四輪車
4輪車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/02/26 06:07 UTC 版)
「アリエル (オートバイ)」の記事における「4輪車」の解説
アリエルが4輪車を生産していたのは、1900年から1915年にかけてと、1922年から1925年にかけての2度の期間である。 アリエルの最初の4輪車は、1902年に生産された10馬力の2気筒エンジンを積んだモデルだった。1903年には4気筒16馬力のモデルを開発。これらのモデルはいずれもフライホイール別体式の革製コーンクラッチを持っていた。1904年には早くも6気筒エンジンをチューブラーフレームのシャーシに積んだモデルが造られた。 1905年末には、エアロ・シンプレックス ( Aero-Simplex ) と呼ばれる全く新しいシリーズが発表された。このシリーズはメルセデスに範を取り、15馬力から30馬力の4気筒のモデルと、35馬力と40馬力の6気筒モデルがラインナップされていた。また1907年から1908年にかけて、アリエルは排気量15900ccで50馬力以上という当時としては途方もなく巨大な6気筒エンジンを搭載したモデルを950ポンドで販売していた。 1907年、アリエルはイギリス市場への参入を目論んでいたフランスの自動車メーカーであるローレイン・ディートリッヒ社 ( en:Lorraine-Dietrich ) にバーミンガムの工場を売却し、以後は造船会社のキャメル・レアード社 ( en:Cammell Laird ) から分かれたコヴェントリー兵器工場 ( en:Coventry Ordnance Works ) で自動車の組み立てを行った。しかし1910年にローレイン・ディートリッヒ社との契約を解消。また、当時製造していた1300ccの軽量モデルは第一次世界大戦の勃発によって生産中止に追い込まれた。 戦争が終わった1918年、アリエルはジャック・サングスターが設計したアリエル・ナイン ( Ariel Nine ) で小型車市場への参入を試みた。これはサングスターが以前ローバーで働いていた時に設計に携わったローバー・エイト ( Rover Eight ) に酷似した空冷2気筒エンジンのモデルだったが、結局この時の挑戦は失敗に終わった。 アリエルが55馬力の水冷水平対向2気筒996ccエンジンを搭載したモデルによって自動車市場に再度参入したのは1922年だった。このモデルは700台余りが生産され、同年に発表される4気筒1096ccのアリエル・テン ( Ariel Ten ) に繋がっていった。テンはギヤボックスをリアアクスルに直結した構造を持つモデルで、180ポンドで販売された。1926年にアリエルはオートバイの生産に集中するために4輪車市場から撤退するが、それまでに約250台のテンが生産された。
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