英国人墓地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/20 08:10 UTC 版)
[全画面表示] イルカボーイズ関係地 英国人墓地は、1946年(昭和21年)初頭までに石原産業が建立したもので、設立当時の墓地は1987年(昭和62年)以降の墓地よりも少し南にあった。俘虜収容所があった頃の戦争遺跡は現存しておらず、関連する数少ない史跡である。一般に、紀州鉱山に連行されたイギリス人捕虜のうち、終戦までに死亡した16人が眠ると説明されているが、16人の遺骨は1948年(昭和23年)頃に横浜市の英連邦戦死者墓地へ移されたので、厳密には墓地ではない。墓の横にある碑には「英国人としての誇りと教養をもち、生活ぶりは紳士的であった」と亡くなった兵士を讃える言葉が刻まれている。英国人墓地という名称は2005年(平成17年)以降の熊野市の文化財(史跡)としての名称であり、旧文化財名の「外人墓地」も使用されている。恵子ホームズ率いるアガペの関係者の間では、LITTLE BRITAINの名が使われている。 墓地にはイギリスの国旗を掲げ、老人クラブでは定期的に花を供え、草を取り、掃除をして墓地を維持している。また毎年、慰霊祭を開いており、熊野市は「供養経費」として1万円を支出している。 墓地から国道311号を東へ500 mほど進むと、熊野市紀和鉱山資料館がある。ここでは鉱山の歴史に関する展示があり、イギリス人捕虜に関してパネルやビデオを用いて展示している。
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