途中脱退した構成員
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ダミアン浜田(サタン45世)殿下(現・陛下) ギター、創設者、地獄の皇太子殿下(1982年12月 - 1985年2月)聖飢魔IIを結成した張本魔。初期の曲の殆どを作曲するが、自らの実父たるサタン44世大魔王陛下危篤のため、地獄へ帰還。(卒業とともに数学教師になるため脱退。) 1995年、1999年のミサにゲスト出演している。1996年に個悪魔大教典『照魔鏡』をリリースしている。 バンド脱退後、数学教師・軽音楽部顧問で14年間勤務。 聖飢魔IIの地球征服完了後、サタン45世として地獄大魔王に即位したとされる。以後、『ウラビデオ3』等では「ダミアン浜田陛下」と表記されるようになる。 魔暦22年(2020年)10月10日、10万59歳という世界最高年齢でメジャーデビューすることを発表。人類への悪魔による洗脳をより強固なものにすべく再び人間界に降臨することを決意し、ヘヴィメタルバンド『Damian Hamada's Creatures』を結成する。ギタリストとしてではなく、作詞・作曲・編曲として関わるとのこと。洗脳され、改臟人間と化したさくら“シエル”伊舎堂とプログレッシヴ・ロック・バンドである『金属恵比須』の大地“ラスプーチン”髙木、ケン“アレイスター”宮嶋、マスヒロ“バトラー”後藤、秀貴“ジル”栗谷、宏美“ローズ”稲益がメンバー。 ゾッド星島親分 ベース 1982年12月 - 1986年6月元地獄最高審問官閻魔 →ソニーレコードやZEPP SAPPORO支配魔を経て、2005年11月9日にソロ・ミニ教典『メタル・ローズ』をリリース。「かまし連発」にてベースを担当していた。 ジード飯島大将 ドラムス 1983年9月 - 1985年4月「当時地獄の皇太子だったダミアン殿下の衛兵として将来を嘱望されていたが、殿下が実父にして当時の大魔王サタン44世陛下危篤の知らせを受けて地獄に帰還する際、金で買収されて神の側に寝返ったため地上に追放された」とされる。追放後は、世を忍ぶ仮の姿で証券会社に就職したらしい。銀色の顔に赤いモヒカンヘアという容姿が特徴で、この容姿は後にライデン湯沢に一時的に受け継がれた(初期のライデンはジードに似た銀色の顔に赤いモヒカンヘアという容姿だった)。 聖飢魔IIが地球デビューする前、エース清水が初代ドラマーを退任してギタリストとして聖飢魔IIに復職するまでの期間にドラマーを担当していたが、彼はすべての曲を同じ速度で叩いていたと言われている。B.D.4年(1995年)に発布された聖飢魔IIのミサビデオ作品『オール悪魔総進撃! The Satan All Stars』内のダミアン浜田殿下とデーモン閣下の対談では、ダミアン浜田殿下が「魔界と地上では重力だとか、空気の密度だとか、その辺が違うんで、例えばドラマーにせよ、ついスピードが速くなってしまったりだとか……」とコメント、デーモン閣下はそれに伴い、「吾輩の記憶によると、(中略)あの段階(地球デビュー前)でもジード飯島は重力の違いを克服していなかったように吾輩は思うのであるけれども……今、10年前のビデオを繰り返し見ると、やはり彼のドラムは全ての曲が同じテンポで……ねえ?」と発言。ダミアン浜田殿下が苦笑しながら「そのとおり」といった内容を語っていた。 そんなジード飯島も、「オール悪魔総進撃! The Satan All Stars」地球デビュー10周年記念大黒ミサと、「The Ultimate Black Mass Final Three Nights」解散ミサ2日目「Satan All Stars' Day」ではプロのミュージシャンである現役聖飢魔IIに混ざって登場し、地上のスタジオを借りて特訓した成果が出たのか、その頃は大分「魔界と地上との空間の違い」は克服できていたようである。特に、解散ミサ2日目での登場直後に「魔王凱旋」後半部を演奏した際は、聖飢魔II名パワーヒッターライデン湯沢と入れ替わって演奏する位置づけだった事も意識したのか、非常にパワフルなドラミングを見ることができる。 現在は「かまし連発」にてドラムを担当している。 魔女RYO子嬢 キーボード 1983年9月 - 10月聖飢魔II唯一の女性構成員。長い歴史の中、白地に黒の線で書かれた小さなイラストでしかその姿を見ることはできなかったが、1999年のTHE ULTIMATE BLACK MASS
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