ISILによる殺害とその反応
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 03:48 UTC 版)
「ハーリド・アスアド」の記事における「ISILによる殺害とその反応」の解説
2015年に入り、ISILに1カ月以上の拘束を受け、隠されたパルミラの遺品の場所を教えるように強要されたがそれを拒否し、公開処刑により斬首された。遺体はパルミラ遺跡の広場に位置するローマ時代の柱の一つに吊るされた。ニューヨーク・タイムズによると遺体には「パルミラ偶像崇拝の指導者、バッシャール・アル=アサドの協力者、異教徒と交流した棄教者」などと書かれたプラカードがぶら下げられていた。彼は1954年にバアス党のパーティに参加したことがあったが、バッシャール・アル=アサドの協力者であったという明らかな証拠は全くなかった。ただし、英エコノミストによると彼は忠実な支持者であったという。 歴史学者で著作家のトム・ホランド(英語版)は「単なる殉職者ではなく英雄だ」と語った。シリア遺跡管理当局のマムーン・アブドルカリム局長は、アサド氏を殺害したISILの殺人者を「パルミラにおける呪いと悪い前兆だ」と発言した。イタリアのダリオ・フランチェスキーニ文化大臣は「アサド氏に敬意を表し、イタリアの全ての美術館と文化的な団体の外に哀悼の印として旗を置くこと」を発表した。ユネスコとイリナ・ボコヴァ事務局長はISILの殺人を非難し「アサド氏はパルミラの貴重な歴史を我々が知ることができるようし、考古学者としての人生を捧げた」と語った。アメリカ国務省のスポークスマンのジョン・カービー氏は「可能な限り強い用語で、シリアの文化財を保存するのに人生を捧げた男性のこの殺人を非難する」と発言した。
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