軽3輪トラックブームとは? わかりやすく解説

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軽3輪トラックブーム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/16 05:48 UTC 版)

オート三輪」の記事における「軽3輪トラックブーム」の解説

小型車規格オート三輪市場最盛期迎えていた1950年代前半1949年制定され軽自動車幅員規格拡大に伴い軽自動車規格オート三輪市場出現した。もともと当時軽自動車2輪ないし3輪の小型車想定したものであり、1924年制定され戦前無免許小型自動車規格(排気量最大350ccまで)とも類似した、この種の簡易な小型車両適合するカテゴリであった最初事例1952年大宮冨士工業(のち富士重工業合併)の「ダイナスター」で、同系列の富士自動車工業製「ラビットスクーター」のコンポーネンツ利用したものであった。また同年兵庫県西宮市光栄工業開発した「ライトポニー」は、前1輪エンジン回りドライブトレイン1つケース収め無動力の小径2輪装備した軽量構造荷台部分牽引させる設計で、操向時にはエンジンごと前輪旋回するという特異な構造前輪駆動車であり、少数特殊事例終わった続いて1953年以降ホープ自動車はじめとする中小零細新興メーカー既存機械メーカー細々参入したが、技術面では、より大型オート三輪縮小した設計で、耐久性の高い構造備えホープ自動車の「ホープスター」が先進的存在であった。 軽オート三輪開発では、ホープ式に大型車縮小設計用いるか、軽量二輪車ベース拡大発展させるかの2パターンがあったが、後者の例は初期の「ダイナスター」や浜松市零細メーカー相生モータースの「スパーク」(1954年)など僅かに留まり簡易構造脆弱さ酷使適さなかったために市場から早く脱落した。 またホープ亜流である堅実な大型車縮小タイプとしては「クノマック」(1954年 石坂商店)、「ムサシ」(1956年中島飛行機系の三鷹富士産業)、「ヤシマ」(1957年 八州自動車製作所)などがあったが、量産能力販売網問題抱えて成功には至らなかった。生産台数ある程度規模持てたホープ以外は少数で、この市場大きく広げるまでには至らなかった。部品既存製品パーツ流用によるアッセンブリー生産多く発展には限界があった。 小型オート三輪が同クラス4輪車に圧迫され始めた時期オート三輪業界リードしていた有力メーカーであるダイハツは軽オート三輪伸長に目をつけ、このニッチ市場への参入計画した同社1957年発売したミゼット」は、既存大手メーカーらしく酷使耐える十分な耐久性持たせながら、その資本力によって部品のほとんどが専用設計とされており、ホープスターなどの先発製品よりも軽易扱え、しかも廉価であった完成度の高さ加え既存販売網テレビコマーシャル活用ミゼット大ヒットする。 ミゼット成功は、既存オート三輪メーカー各社著し刺激与え以後1959年までに各社こぞって軽3輪トラック発売爆発的なブームとなった小型3輪トラックブーム期であった終戦後混乱期とは異なり1950年代後半ともなるとインフラ整い規格満たしたガソリン安定供給にもある程度見通しがついたことから、各メーカーエンジン技術でも様々な試み行っている。バリエーション多種多様で、排気量は300ccから360ccの範囲内であるが、クランクケース圧縮式2ストロークやOHV4ストローク単気筒だけでなく、3輪/4輪両用開発され直列2気筒バイク類似のV型2気筒存在した一見百花繚乱商品充実振りであったが、同時期の小型3輪トラック終焉並行し、軽3輪トラックほどなく同じよう後発4輪軽トラック追われることになる。小型3輪とは異なり、(軽自動車縛りのため)大型化極度なデラックス化には至らなかったが、ホープミゼット上回る設計としてドア付き密閉式キャビン・丸ハンドル並列2座席構造採用することが常識化した先発両車も同様にグレードアップした)。だがドア追加並列2座化に伴い単座オート3輪のような軽便性は上位小型3輪同様に失われ4輪車のように効率的なキャブオーバー構造を採れない3輪車弱点荷台短くなる)が、軽自動車規格による制限を受ける軽オート3輪顕在化した。 オート三輪メーカー各社の中で唯一軽3輪に手を出さなかった東急くろがね工業いち早く1959年キャブオーバー4輪軽貨物車「くろがね・ベビー」を発売して短期間だが成功収めた。そして、本格的な4輪軽乗用車の「スバル・360」を1958年発売していた富士重工は、乗用車ドライブトレーンベースとした完全な貨物車仕様モデル模索1961年キャブオーバー式の「サンバー」を発売して当時としては)小型乗用車同様の快適性と高い耐久性から、先発くろがね・ベビー駆逐するほどのヒット作となった積載性、操縦安定性ドライバビリティ(運転性)で軽4輪が軽3輪を凌駕していることは、実用上も明白であったこのため、非常に短期間ピーク迎えた軽3輪トラックブームは、1960年代に入ると完全な終焉至った既存の軽3輪メーカーのうち、上位メーカーは軽3輪の技術活かして4輪モデル早期開発市場投入することで転身生き残り図った技術的、あるいは経済的理由から“スバル匹敵する4輪車生産・販売する余裕のない新興中小メーカーは、ほとんどが1960年代前半軽自動車生産から早期撤退ないし倒産1970年代初頭時点最終的に独立したブランドを持つ自動車メーカーとして生き残ることができた元オート三輪メーカーは、ダイハツ東洋工業(現マツダ)、三菱のみであった。 軽3輪トラックメーカー1960年代中期以降小型オート三輪同様にダイハツ東洋工業のみとなった最後の2社が軽3輪から撤退したのは、東洋工業1969年ダイハツ1972年である。 このように非常に短期間終わった軽3輪トラックブームであったが、既存車が比較後年まで現存し1970年代 - 1980年代生まれ世代にも馴染み深いこと、また現在においても小型オート三輪比べて残存率が高く後の世代の人々目にする機会がある こと、『稲村ジェーン』や『ALWAYS 三丁目の夕日』、あるいは『こちら葛飾区亀有公園前派出所』等の1960年代 - 1970年代前半懐古的に描いた映画漫画等に頻繁に登場することなどから、一般にも「オート三輪」の名から軽3輪トラック(ことに「ミゼット」)をイメージする構図生じている。

※この「軽3輪トラックブーム」の解説は、「オート三輪」の解説の一部です。
「軽3輪トラックブーム」を含む「オート三輪」の記事については、「オート三輪」の概要を参照ください。

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