ISILによる拘束
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/04 09:34 UTC 版)
「後藤健二 (ジャーナリスト)」の記事における「ISILによる拘束」の解説
2014年10月22日に「海外出張に行く。29日午前中に帰国する」と友人に告げ、日本を出国した。渡航計画を知った日本政府は後藤の身を案じ渡航中止を打診したが、後藤の意志は強かった。10月24日にトルコ南部のキリスからシリアに入国し、クリスチャントゥデイのコラムのメールを送信し、10月26日に掲載された。10月25日にISILの支配地域への潜入の目的を語ったビデオメッセージをシリア人ガイドに託し、シリア北部のアレッポ県から別のシリア人ガイドと共にISILの支配地域へと入った。シリアではガイドが何人か代わっており、最後のガイドがISILに通じていて騙されたのではないかという見方がある。帰国予定の10月29日になっても戻らず、行方不明となった。 2014年11月1日頃に「シリアに同行したガイドに裏切られ、武装グループに拘束された」とトルコの知人に電話連絡があった。この数日後にISILの関係者を名乗る人物から数十億円の身代金を要求するメールが家族に届いた。2015年1月20日になり、ISILが日本国民と日本政府に向けたビデオに別に人質となっていた湯川遥菜と共に登場し、ジハーディ・ジョンとして知られるISILメンバーの男性が「72時間以内に2億ドルの身代金の支払いがないと両人質を殺害する」と述べた。日本政府は現地対策本部をトルコにではなくヨルダンに設置することをわずか3分の緊急会合で決めた。1月23日、母親が記者会見を行い「健二はイスラム国の敵ではない」と訴えたが、夫曰く精神的に混乱状態だったため、原子力エネルギーに関する意見など、配布された声明文とは直接関係のない発言をする面も見られた。数百人の外国特派員・日本のマスコミ陣を前に、78歳の母親の会見が混乱したことについて参院議員の有田芳生も同じ意見だった。会見の中で広島と長崎への原爆投下に言及した理由について、米国やヨルダンなど有志連合による空爆にあえいでいる「イスラム国」に対して、日本は唯一の被爆国として同じ被害国であり、「日本は『イスラム国』の敵ではない。空爆する有志連合と日本を同一視しないでほしい」との趣旨のメッセージを込めたと母親は社会新報2015年2月18日号(田中稔記者執筆)で説明している。 1月24日午後11時に殺害された湯川の写真を掲げる動画がインターネット上に流れ、後藤とされる声(英語)で湯川を殺害したという声明が出された。 同声明の中には2005年にヨルダンの首都アンマンで発生した爆弾テロ事件(2005年アンマン自爆テロ)の実行犯として収監中のサジダ・リシャウィの釈放を要求するものが含まれていた。
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