イギリス市場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/25 04:55 UTC 版)
イギリスでのサマーラの販売開始はソ連本国での発売から3年近く遅れたが、1987年11月には輸入された初期の分の在庫が一掃するといったように販売状況はかなり好調であった。当時の他のラーダ車と比較するとサマーラには近代的なハッチバック・スタイル、前輪駆動、新型エンジンの搭載といった大きな変化が見られた。しかし安っぽい樹脂部品の目立つ内装、標準以下の仕上げ、操縦性の質の低さといった点は同時期の西側諸国の競合車に匹敵する車を期待した者には落胆をもたらした。ラーダ車の主な顧客である車に割ける予算の限られている層は旧態化した従来のリーヴァを支持した。それにもかかわらずサマーラはイギリスやその他の輸出市場からの撤退が決定された1997年7月4日の時点でもイギリス国内で販売されていた。 幅広い顧客層に売り込む試みは失敗した。それ以前のラーダ車に加えられた改良を取り入れられていた一方でサマーラの上昇した価格は西ヨーロッパの厳しい競争に投じられた一石であった。サマーラが発売された時点のイギリス国内の小型ファミリーカー市場ははっきりと2つのセグメントに分割されていた。大型の方の「主流」の市場は、フォード、ボクスホール、フォルクスワーゲンといったメーカーに支配されていた。「割安」市場の方はシュコダ、FSO、ヒュンダイ、プロトンといった東ヨーロッパや極東のブランドで構成されていた。ラーダ・サマーラは割安市場にぴったりとあてはまる車であったが、イギリスでの販売年数が経るにつれシュコダ・フェイバリット (Škoda Favorit) 、ヒュンダイ・ポニー、プロトン・「エアロバック」 ("Aeroback") といった同セグメントの強力な競合車と直面することとなった。サマーラの当初の好調な販売は、デーウ、ヒュンダイ、キア、プロトンから新型車が投入され競争が激化すると急速に落ち込み、ラーダ車の販売は末期的な状況に追い込まれた[要出典]。JDパワー社がイギリスで実施した1996年から1997年の年度調査によるとサマーラは最下位に落ちていた。頑丈さが重視される国では幾らかの成功を収め、カナダ、オーストラリア、フィンランドといった国での販売は比較的好調であった。1996年から1997年の『トップ・ギア』の調査ではラーダ・サマーラはイギリス国内で購入するには最も満足度の低い車として名前が挙げられた。
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