カリフ制
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 00:00 UTC 版)
詳細は「カリフ」および「歴代カリフ一覧」を参照 カリフ制というのは、預言者ムハンマドが没したのちの632年にアブー・バクルが「カリフ(預言者の代理人)」に就任して以降続くイスラムにおける政治制度のことである。アブー・バクル、ウマル、ウスマーン、アリーのムハンマドの一族の互選による正統カリフ時代と、ムアーウィアを初代とする世襲カリフ王朝ウマイヤ朝、そしてそれを打倒したアル・アッバースを初代とするアッバース朝が成立した。しかし、アッバース朝がモンゴル軍に滅ぼされた1258年の「バグダードの戦い」以降「カリフ」はエジプトのマムルーク朝の庇護を受けていたが、オスマン帝国がマムルーク朝を滅ぼした時に「カリフ」の権威を継承したとされる。このオスマン帝国の「スルタン=カリフ制」は1923年にトルコ共和国が廃止を宣言するまで継続した。「スルタン=カリフ制度」はオスマン帝国の君主がスンナ派の権威を帯びただけの虚構的なもので、ISILはオスマン帝国のそれは無視している。《カリフ制》というのは、多くのイスラム諸国、多くのイスラム教徒から「理想の国家」「理想の政治体制」と認識されている。初期のイスラム運動の指導者ラシード・リダーやムスリム同胞団などでも、《カリフ制》を理想の国家として、カリフ制度の復活を目指しており、アルカイダにとっても《カリフ制》が理想的国家である。 ただし、カリフ制廃止(1923年)からずいぶん長い年月が経っているため、ほとんどのムスリムにとって、その役割などに関して具体的なイメージが湧かず、漠然としていて、曖昧な考えしか持っていない。そういう状況の中、ムスリム同胞団から分岐した解放党などは、《カリフ制度》を明確に理論化し、イスラムの国家制度の中に組み込もうとしている。このことについて「イスラーム国がカリフ制度が実現したかのようにみせたということに大きな意義がある」と前出の保坂は語っている。
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