移動性野生動物種の保全に関する条約
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/06/19 06:21 UTC 版)
| 移動性野生動物種の保全に関する条約 | |
|---|---|
|
加盟国(濃緑・薄緑)と協力国(藍)
|
|
| 通称・略称 | ボン条約 |
| 署名 | 1979年 |
| 署名場所 | ボン |
| 発効 | 1983年11月1日 |
| 締約国 | 133(2022年3月1日現在)[1] |
| 主な内容 | 陸上、海洋、空中で渡りをする野生動物種の保護 |
移動性野生動物種の保全に関する条約(The Convention on the Conservation of Migratory Species of Wild Animals; CMS)は、陸上、海洋、空中で渡りを行い、国家間の領域の移動をする 鳥類・野生動物の種の保護を目的とした政府間条約である。
採択地にちなんで通称「ボン条約」(Bonn Convention)とも呼ばれる。1979年6月23日に当時の西ドイツ(ボン)で採択され、1983年11月1日に発効した[2]。国連環境計画(UNEP)の後援のもとに締結された移動性野生動物種専門の地球規模条約である。
本条約は、国境を超えて移動する鳥類・動物種の保全には、その移動域に含まれるすべての国(「生息域国」)による協調行動が不可欠であるとの認識に立ち、各締約国に対して法的な保全義務を課すとともに、地域・種別の保全協定を締結するための枠組みを提供する[3]。
概要
移動性野生動物種の保全に関する条約は、渡り鳥・クジラ・ウミガメ・サメ・アザラシ・昆虫など、生活史の一部として定期的かつ予測可能なかたちで少なくとも一つの国境を越えて移動するすべての野生動物種を対象とする[4]。
条約第1条は「移動性動物種」を「その構成員の相当部分が周期的かつ予測可能な形で一または複数の国家管轄境界を越える野生動物の任意の種または低位分類群の個体群全体またはその地理的に隔離された一部」と定義する。
締約国数は2022年時点で133か国(132か国およびEU)であり[1]、アフリカ・ヨーロッパではほぼ全域が加盟しているが、日本は2026年現在においても未加盟である。日本が加盟していない主な理由として、外務省はワシントン条約やラムサール条約との規制内容の重複を挙げており、またクジラ類が保護対象に含まれることも一因とされる[5]。 本条約では、絶滅の恐れのある移動性野生動物種を附属書I、好ましくない保護状態下にあり国際間での協力が必要な移動性野生動物種を附属書IIにリストアップしている[6] [7]。
背景・成立経緯
本条約の起源は、1972年にスウェーデンのストックホルムで開催された国連人間環境会議(UNCHE)に求められる。同会議の行動計画勧告32は、移動性野生動物種の国境を越えた保全のために国際的な協定を締結することを各国政府に呼びかけた[8]。この勧告を受け、1974年に新設された国連環境計画UNEPはドイツ連邦政府に対して条約草案の起草を委託した。ドイツ連邦食料農林省が主導して国際協議を組織し、1979年6月にボン近郊のバート・ゴーデスベルクで交渉会議が開催された結果、条約が採択された[9]。
条約は1980年6月22日まで署名受付が行われ、15か国が批准した時点で発効する規定に基づき、1983年11月1日に正式発効した[10]。
ストックホルム会議と問題意識の醸成
1972年6月、スウェーデンのストックホルムで開催された国連人間環境会議(UNCHE)は、現代的な国際環境法の出発点とされる。同会議の主要成果のひとつは国連環境計画(UNEP)の設立決議であり、もうひとつは、国境を越えて移動する野生動物種が直面する特別な脅威の認識であった。各国代表は、渡り鳥や海産哺乳類などの移動性動物種は、繁殖地・越冬地・移動経路にまたがる複数の国家の政策に左右されるため、単一国の保全施策では十分に保護できないことを確認し、国際的な保全協定の締結を呼びかける行動計画勧告32を採択した[11]。この勧告はのちに条約の前文にも明記されており、CMS の直接的な法的淵源となっている[12]。
IUCN法律センターの役割
1974年、新設された国連環境計画UNEPは西ドイツ(当時)政府に対し、移動性野生動物種保全のための国際条約草案の起草を委託した。ドイツ連邦食料農林省が主導機関となり、スイスのボンに本部を置くIUCN(国際自然保護連合)の環境法センター(IUCN-ELC)が草案の法文作成を担当した[13]。IUCN-ELCはCITES(ワシントン条約)や生物多様性条約(CBD)など複数の主要国際環境条約の法文作成にも深く関与しており、環境条約の草案設計において豊富な経験を有していた[14]。
同センターは潜在的締約国との長期にわたる協議を重ねながら草案を練り上げ、その草案が交渉の基礎文書となった。
交渉過程と採択
正式な交渉会議は1979年6月、ボン近郊のバート・ゴーデスベルクで開催された。交渉にあたっては、条約の義務水準をめぐる議論が焦点となった。特に、附属書Iに掲載された絶滅危惧種に対して各国が「直ちに保護を提供するよう努める(shall endeavour)」という表現が採用されたことは、条約義務を厳格な禁止義務ではなく努力義務として位置づけるものであり、野生動物資源の持続的利用を重視する国々の主権的関心を反映したものとされる[15]。
条約は1979年6月23日に採択され、署名受付開始から4年後の1983年11月1日、15か国目の批准書が寄託された時点で発効した。発効時の締約国数はわずか15か国であったが、1997年にペルーが加盟して50か国、2006年にイエメンが100か国目、2019年時点では120か国超と着実に増加した[16]。
事務局の設立
条約の採択から約5年後の1984年11月、ドイツ連邦政府の招致によりボンに事務局が設置された。事務局はUNEPが提供・運営し、1998年にボンの国連キャンパスへ移転した。現在は同敷地内にUNFCCC(気候変動枠組条約)事務局やUNCCD(砂漠化防止条約)事務局とも共存している[17]。
課題
義務規定の軟弱性
CMS に対する主要な批判のひとつは、条約上の義務規定の表現が軟弱で、実効的な執行力に欠けるという点である。附属書I掲載種に対する締約国の義務は「直ちに保護を提供するよう努めること(shall endeavour)」、附属書II掲載種については「協定を締結するよう努めること(shall endeavour)」という努力義務の形式をとっており、違反に対する制裁規定や遵守審査の仕組みは条約本文に存在しない[18]。この点を学術文献は「国際環境法の条約は一般に合意に基づくものであり、条約の構造自体が不遵守を招く余地を与えている」と分析している[19]。
一方で、こうした低拘束性は参加のハードルを下げ、より多くの国家に条約への関与を促す効果があるとも評価されており、支持者は「非拘束的な了解覚書(MOU)が拘束力ある協定への橋渡しになっている」と主張する[20]。
対象種の範囲の過大さ
CMS はすべての移動性野生動物種を対象としており、その守備範囲は極めて広大である。批評家は「単一の条約が扱うには対象が広すぎる」と指摘しており、実際には条約本文よりも附属書II のもとで締結された個別協定(AEWA・ASCOBANSなど)の方が具体的な成果を上げているとされる[21]。
主要国の不参加
条約の実効性を制限するもう一つの問題は、移動性野生動物種の生息域国として重要な役割を担う大国が軒並み未加盟であることである。アメリカ合衆国・カナダ・メキシコ・ロシア・中国・日本は、いずれも多くのCMS掲載種の生息域国でありながら本条約に参加しておらず、大陸横断的な渡りルートや海洋回廊における条約の管轄範囲を著しく限定している[22]。アジア・アメリカ大陸のいくつかの国が未加盟のまま留まる理由として、野生動物管理に関する主権への懸念や執行能力の不足が挙げられている。
主な内容
附属書
本条約は二つの附属書を設けており、各附属書への掲載種に対して締約国が負う義務の内容は大きく異なる。一種が附属書Iと附属書IIの双方に同時に掲載されることも認められている[23]。
- 附属書I(絶滅危惧移動性野生動物種)
- 生息域の全部または相当部分にわたって絶滅の危機に瀕していると評価された移動性野生動物種を掲載する。
- 生息域国である締約国は「当該種の捕獲を原則禁止」 ※例外は極めて限定的
- 「生息地の保全・回復」、移動障壁の除去・軽減、その他の脅威要因への対処に努める義務を負う。
- 附属書II(国際協定対象移動性野生動物種)
- 保全状態が不良で国際的な保全管理協定が必要な種、または国際協力によって保全状態が著しく改善される見込みのある種を掲載する。
- 生息域国である締約国は、これらの種に関する「地域的または地球規模の協定」(Agreement)または了解覚書(Memorandum of Understanding; MOU)の締結に努める義務を負う。
生息域国(Range State)の概念
本条約において「生息域国」とは、移動性野生動物種がその生活史の任意の段階において生息または通過する国家管轄区域を有する国を指す。 移動性動物種の保全は単一国の施策では達成できないという認識のもと、CMS は生息域国全体の協調行動を法的基盤として位置づけている点が他の自然保護条約と異なる大きな特徴である[24]。
附属書IIに基づく協定
CMS は「枠組条約」(framework convention)として機能し、特定の種群や地域を対象とした個別の保全協定の締結を促進する。これらの協定および了解覚書の総体は「CMSファミリー」と呼ばれ、2024年時点で法的拘束力を持つ協定7件、了解覚書19件が締結されている[25]。
主な協定には以下のものがある。
- アフリカ・ユーラシア渡り性水鳥保全協定(AEWA、1995年)
- バルト海・北東大西洋・アイルランド海・北海小型鯨類保全協定(ASCOBANS、1992年)
- 黒海・地中海および隣接大西洋水域における鯨類保全協定(ACCOBAMS、1996年)
- ヨーロッパコウモリ個体群保全協定(EUROBATS、1991年)
- アホウドリ・ミズナギドリ類保全協定(ACAP)
- ワッデン海アザラシ保全協定(1990年)
機構構造
CMS の主要機関は以下のとおりである[26]。
- 締約国会議(Conference of the Parties; COP)
- 本条約の最高意思決定機関。3年ごとに開催され、附属書の改正や戦略計画の採択などを行う。
- 常設委員会(Standing Committee; StC)
- COP会期間における政策的・行政的指導を担う。
- 科学評議会(Scientific Council; ScC)
- COP会期間に開催され、科学的助言の提供および研究・保全上の優先課題の特定を担う。
- 事務局(Secretariat)
- 条約の調整機関。UNEPが提供・運営し、1998年以降ドイツ・ボンの国連キャンパスに所在する。
UNFCCC(気候変動枠組条約)事務局やUNCCD(砂漠化防止条約)事務局と同一施設を共有する。また、アラブ首長国連邦のアブダビに出先事務所を設置しており、西アジアおよび北西インド洋地域における業務を担っている。
状況
移動性野生動物の現状
2024年にウズベキスタンのサマルカンドで開催されたCOP14(第14回締約国会議)にあわせてCMSが発表した「世界の移動性野生動物種の現状」報告書(初版)は、条約保護対象種1,189種のうち44%について個体数の減少傾向が確認され、22%が絶滅の危機にあることを明らかにした[27]。特に淡水魚類では1970年代以降90%の個体数減少が記録されており、97%が絶滅危機状態にあるとされた。主な脅威として乱獲と生息地消失(農業・輸送・エネルギー開発等の人間活動による)が挙げられた。
2026年3月にブラジルのカンポグランデで開催されたCOP15向けに発表された「中間報告書(2026年)」では、CMSの附属書I・IIに掲載された移動性野生動物種の49%が個体数の減少傾向にあり、24%が地球規模で絶滅の危機に瀕していることが示された[28]。一方で、サイガ、シロオリックス、チチュウカイモンクアザラシなど7種については、集中保護行動や密猟対策が奏功し保全状況の改善が報告された。
COP15(2026年、カンポグランデ)の成果
2026年3月23日から29日にかけてブラジル・カンポグランデで開催されたCOP15は「自然をつなぐ、命を支える」をテーマとし、130か国以上の締約国が参加した[29]。本会議では50件を超える決定が採択されたほか、チーター・シマハイエナ・シロフクロウを含む40種が新たにCMS附属書に掲載された。また、COP14(サマルカンド、2024年)で採択された「移動性動物種のためのサマルカンド戦略計画2024–2032」の実施に向けた具体的なロードマップが確立された[30]。
他条約との連携
CMS は生物多様性条約(CBD)、絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約(CITES)、ラムサール条約、気候変動に関する国連枠組条約(UNFCCC)など主要な多国間環境条約と緊密に連携しており、これらの事務局との了解覚書を締結している[31]。また、昆明・モントリオール生物多様性枠組(GBF)や国連持続可能な開発目標(SDGs)の達成に向けた主要手段の一つとしても位置づけられている。
附属書
附属書I
以下は附属書I(2020年5月22日発効)に含まれる種[32]。
|
附属書I リスト
|
|---|
哺乳類
鳥類
爬虫類魚類
|
附属書II
以下は附属書II(2020年5月22日発効)に含まれる種[32]。
|
附属書II リスト
|
|---|
哺乳類
鳥類
爬虫類魚類板鰓亜綱
条鰭亜綱
昆虫類脚注
関連項目
外部リンク |
固有名詞の分類
| 生物多様性条約 |
生物の多様性に関する条約 渡り鳥条約 移動性野生動物種の保全に関する条約 生態系と生物多様性の経済学 国連生物多様性の10年 |
- 移動性野生動物種の保全に関する条約のページへのリンク