絵画・美術品関連
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 15:02 UTC 版)
横たわる櫻(よこたわるさくら) 水菜の死期に草薙健一郎が描いた、最初で最後の桜の絵。朽ちて倒れる寸前の桜の絵が描かれている。草薙健一郎がムーア展で日本人初の最高金賞プラティヌ・エポラールを獲得し、健一郎の名を世界的芸術家とした作品。水菜の為に絵を描き続けてきた健一郎だが、水菜が死んだからこそ描けた絵だと回想している。 オランピア エドゥアール・マネの代表作。本作では、草薙健一郎が妻の水菜に捧げるためとして、オリジナルのオランピアを模写した絵が、夏目屋敷に飾られている。多少のアレンジはあるものの、模写というより贋作といっていいほど、精巧に描かれている。絵には破損した跡があるが、修復されている。 実際には健一郎が、水菜を中村家から救うため1日で描き上げて、夏目琴子に「10億円で売った」もの。アレンジがあるのは、水菜が裸婦モデルになったため。その後わざと中村章一をいらだたせ破かせるような場所に設置し、実際に破かれたことを口実に、琴子は章一に賠償を請求できるようになった。 櫻日狂想(さくらびきょうそう) 「草薙直哉」が筆を折る、約6年前に残した最後の作品で、満開の桜を描いている。母である水菜の死をきっかけに、中原中也の詩「春日狂想」を意識してこの絵を描いたと直哉は語っている。直哉はこの絵を1万円で売ったと言うが、その後転売されて百数十万円にもなり、現在は寄贈された市役所 に展示されている。 この絵を見た真琴や圭などは大きな衝撃を受け、後の生活や活動などに影響を与える事になった。またVI章では真琴は、この絵が第89代弓張学園美術部の面々を集め、「櫻達の足跡」を作る切っ掛けになったとも語っている。 櫻達の足跡(さくらたちのあしあと) 弓張学園の教会に描かれた壁画。子供の足跡が桜の花びらに見える満開に咲く桜が描かれており、さらに水面のように青いステンドグラスに、花びらが降り注いで見えるように描かれている。草薙健一郎は、教会の内装を改装するのにあわせ、この絵を壁画とするつもりだったが、その前に健一郎が学園を去り、そのまま死去したため、手を付けられないままとなった。 健一郎の意図は不明のままだが、少なくとも明石はこの絵を、千年桜伝承をモチーフにしたものととらえており、かつて千年桜を見たと言い張り噓つき呼ばわれされたという、妹の小牧と小沙智、そしてその状況から救ってくれた正田神父を喜ばせたいと思って、再現を計画する。そこで明石は、健一郎が残した設計図などを元に数年がかりで準備し、それに気付いた直哉ほか、美術部の面々も集まって、皆で完成させた。 なお夜中に学校に無断で制作したのを不問にするかわりに、校長である鳥谷紗希が、明石ではなく「草薙直哉が主導して行われた事」にするという条件を出し、明石も妹と神父を喜ばせるという目的は果たしたとして承諾したため、明石がこの作品の再現に果たした苦労と功績を知っていた直哉も、しぶしぶ受け入れた。 その芸術性の高さだけではなく、有名人なうえ死後間もなかった草薙健一郎の遺作を、その息子が完成させた事ということなどもあって、「櫻達の足跡」は大きな話題となり、街の観光パンフレットに載るまでになった。 糸杉と桜の協奏(いとすぎとさくらのきょうそう) かつて重病の手術を控えていた幼い里奈が、死を恐れず受け入れるため、公園の子供用ドームの中に、ゴッホを意識してチョークで描いた糸杉を見て、絵にゴッホと死、鬱屈さを感じ取った直哉が、生命力のある桜を描き加えていき、その後2人が交互に描くことで「共作」として完成させた絵。 この絵を描くうちに、里奈は死を受け入れることをやめて従来よりも明るくなり、直哉の弟子になりたいと言い出す。一方直哉は、事故で故障していた右手の力を、この絵で使い果たした。 絵自体は、その後の台風で洗い流され、さらに公園のドーム自体が撤去されたことで、残っていない。 櫻七相図(さくらななそうず) 「櫻達の足跡」が発表された後、中村製薬が所蔵していたのが“発見”されたとして発表された、草薙健一郎の遺作。「横たわる櫻」に繫がる連作で、九相図を題材にして、次第に朽ちていく櫻を描いた、「横たわる櫻」をあわせて7枚の絵。他の6枚は「壊相(えそう)の櫻」「血塗相(けちずそう)の櫻」「膿襴相(のうらんそう)の櫻」「噉相(たんそう)の櫻」」「散相(さんそう)の櫻」「焼相(しょうそう)の櫻」となる。 実際には「横たわる櫻」以外の6枚は、雫を救う金を調達するため、死期が近かった健一郎ではなく、フリッドマンと明石亘の協力を得て、直哉が描いた絵。この時直哉は健一郎の、強い腕力で長い筆を支えることによる筆遣いを再現するため、スプリングで筆を支えて描くことにより、事故で失われた自分の腕力を補うという手法を採っている。この手法は、後に明石が「櫻達の足跡」を再現するとき、桜の枝を健一郎のタッチで描く方法のヒントになった。 絵の完成直後、病院を抜け出した健一郎が直接直哉の絵を見に来て、自ら銘および落款と落款印を入れ“贋作”として完成させ、「俺の墓碑銘」「俺の死のために、草薙直哉が描いてくれた作品」と称した。 取り引きの際にはフリッドマンの口添えもあって、他の画商も見抜けず、当然のごとく草薙健一郎の作品として扱われ、6枚で合計約6億円の値が付けられた。だが絵が公開されたとき、この絵を制作中の直哉の不審な行動に気付いていた真琴や、健一郎と直哉の絵をよく知っている圭などは、この絵は直哉が描いたものと確信する。また長山香奈も、直哉が描いたものではないかと疑った。 蝶を夢む(ちょうをゆめむ) V章で再び筆を取った「草薙直哉」6年ぶりの作品として、ムーア展に出展し、ノミネートされた絵。アサギマダラをモデルとした多数の蝶が、渦のある海の上を飛んでいく幻想的な光景が描かれている。速水御舟の「炎舞」にインスピレーションを受け、青い海と美しい蝶によって、逆の方向性で表現している。 向日葵(ひまわり) V章でムーア展のために圭が描いた絵。全く印象が異なる、二対の向日葵を描いている。技術などではなく、人の心を打つ魅力があるものだと直哉は感じ取った。 墓碑銘の素晴らしき混乱 V章でムーア展のために、御桜稟が描いた絵。 雪景鵲図花瓶(せっけいかささぎずかびん) 鳥谷静流が学生時代に悪戯心から、骨董品に見えるようにして作った贋作の花瓶。わざわざフランスのリモージュにまで行って過去の製法を使い、クロード・モネがカササギを絵付けしたかのように作られている。静流は詐欺目的で作ったわけではないが、本間麗華はこれが真作と信じて疑わず、強引に入手しようとする。 また鳥谷紗希はこの花瓶が作られる前に、花瓶の絵の元になっている、モネに譲られたとする浮世絵と、それをもとにモネが描いたとする油絵を描き、その入手の経緯などが記された資料などまで偽造している(あくまで悪戯で、詐欺目的ではない)。だが紗希が一番騙したかった、健一郎だけには見破られてしまったという。 四つの星の花瓶(よっつのほしのかびん) 真琴が陶芸を始めた初期の頃に作ったアール・ヌーヴォー風の陶器の花瓶。キマイラのマスターである鳥谷静流が、どこで見つけたかも解らない特殊な原料を元にした釉薬を使って作られている。ミュシャの「四つの星」を題材として「月」「宵の明星」「暁の明星」「北極星」からなる女性を題材にした透かし模様が使われている、4つの花瓶からなる。 このうち「月」の花瓶は、真琴が古美術商に貸したところ、勝手に売られてしまう。また花瓶には、真琴の悪戯心による仕掛けが施されていたため“呪いの骨董品”扱いされていわく付きとなり、真琴にはかなりの金額が振り込まれたが、その後値段が跳ね上がってしまった。 特殊な釉薬を使ったこともあって、同じものが再現できない花瓶になったが、再現・量産できるものを作って人々に届けるというポリシーの「白州兎子」の名義で売られ、目録にも載せられてしまったため、真琴は失敗作と見なしている。だが美術品としては高く評価されており、欲しがるコレクターは少なくない。 月の裏側 真琴が、ムーア展のオブジェ部門に出すために作ったオブジェ陶。「四つの星の花瓶」に使われた釉薬を再現して使用しており、地上に月が降りてきて、うさぎ、カササギの影が地上と月に浮かび上がるようにできている。 ムーア展 世界的最高峰の絵画公募展覧会。応募自体は学生でも可能だが、金賞相当までは八次審査まであり、美術品などを巡って相当の金銭も動くため、当然学生が受賞できるような代物ではなく(学生がノーベル賞やフィールズ賞を受賞するようなものと直哉は表現している)、金賞でなくても、何かしら受賞するだけでも極めて難しい。だが弓張学園美術部員3年生は、この展覧会に応募して玉砕するのが伝統になっている。真琴もムーア展に出展させることを目標に、皆に作品を作らせようとしている。 もともとは日本では有名な展覧会ではなかったが、草薙健一郎がムーア展で日本人初の最高金賞プラティヌ・エポラールを獲得したことで有名になる。
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