英国内親日派の日本擁護論
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「トマス・バティ」の記事における「英国内親日派の日本擁護論」の解説
1930年代初期、英国の体制側の人々は概して親日的傾向にあった。ジョン・パードウによれば「体制側が極東について持っていた第一の関心は、『タイムズ』の社説が代表するように中国における英国の財政上の利益と貿易」だったのであり、1920 - 1930年代初期において、彼らは中国のナショナリズムをしばしば共産主義と結びつけて第一の脅威と観ていたからである。 しかし、多くの場合、彼らの極東情勢観は「中国における英国の財政上の利益と貿易」に対する脅威度の大小を極東政策における比重として重点を置いていたのであり、日本の脅威度を相対的に小さいと観た結果、その論理的帰結として親日・反中国的スタンスを採るという傾向が強かった。 その結果、1930年代中頃には『タイムズ』などの親日的傾向にあった体制側の人々の見解は「日本を中国における英国の財政上の利益の第一の脅威ととらえることで」容易に反日親中国的スタンスへと傾斜せしめ、中国国民党に対しある種の共通する利害関係を認識させるに至ったのである。 しかし、このような日本を脅威視する極東情勢観に対し、日英同盟に由来する親日派の人々、とりわけ英国陸軍関係者は否定的な立場をとっていた。その内の一人であるマルコム・D・ケネディは保守的な『デイリー・テレグラフ』に以下のように書いている。 英国に帰り、この国に広がっている、日本人の攻撃的な意図なるものについての考え方の多くが、どれほど奇妙に歪んでいるかを知って少々驚いている。(1935年1月) ロナルド.V.C.ボドリー、マルコム.D.ケネディ(どちらも英国陸軍士官から著述家に転向した)といった日英同盟に由来する親日派の人々は大英帝国が中国において直面している最大の脅威はソビエト連邦とそのイデオロギーであると考えていた。そして、親日派に陸軍関係者が多い事が示唆しているように、基本的に英国陸軍が組織として共有していた極東情勢観でもあった。 英参謀本部は日本軍の力を正しく評価し、日本が敵よりも味方でいることを望んでいた。1920年から21年の間、陸軍省は政府のいかなる省庁よりも強く日英同盟の延長を求めた。1937年まで、陸軍省は日本を潜在的同盟国として見続けていた。同省は両国の間に根本的な利害の衝突がなく、かつソ連という共通の脅威があると考えた。日本がアジアの安定を維持してくれているため、英国はロシアと再興したドイツという、英陸軍の懸念する二大問題に容易に対処できると信じていた。 — ジョン・フェリス、「英国陸・空軍から見た日本軍 1900 - 1939」『日英交流史 1600‐2000〈3〉軍事』 英国内の親日派は極東におけるソ連の領域的・イデオロギー的脅威を痛感していた、そして中国大陸での日本の行動は全てソ連の間接的侵略に対抗しようとする試みであると確信していたのである。 その一人であるロナルド・ボドリーは、1933年に上梓した著書『日本のオムレツ』(A Japanese Omelette)の中で、中国におけるソ連の脅威を認識していない人々の日本への態度に懸念を示している。 ヨーロッパやアメリカの政府の態度が問題である。彼らの政策は中国や日本で長く生活した経験を持つ者にとっては、分かりにくいのである。ロシアの脅威がある。ロシアの脅威については、私もそうだが、ロシア人が中国内部を移動し、動揺している国民のなかに入り込んだり、あるいは訓練の行き届いていない兵士たちの大群と接触を持つようになるまで、誰も認識できないのである。兵士の大群は、指導を受け組織されれば、他の世界の者たちと一緒になんだってやってしまうようになるだろう。20世紀の極東の未来をつくるにあたって日本が果たすべき役割は、二千年前にローマがヨーロッパおよびアフリカについてもっていた役割と同様に明白であり、このプロセスによってある種の苦痛が避けられなかったとしても、最終的な結果<中国の非共産主義化>は結果すべての人々にとって利益となるであろう。 — ロナルド・ボドリー『日本のオムレツ』 このような親日派の極東情勢観によれば、日本の対中政策はソ連の中国に対する赤化浸透戦略に対し「戦略と経済を真剣に考え抜いて行動した」結果であり、日本の行動は「ソ連が中国の不安定化につけ込む事を阻止」し、「アジアにおける共産主義の浸透を封じ込めるチャンスを世界に提供する」ものだった。 親日派の人々は「日本と英国には、中央アジアおよび極東におけるソ連の野望に対抗するという共通の利益がある」と信じ、日本との協調は英帝国の巨視的な利益を擁護するものであると確信していたのである。 そして、その一人であるマルコム・D・ケネディはこう主張する。日英が対立する事は望ましくないどころか、それは英帝国の利益に反することであり、日英間に戦争が起これば「このような戦争から利を得る唯一の国はソ連にちがいない。ソ連は資本主義列強がお互いを破壊しあうのを見ながら『形勢を見守る』のである。それから好機を捕らえて、介入するだろう。アジアをソヴィエト化するというずっと温めてきた計画を実行に移すのだ。日本はソヴィエト体制の拡大を阻止する能力と意思がある東アジア唯一の列強である。」 このように、日本と関わりが深く極東情勢に精通していた人々は日英間に存在する根本的な問題とはソ連とそのイデオロギーであると考え、そして彼らはソ連の脅威を強く意識し、日英の提携を望んだ人々であった。 彼らはソ連の中国での影響拡大を望んでいなかった。『タイムズ』の中国特派員オーウェン・M・グリーンは国際連盟とその活動に言及することを避け、満州事変が中国の内政にどのような影響をもたらすのかについて以下のように述べている。 「全世界にとってとくに深刻なのは、急進派、すなわちナショナリスト左派の台頭である。この連中は広東軍に率いられているが、広東軍の最高実力者はユージン・チェン〈陳友仁〉で、5年前にはロシアの手先であるボロディンと密接な関係を持っていた」 そして、グリーン(極東情勢に精通する人々と言い換えてもよい)にとって、起こりうる最悪の帰結は、中国で共産主義が増大することだった。 このような見解を有する人々にとって、根本的な問題は日本の政策が国際法に違反しているかどうかということではなかった、どのようにすれば中国での共産主義勢力の浸透・拡大を防ぐかが問題であったのである。 そして、1920年代から1930年代にかけて世界政治における日本の役割に関する報道に大きな腕をふるった、英国放送協会(BBC)のヴァーノン・バートレットが当時の極東情勢について「当の(国際連盟という)機構は完全な独立国を対象として創設されたので、政府の統制が遠く離れた省にはまるで及んでいない中国のような国を問題にするには、あまりにも硬直的で、対応のしようがない」ことがありうると述べたように、このような中国にどのように対処をすればいいのかが問題であった。 以上のようにトマス・バティは当時のイギリス人の中にあって、極めて特異で例外的な見解を有していたというわけではない。しかし、それ以後、日英の間で、ソ連に対する安全保障という問題が議論の焦点になることはなかったのであり、彼が日本政府側にあって主張を一貫させた事は日英関係の悪化と相俟って次第に英国政府に疎まれる原因となった。
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