ISILによる破壊
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「ISILによる文化遺産の破壊(英語版)」および「パルミラ攻防戦」も参照 2014年6月よりシリア内戦に乗じてカリフ制によるイスラム過激派組織ISIL (IS) が参戦し、2015年5月にホムス県東部に侵攻してシリア軍を撃破し、5月20日にパルミラを制圧。遺跡も同組織の支配下に置かれた。そして6月27日、パルミラ博物館にあったアラート神殿のライオン像(英語版)が破壊された(2017年に修復後、ダマスカス国立博物館(英語版)に展示)。7月には遺跡の保護に携わっていた専門家ハレド・アサドがISILに拘束され、翌8月に斬首・処刑された。ハレド・アサドは、遺跡に眠ると噂されていた金塊捜索への協力を拒否したため殺害されたといわれる。そして8月23日にバールシャミン神殿(英語版)、8月30日にベル神殿を相次いで破壊した。9月初頭にはエラベールの塔墓を含む塔墓の破壊が確認された。衛星画像によれば、塔墓は8月27日から9月2日までにエラベールの塔墓のほか3基(71号塔墓、Julius Aurelius Bolma の塔墓、Kithoth Tomasu の塔墓)が破壊され、それ以前の6月26日から8月27日の間にも3基(Banai 家の塔墓、ヤンブリク〈イアムリク、Iamliku〉の塔墓、アテナタン〈Atenaten〉の塔墓)の破壊が認められた。さらに10月4日には記念門(英語版)(凱旋門)が爆破された。 ロシア空軍による航空支援を得てシリア軍が交戦していたが、2016年3月25日、シリア国営テレビ(英語版)は、ISILからパルミラ全域を奪還したと報じた。しかし、ISILが敗走する前に、アラブ城(英語版)に甚大な被害を与えていたことが確認された。奪還直後の3月のうちにシリア文化財博物館総局(英語版) (DGAM) によりパルミラ博物館の安定化措置が講じられ、翌4月4日には、ポーランドやフランスの専門家らとともにパルミラの被災状況の調査と修復・移送を開始した。また、ユネスコの提案に同調してシリア文化財博物館総局は、パルミラ遺跡および博物館の状況の記録と損害の程度の査定ならびに被害に対する安定化を実施していった。 2016年5月5日には、ロシア軍の支援によるパルミラ奪還を記念し、ISILの占拠時に処刑場とされたパルミラのローマ劇場(英語版)において、ロシアの指揮者ヴァレリー・ゲルギエフによるサンクトペテルブルクのマリインスキー劇場管弦楽団の演奏会が開催された。しかし、シリア内戦が継続するうちに、同年12月11日、パルミラはISILに再び制圧された。そして2017年1月、ローマ劇場の正面部分、それに四面門の大半が爆破された。 2017年3月2日、国営シリア・アラブ通信社(英語版) (SANA) は、シリア軍がISILから再びパルミラ全域を奪還したことを報じた。直ちに文化財博物館総局によって遺跡の被害が調査され、新たに破壊されたローマ劇場と四面門以外、被害は比較的軽微であることが確認された。その後、シリアの文化財博物館総局らが、日本など国内外の機関・団体と連携し、専門家の協力を得ながら破壊された彫像の修復ならびに遺跡の調査・修復を図っている。
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ISIL(イスラーム国)による破壊
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「ドゥル・シャルキン」の記事における「ISIL(イスラーム国)による破壊」の解説
モースルのクルド人勢力当局者サイイド・マムジーニ(Saeed Mamuzini)によると、2015年3月8日にISIL(イスラーム国)がドゥル・シャルキンの略奪と破壊(英語版)を開始したと伝えられている。同日、イラク観光考古省(The Iraqi Tourism and Antiquities Ministry)が関連する調査を開始した。
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ISILによる破壊
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2014年半ばに北イラクを占領したイスラム過激派組織のISILは、2015年初頭、この地に残るイスラム教以前の遺跡や偶像をすべて破壊するという意図をメディアに明らかにし始めた。すでにモースルでは図書館の写本や書籍は燃やされ、預言者ヨナのモスクなどが破壊されていた。 2015年3月5日、イラク政府はISILが重機でニムルド遺跡を破壊しはじめたと発表した。。2015年4月11日、ISILは遺跡を爆破する映像を公開した。地上の遺構は完全に破壊されたとみられる。 国際連合教育科学文化機関(UNESCO)の事務局長イリナ・ボコヴァは、ISILがニムルドにブルドーザーを投入して遺構を破壊し始めたことについて「文化遺産の意図的な破壊は戦争犯罪である」と述べている。レバノンのシリア同盟(Syriac League in Lebanon)の代表であるハビブ・アフラムは、ニムルド遺跡破壊について「モンゴル帝国による中東の破壊をほうふつとさせる」「ISISは村や教会を破壊して我々の現在や未来を破壊するだけでなく、我々の文化や過去まで破壊しようとする」と述べている。2016年11月の航空写真では、重機により組織的にジッグラトが破壊され地ならしされている様子がとられられている。2016年11月13日、イラク軍は遺跡をISILから奪回した。統合作戦本部は遺跡の上にイラク国旗が掲げられ、遺跡の縁にあるアッシリア人の村ヌマニヤを確保したと述べている。奪回した時点でのニムルドは、地中から発掘された遺構の90%が完全に破壊されていた。大きな構造物はすべて損傷を受けており、ジッグラトは崩されて平らにならされ、アッシュルナチィルパル2世の宮殿のうち残ったのは半壊した壁がいくつかのみであった。門を守るラマッス像は粉砕されて破片が一帯にばらまかれていた。 ISILからの奪回後、イラク軍は雑草が生える野原となった遺跡を警備している。
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