等での援護)を設立し最高経営責任者就任日本船を護衛することが夢だったという。 2月 - 湯川インドレバノン渡航[要出典]。 4月 - 湯川単身初めシリア訪れ北部自由シリア軍拠点拘束されていたところ、自由シリア軍通訳依頼されフリージャーナリスト後藤健二仲介助けられ後藤知り合いになる。湯川は穏やかで親しみやすい性格だったため、英語は流暢でなかったものの、反政府勢力兵士たち受け入れられ武装勢力案内アレッポ訪れたのち帰国したが、帰国後もメールフェイスブック通じて武装勢力メンバー交流続けて、「次はいつ来るのか。」などと再度訪問誘われた。また湯川後藤とも、帰国後も会食に行くなどして、交流続いた6月 - 湯川が、後藤同行依頼し助手称して後藤とともにイラク入国7月27日 - 湯川が、帰国した後藤別れ後藤反対無視してシリア行き決意しイスタンブールから空路単身ガズィアンテプに入る。 7月28日 - 湯川が、シリア援助したいとしてガズィアンテプから陸路キリス経由シリア入国その後所持金奪われたと話してイスラム戦線保護され以降イスラム戦線自由シリア軍混成部隊同行8月14日 - 湯川が「現場からリポート書きたい。」として、反政府勢力ISIL戦闘同行しその際ISILアレッポ拘束される8月16日 - 在シリア大使館内戦隣国ヨルダン避難し業務中)にシリア北部アレッポ日本人拘束されたとの一報入り、ただちに日本政府伝達された。在シリア日本大使館は、16日夕(日本時間同日夜)に現地対策本部設置し17日日本人とみられる人物拘束され可能性があることを明らかにした(現地対策本部本部長馬越正之駐シリア臨時代理大使)。 8月17日までにISILインターネット広報ツイッターアカウントで、拘束され日本人とみられる男性映像公開された。地面の上押さえつけられ、男らが「どこから来たのか」「仕事は」などと英語で尋問男性は「日本人のハルナ・ユカワ」と名乗り、「自分兵士ではない。カメラマンだ」「医師だ」などと説明したが、「なぜ武器持っているのか」と糾弾される。その後、同ツイッターアカウントで、カメラマンではなく民間軍事会社PMC JAPANCEO最高経営責任者であると同社HPサイトURLと共に発表される。また所持していた田母神俊雄並んで写真など公開される。なお、「PMC JAPAN」の業務内容に、様々な軍事的活動と「治安安定危険地域での情報収集活動」が、記載されている。これら民間軍事会社経営している旨の情報は、Twitterより発信された。8月末には拉致され日本人救出中田考動いた報道がある。ただし、中田公安警察マークされているという情報報道されている。 9月ジャーナリスト常岡浩介ISIL司令官から、湯川について「見せしめ死刑はしない。」「身代金取らない。」と聞く後藤シリア渡航計画知った外務省10月までの間に3回中止求めた電話2回、面接1回)。 10月8日 - 後藤東京都内スタジオからTBSひるおび!」に生出演10月22日 - 後藤日本出国10月24日 - 後藤キリスシリア反政府武装勢力管理する国境検問所通りシリア入国しシリアガイド合流10月25日 - 後藤が、ガイドとともにアレッポ郊外マレア入りガイド反対押し切り湯川助けるため別のガイドとともにISIL支配地域にあるラッカ向い消息を絶つ10月29日ごろ - 後藤帰国予定日10月末 - 東京都に住む後藤の妻が、外務省相談11月1日ごろ - 「シリア同行したガイド裏切られ武装グループ拘束された」とトルコ知人電話連絡があった。 11月上旬 - ISIL関係者名乗る人物から数十億円の身代金要求するメール家族届いた 12月初旬 - 後藤の妻がメール気づいて開封し外務省相談する以後1月までに約10通のメール後藤の妻に送信され当初10億円、のちに約20億円の身代金の要求なされた事件発覚当初外務省後藤の妻とシリア現地ガイド口止め行っていた。この事実翌年1月20日まで公にされることはなかった。 12月中下旬 - この頃までイスラム戦線が、湯川解放交渉ISIL対し2,3行ったが、ISIL国家との交渉に拘ったため頓挫後を継ぐ形で中東国家交渉行っていたが、その後交渉打ち切りとなった1月17日 - 安倍首相カイロでの経済会合にて「イラクシリア難民避難民支援トルコレバノンへの支援をするのは、ISILもたらす脅威を少しでも食い止めるためです。地道な人材開発インフラ整備含めISIL闘う周辺各国に、総額で2億ドル程度支援お約束ます。」と発言

※この「ISILによる動画の公開以前」の解説は、「ISILによる日本人拘束事件」の解説の一部です。
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