カリフ位
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 19:32 UTC 版)
ウマイヤ朝によって、カリフ制度は王朝的支配の原理として確立された。ウマイヤ朝においてカリフ位はウマイヤ家の一族によって占められ、なおかつ14人のカリフのうちムアーウィヤを含めた4人は子にカリフ位を譲った。後に発展したスンナ派の政治理論では、正統カリフ時代は共同体による選出と統治委任の誓いによって統治に正統性が生じていたとされており、ウマイヤ朝はこの理論から逸脱している。しかし、嶋田 (1977)は、アラビアでは家長の地位が父から子に伝えられた事例は多く、カリフの父子継承は、ウマイヤ家の家長としての地位を譲ることを国家制度の領域にまで拡大させたことであるとしている。 ウマイヤ朝のカリフは全員がウマイヤ家の一族だが、最初の3代のカリフと残りの11代のカリフはウマイヤ家の中の異なる家系に属している。ムアーウィヤから第3代カリフであるムアーウィヤ2世まではムアーウィヤの父であるアブー・スフヤーンにちなんでスフヤーン家と呼ばれ、第4代カリフであるマルワーン1世以降のカリフは全員が彼の子孫であるため、マルワーン家と呼ばれた。
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