英国公使館焼打ち事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 05:40 UTC 版)
「幕末の外国人襲撃・殺害事件」の記事における「英国公使館焼打ち事件」の解説
詳細は「英国公使館焼き討ち事件」を参照 品川御殿山は景勝の地で江戸市民の行楽地であったが、各国公使はここに公使館を建設することを要求した。国内からは猛反対が起きたが、結局幕府は列国の要求を呑んだ。新英国公使館は文久2年8月から品川御殿山に建設が開始され、12月にはほぼ完成していた。長州藩士高杉晋作は、優柔不断な幕府に攘夷を決行せざるをえないようにするため、イギリス公使館の焼打ちを計画した。一行は、文久2年12月12日の深夜、厳重な警戒を突破して建築中のイギリス公使館に潜入、井上聞多(後の井上馨)、伊藤俊輔(後の伊藤博文)らが焼玉を使ってこれに放火した。幕府は犯人が長州藩関係者と目星をつけたにもかかわらず、何ら処罰的な行動を起こそうとはしなかった。
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