舵復旧作業とアメリカ軍の攻撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/21 09:34 UTC 版)
「比叡 (戦艦)」の記事における「舵復旧作業とアメリカ軍の攻撃」の解説
上記のように、比叡は艦橋を中心に上部構造物に大きな被害を受けたが、主砲や機関は無事であった。だが操舵不能状態に陥っており、ガダルカナル島周辺海域から離脱しようと応急修理を急いでいた。午前3時30分、艦橋付近の火災は鎮火に向かい、機関室は無事であったため、右舷スクリューと左舷スクリューを反対に回して北西に針路をとろうとし、これで3ノットほどで直進できるようになった。しかし排水ポンプ停止による浸水増加のためついに舵取機室を放棄。人力操舵をしていた乗員は溺死寸前で舵取機室から退避した。これで舵が流され、サボ島北方を旋回した。阿部司令官や比叡の西田艦長は戦闘艦橋から司令塔に移って指揮をとった。一部の将校はガ島に乗り上げて飛行場を砲撃することを進言したが、比叡の西田艦長は手段を尽くして避退すべきと決意し、ガ島座礁案を却下した。 午前4時7分、比叡はルンガ方面距離24kmにアメリカ軍巡洋艦を認め、その巡洋艦がすでに破棄され無人漂流中であった駆逐艦「夕立」を撃沈したのをきっかけに後部主砲を発射し、3-4斉射で応射した。この艦は大混戦中に酸素魚雷1本が命中し、舵が故障して旋回運動を行っていた重巡洋艦のポートランド(USS Portland, CA-33)だった。比叡は徹甲弾を使用して砲撃を行ったがポートランドには命中しなかった。敵艦が見えなくなったため、艦内の士気をあげるために撃沈と報じたという。日本軍の公式記録では撃沈が記録されており、大本営発表では『つひに戦艦も満身創痍の損害の受けたこの時、サボ島の島かげから1隻の敵大型巡洋艦がわれ(比叡)に止めを刺さんと出撃して来たのです。わが戦艦は莞爾としてこれを迎へ撃ち、戦艦は敵巡洋艦に最後の巨弾を報い、忽ちこれを撃沈したのです』と報道された。 午前4時20分、駆逐艦雪風(第16駆逐隊)が到着した。続いて4隻(照月、時雨、白露、夕暮)が到着し、護衛の駆逐艦は5隻になった。照月から見た比叡は健在のようだったが「舵故障・修理中」という連絡があり、動き出しては停止していたという。午前6時00分以降、阿部中将は比叡から雪風に移乗した。ところが比叡側の通信機が故障していたため連絡は手旗信号に頼らざるを得なくなり、阿部司令官と西田艦長の間で情報の把握に差異が生じた。阿部司令官は姉妹艦霧島で比叡を曳航することを下令。だが、反転して現場に向かっていた霧島が米潜水艦に雷撃され、1本の魚雷が命中する被害を受けた。幸い魚雷は不発であり被害は軽微であったが、霧島を護衛もなしで戦場に再投入するのは危険と判断され、北方に退避させる指示が出た。日本軍は比叡を掩護すべく、付近の基地航空隊や空母隼鷹から零式艦上戦闘機や零式水上偵察機を上空直掩機として送り込んだ。隼鷹は零戦26・艦攻5、基地航空隊は零戦16・陸攻1機を投入したが、一度に送り出せる零戦は10機未満だった。比叡は停止して泳ぎの達者な乗員による防水作業を試み、破孔に毛布やマットを充填して防水しようとした。 日が昇ると、ヘンダーソン基地から発進したF4Fワイルドキャット戦闘機やSBDドーントレス急降下爆撃機、エスピリトゥサント島から飛来するB-17大型爆撃機による攻撃が始まった。比叡の右舷高角砲2基は無傷、左舷三番高角砲は仰角48度で故障していた。機関は無事だったため、左に旋回しながらも最高29 ktでアメリカ軍機の攻撃回避に努めた。魚雷は全て回避に成功した。しかしB-17からの大量の投弾により、午前中に爆弾3発が比叡の2番主砲塔傍、中部右舷、4番主砲塔右に命中した。これによって缶2基が使用不能になり、機関区にも死傷者が出たが火災も程なく消火され致命傷にはならなかった。だが、空襲のたびに応急作業が中断された。また回避のための高速運転により破孔に詰め込んだ毛布も流されてしまい、乗組員は艦尾の破孔修復作業を何度もやり直すことになった。 午前8時30分、阿部司令官は比叡をガダルカナル島へ座礁させるよう命じた。その頃、空母エンタープライズ (USS Enterprise, CV-6)から第10雷撃隊のTBFアベンジャー雷撃機9機(アル・コフィン大尉)、F4Fワイルドキャット戦闘機6機(ジョン・サザーランド大尉)がヘンダーソン飛行場に移動するため発進する。西からサボ島とエスペランス岬に近づいた彼らは、日本艦隊(比叡、護衛の駆逐艦部隊)がサボ島北16kmにいるのを発見した。ワイルドキャット隊が比叡の上空にいた零式艦上戦闘機8機に向かうと、零戦隊は交戦せずに逃走したという。TBF隊は雲に隠れながら二手にわかれると、比叡に対し挟撃雷撃を開始する。比叡は左舷のTBFに向けて主砲を発射したが、砲弾はTBFの頭上を越えていった。TBFからは、比叡の上部構造物に火災の跡がくっきりと残り、高角砲や副砲の砲身が曲がっている光景が見られた。コフィン隊は左舷・右舷・艦尾に魚雷3本命中を主張している。「隼鷹飛行機隊戦闘行動調査」によれば、F4F16機、TBF5機、B-17爆撃機1機と交戦、F4F2機を撃墜、零戦3機が撃墜され、零戦2機が発進直後に不時着している。午前10時25-33分、阿部司令官は比叡に総員退去を命じたが、比叡の西田艦長は断った。西田艦長が戦闘詳報の草稿として残したメモによれば、阿部司令官の総員退去命令時点で「爆弾2-3発が命中するも損害軽微、罐室若干浸水するも排水の見込みあり」であった。 午前11時30分、阿部司令官は『艦爆20機の攻撃で比叡3罐使用不能、操舵復旧不可能、曳航不可能』とトラック島の連合艦隊司令部(山本五十六司令長官、宇垣纏参謀長)に報告、同時に比叡の処分を決定した。阿部司令官の命令に対し、比叡の西田艦長は復旧見込みありと反論する。そこにアメリカ軍機が再び出現、この雷撃隊はエンタープライズ第10雷撃隊だった。彼らはヘンダーソン飛行場に着陸すると補給を行い、再度出撃してきたのである。TBFアベンジャーは補給が間に合わなかったことから6機に減っていたが、ワイルドキャットの数は変わらず、加えてアメリカ海兵隊のSBDドーントレス8機が同行した。第10雷撃隊は比叡の右舷中央に1本、艦尾に1本、左舷に3本(2本不発)を主張する。赤沢(比叡主計中尉)は、アメリカ軍機による来襲10回、爆弾命中6、魚雷命中4本を記録した。戦闘詳報では、雷撃機10機の攻撃により魚雷2本が命中、右に15度傾斜、後部の浸水を記録している。西田艦長のメモによれば、魚雷2本命中(右舷前部揚鎖機室、右舷機械室前部)、爆弾1発が飛行甲板に命中である。坂本松三郎(大尉、掌航海長兼信号長)によれば、午後12時40分の総員上甲板集合命令時点で、比叡は右に7度傾斜、推定浸水量4,670 t、予備浮力12,150 tで「諸機械非常装置の作動極めて良好」であったという。
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