脱工業化社会
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脱工業化社会(だつこうぎょうかしゃかい、英: post-industrial society)とは、工業化を経た産業社会(工業社会)がさらに発展し、産業構造において情報・知識・サービスなどを扱う第三次産業の占める割合が高まった社会のこと[1]。「脱工業社会」、あるいは「脱産業(化)社会」、「ポスト工業(化)社会」とも呼ばれる。
脱工業化社会論
脱工業化社会(あるいは脱産業社会)という語は、1962年に初めてアメリカの社会学者ダニエル・ベルによって定式化された。ベルは、それまでの伝統社会/産業社会(ないし近代社会)の二分法による社会学的歴史区分では当時の社会変動を読み解けないとして、脱工業化社会を第三の区分として導入した。その後、論者によって意味やニュアンスの差を伴いながらも使用されるようになるが、アラン・トゥーレーヌやアルビン・トフラーなど多くの論者は情報・知識・サービスなどを扱う産業が社会において重要な役割を担うに従い、社会の支配構造の変容が見られることを指摘している。
ダニエル・ベル
ベルの言う脱工業化社会とは、財の生産からサービス(高度情報サービスなど)に経済活動の重心が移行し、理論的知識が社会の「中軸原則」となり改革や政策形成の源泉となる社会である。ここから、「知識階級」と呼ばれる専門・技術職層の役割が大きくなり、組織運営の様式も経済外的な要因を配慮する「社会学化様式」に変わっていく社会、すなわち、「人間相互間のゲームを基本的な原理として運営される社会」が導かれる。しかし、この社会でも、社会計画に関しては必ずしも合理性だけで押しとおすことはできず、最終的な政策決定をめぐっては、効率性を追求するテクノクラートと各集団の利害を代表する政治家との間の矛盾が続くことになる。
(中期)アラン・トゥーレーヌ
中期(1968年〜1986年)アラン・トゥーレーヌによれば、脱工業化(脱産業)社会とは、何よりも新たな形態の社会紛争を特色とする社会であり、『工業(産業)社会の特徴が、産業主義企業家と統制的労働組合運動(古い社会運動)との全体社会のありようをめぐる対立関係であったとすれば、脱工業化(脱産業)社会を特徴づけるのは、専門技術との関係で権力を行使する新たなテクノクラシーと、そうした技術や権力から排除されることによって疎外される新たな人々との闘争(新しい社会運動)ではある』という仮説に基づいている。その検証のために大規模な社会学的介入調査が実施された結果、このような仮説は、後期トゥレーヌ(1986年〜現在)自身によって否定されることになる。現在、トゥレーヌはモダニティ自体の捉え方を更新することで、脱産業社会における「新しい社会運動」論を乗り越えつつある。
アルビン・トフラー
アルビン・トフラーは『第三の波』(1980年刊)の中で、新石器革命[注 1]、産業革命に続く第三の変革を「脱工業化社会」としている。情報によって物理的資源の大部分が置き換えられ、さらに非効率な指揮系統の中で人々が一箇所に留まる官僚的組織とは対照的に、目的を持った人々の集まりが流動的に変化する「アドホクラシー」、特定の人々に対して柔軟かつ効率的に製品を提供する「マスカスタマイゼーション」、技術の進歩によって消費者が生産をも行うようになる「生産消費者」の登場などが描かれている。
脱工業化とサービス化
今日では一般に、第二次産業から第三次産業への経済シフトに着目して脱工業化と称し、あるいは、サービス産業などが中心になることに着目してサービス化(たとえば「経済のサービス化」「産業構造のサービス化」など)と呼称されている。さらに、サービス化の概念は、産業構造全体ではなく個別産業、就業構造、消費構造などの分析に用いられる場合もある。特に情報革命は脱工業化の進展を促すため、脱工業化社会と情報化社会は密接な関係にある。
ペティ=クラークの法則
経済の成長の段階によって、第一次、第二次、第三次と経済の主力が移り変わっていく現象。初期の段階においては、農業などの第一次産業の占める割合が非常に高い。経済が成長していくにしたがって、やがて第一次産業の占める割合が低下し、製造業などの第二次産業の占める割合が高くなっていく。さらに所得が高まり、経済が成熟化していくに連れて第三次産業の割合が高まっていく。
製造業の変化
製造業は製品を生産、出荷する産業ではあるが、製品の高付加価値化に対応するため、サービス産業へのアウトソーシングを進展させる場合がある。その分析手法としては、産業連関表において製造業の中間投入に占めるサービス産業の大きさをみる方法がある(例えば、昭和63年版通商白書、昭和53年版労働白書)。
また、製造業自体も、企画部門や販売部門が占めるウエイトが大きくなり、「製造業のサービス化」が進展している。一部の報告書ではこのことを「2.5次産業化」と表現している[2]。
サービス経済のトリレンマ
製造業では生産性の向上による賃金向上と雇用拡大が見込めるが、サービス産業では大幅な生産性向上が見込めないため、賃金が抑制されなければ雇用の拡大が実現されない。よって、トービン・アイヴァーセンらによれば、経済のサービス化が進展すると、所得平等、雇用拡大、均衡財政(あるいは「税負担の抑制」)の3つすべてを同時に満たせなくなる。イエスタ・エスピン=アンデルセンの福祉レジーム論を敷衍すれば、社民主義レジーム(北欧諸国など)では均衡財政が、自由主義レジーム(アメリカなど)では所得平等が、保守主義レジーム(ドイツなど)では雇用拡大が、それぞれ犠牲となる[3]。
脚注
注釈
- ^ 訳書では英語原文における“agrarian revolution”の訳語として「農業革命」を用いているが、これは18世紀における農業生産の飛躍的向上に付随した農業革命のことではなく、新石器時代に人類が初めて農耕を開始したことに伴い、それまでの狩猟採集社会から社会構造を大変革させ、その後の文明の形成にまで波及した農耕革命(新石器革命)を指している。
出典
- ^ 駄田井 正, 浅見 良露, 鶴田 善彦 (編) 『地域経済の視点―筑後川流域圏の経済社会と住民生活』九州大学出版会、1999年1月1日、5頁。ISBN 978-4873785776。
- ^ 国土審議会調査改革部会 二層の広域化による自立・安定した地域社会の形成
- ^ 新川他、2004年、209-210頁。
参考文献
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出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。
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- 佐和隆光編 『サービス化経済入門-その全データと展望』 中央公論社〈中公新書〉、1990年。ISBN 9784121009906。
- ソフトノミックス・フォローアップ研究会の一連の報告
- 新川敏光他 『比較政治経済学』 有斐閣〈有斐閣アルマ〉、2004年。ISBN 9784641122253。
- ダニエル・ベル『脱工業社会の到来-社会予測の一つの試み(上・下)』ダイヤモンド社、1975年。
- アラン・トゥレーヌ『脱工業化の社会』河出書房新社、1970年。
関連項目
脱工業化社会(理論)
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「社会文化的進化」の記事における「脱工業化社会(理論)」の解説
詳細は「脱工業化社会」を参照 科学者が持っている脱工業化社会の理論が進化論を種々の傾向を分析して、そして社会の将来の開発を予測するために使った。これらの科学者は、その当時、工業社会の終焉がやってくると論じて、脱工業化社会の理論を作り出した。そしてサービスと情報が産業と商品よりいっそう重要になったのである。 1974年、ダニエル・ベル、『脱工業社会の到来(The Coming of Post-Industrial Society)』の著者、は脱工業化社会の概念を提起した。多くの古典派の進化論者のように、彼は人類の歴史を3つの時代に分けた。産業革命以前、産業革命、そして産業革命以後である。 彼は20世紀の終わりまでに、米国、日本と西ヨーロッパが産業革命以後の段階に届くと予測した。これは、以下の事で明らかである: 伝統的な産業部門(19世紀の産業革命の後にいっそう伝統的なもの、農業と採鉱部門を凌いだ製造業)の上のサービス部門(経営、銀行業務、貿易、輸送、医療、教育、科学、マスメディア、文化)の支配。 情報技術の拡大する重要性。 長期計画、モデリング未来傾向の増加した役割。 技術家政治の支配と伝統的な倫理と観念上の実用主義。 増加する重要性と技術の使用と知性。 大いに教養を身につけている専門家と科学者が伝統的な中産階級市民に追いつくことでの社会のクラスの伝統的な階層の変化。 1970年代から、多くの他の社会学者と人類学者、例えばアルビン・トフラー(『未来の衝撃(Future Shock)』、1970年)とジョン・ネスビッツ(John Naisbitt)(『巨大潮流2000:1990年代の新しい方向、1982年』(Megatrends 2000: The New Directions for the 1990s)』はベルの足跡を追いかけて類似の理論を作り出した。ジョン・ネスビッツは、巨大潮流(Megatrends)の概念を提起した:世界的なスケールの上に社会を変えている強力な、世界的な潮流。それらの大傾向の間で彼はグローバル化の過程に言及した。もう1つの重要な大きな傾向が、コンピュータの性能の増加と、WWW (World Wide Web)の開発であった。マーシャル・マクルーハンは、地球村(『グーテンベルク銀河系』(The Gutenberg Galaxy)、1962年)の概念を提起した。そしてこの用語は、まもなくグローバル化とインターネットの研究者によって改変された。ネスビッツと脱工業化社会の理論の多くの他の提案者は、ローカルな議案提出権と直接民主制、伝統的な社会のクラスの階層の変更、新しい社会運動の発展と消費者と入手可能な選択の数(トフラーが使用した用語「オーバーチョイス(overchoice)」)の増加した権力の重要性を増やして、それらの大傾向が分権化、中央政府を弱めることを導くと論じます。 幾つかの基礎は技術的特異点の理論と関係がある人たちである。この理論は文明社会の発展で技術進歩の加速のために、社会の、科学的な、そして経済の変化が非常に速いので、そのほか何もその時特異点前の人によって、理解されて、確かに理解されるか、あるいは予測されることができない発射時の目標予想位置あるいは終止符を参照する。 このような特異点は最初に1950年代に論じられて、そして1980年代にヴァーナー・ヴィンジによって非常に普及させられた。 脱工業化社会理論の批評は、幾らかの予測としてもそれが非常にはっきりしない、現代の研究者によって予測された指示が、今日、目に見える傾向で将来に実在するか、あるいは発展するであろうという保証がないことを指摘する。しかし、未来を予言することを議論する真剣な社会学者は居ない。この理論が近代的な世界で起こった変化のより良き理解を得ることをそのような理論が我々に許す事だけである。
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