最終的な結果
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/24 00:28 UTC 版)
第一次世界大戦が終わった当初、シャール2Cの生産命令は撤回された。しかし、長らくフランス重工業界は総力戦を前提とした戦時態勢を続けていたため、平時としては相当な余剰生産能力があり、戦争終結による急激な需要減を埋め合わせるために、国産の新型重戦車を採用させようとする強い政治的圧力が残っていた。結局エスティエンヌは1919年4月に2Cを10両配備すると決定し、その代わりに他の全ての提案を拒絶した。これは完全に成功せず、1920年には250mmの装甲を持つ総重量600tの戦車の建造が兵器技術部門に提案されたが、後に撤回された。この時点では、FCM社では開発チームが試作車両の仕上げにかかっており、その他の9両がほぼ同時進行で生産されていた。 シャール2Cの試作車1両+量産車9両、計10両は1921年に揃って完成したが、電気式駆動機構は実用上の問題が多発する上、当初搭載されたルノー製V型12気筒液冷ガソリンエンジン(220馬力、1,200回転/分)は設計上の出力を発揮せず、出力不足から走行性能が低く、最高速度は10km/hがせいぜいだった。完成後、1923年までかけて順次エンジンをドイツより戦時賠償の一環として引き渡されたダイムラー社製直列6気筒液冷ガソリンエンジン(180馬力)2基に換装し、ようやく要求性能を達成することが可能になった。これらの車両は、1931年にルノー D1(仏語版)歩兵戦車の前期シリーズが開発されるまで、国内市場のために生産された最後のフランス戦車となった。 なお、シャール2Cの開発と生産には、総額200万フラン(当時)が費やされた。
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