白川とは? わかりやすく解説

白川

阿蘇の自然を運び熊本地下水育む川、白川~
白川は、その源を熊本県阿蘇郡高森町根子岳標高1,433m)に発し阿蘇外輪山立野付近において黒川をあわせ、熊本平野貫流し有明海に注ぐ、幹川流路延長74km、流域面積480km2一級河川です。

熊本市中心部を流れる白川
熊本市中心部流れる白川

河川概要
水系白川水系
河川名白川
幹川流路延長74km
流域面積480km2
流域内人131,375
流域関係都県熊本県

白川流域図
○拡大図
1.白川の歴史
" 天正16年1588年)、肥後の国国主となった加藤清正は、白川上流部改修河川付け替えといった治水工事併せて田畑かんがいする利水工事実施しました。これによって、熊本城周辺度重なる洪水から守るだけでなく、白川中流部水田地帯への水の供給とともに地下水備蓄可能にしました。現在、渡鹿堰馬場楠堰などはコンクリート補強されていますが、原形とどめており、取水施設としての機能果たしています。"

白川の歴史先人の知恵

加藤清正治水・利水
慶長・寛永時代の白川治水
瀬田(下)堰と取水口(右側)
瀬田(下)堰と取水口右側
400年近くも水田を潤してきた下井手
400年近く水田潤してきた下井手
天正16年1588年)、肥後(ひご)入国した加藤清正(かとうきよまさ)は、領地にある河川改修取りかかりました中でも城下流れ白川(しらかわ)は、梅雨期に幾度も氾濫繰り返しており、白川の治水領国経営成功させるためにも重要な課題でした。
清正はまず、降雨蓄えるために流域植林事業から始めましたまた、白川と黒川(くろかわ)合流によって水量一気増えることを抑制するため、流れの遅い黒川蛇行させ、豪雨時の水流時間差つけましたまた、洪水時に川の流れ遅くするための石はねや、遊水池役割を持つ水越塘などを築造しました。さらに、熊本城下の洪水緩和するため、また熊本城防御考え、白川、坪井(つぼい)川、(いせり)川の付け替えや白川と坪井川とを分離する石塘の工事行いました。これにより、熊本城周辺度重なる洪水から守りましたまた、白川と坪井川接す箇所石塘(いしども)堰を築き坪井川舟航河川としました。この工事により、城下町有明海とを結ぶ物資の運搬路が確保されました。
清正治水工事田畑かんがいする利水工事と一体となっていました大津町瀬田下井手は、白川水系最古利水施設と言われています。

鼻ぐり井手イメージ
鼻ぐり井手イメージ
このほか、清正(はな)ぐり井手(いで)渡鹿(とろく)堰など29箇所取水堰築き、約3,500町歩かんがいしました。白川中流部かんがい用水水田地帯供給するだけでなく、地下水をかん養しており、自然と人間が作った巧み水循環システムということできます

白川渡鹿堰
白川渡鹿堰
白川が大きく曲がって熊本市街地に入る地点にある渡鹿堰は、堰が川に対して斜めにつきだしたユニークな形をしています。これは、洪水勢い和らげ通常時水量少ない白川の効率的に取水できるようにしたもので、一の井手二の井手、三の井手分水しています。創設時かんがい面積は1,080haにも及び、現在も活用されています。現在の取水堰昭和28年1953年)の大水害後に改修されたものです。

細川氏治水・利水
江戸時代肥後細川家支配になってからも加藤清正事業引き継がれ赤瀬畑井手、津久礼井手保木下井手琵琶首井手などによってかんがいが行われました

近代治水始まり
明治維新以降、白川では大きな河川改修行われてませんでした大正12年1923年)の大洪水後内務省によって石塘堰が改修されました。また、大正14年1925年)には、坪井川氾濫を防ぐ目的で、井芹川付け替えが行われました
2.地域の中の白川
"白川流域住民交流センター(白川わくわくランド)での学校流域各種活動支援や、白川リバースクールでの自然体験環境学習の支援しらかわ里親協定における環境美化活動参加する取り組み推進通して、白川に関する情報相互交換官民一体となった河川管理推進行ってます。"

地域根付く白川

(白川と地域社会とのつながり
『白川わくわくランド
川の情報発信の場、学習の場、住民交流の場として、「白川流域住民交流センター(白川わくわくランド)」を設置し学校流域各種活動支援してます。

『白川リバースクール』
白川のことを学び、自然を大切にする心を育てるため、住民団体NPO連携し子どもたち自然体験環境学活動支援行ってます。

しらかわ里親協定
白川への愛護意識高めるため、白川を’養子縁組アダプト)’し、地域住民河川環境美化活動参加する取り組み推進してます。なお、現在までに5つ団体里親協定結んでます。

『子どもの水辺
白川では、子どもたち体験活動の場を拡大しまた、「川に学ぶ」体験推進する観点から、子どもたち活動する場として「慶徳(けいとく)地区白川の水辺」、「大津町中島地先(おおつまちなかしまちさき)」、「本荘(ほんじょう)地区白川の水辺」の3箇所を「子どもの水辺」に登録してます。

白川わくわくランド
白川わくわくランド
しらかわ里親協定
しらかわ里親協定
白川リバースクール
白川リバースクール
3.白川の自然環境
"流域の約80%は上流部阿蘇カルデラ構成されており、阿蘇壮大な自然の中を流れ下り熊本市街部を貫流し有明海に注ぐ河川です。
熊本市街部に位置する大甲橋から上流側を望む景観は、川沿い樹木群とそれを映し出す白川、その向こうに立田山望み都市空間において安らぎ与えてくれる景観として、あるいは熊本市象徴的な景観として多く地域住民親しまれています。"


地形地質
白川は阿蘇中央火口丘一つである根子岳を源として阿蘇カルデラの南の谷(南郷谷)を流下し、同じく阿蘇カルデラの北の谷(阿蘇谷)を流れ黒川立野合流した後、溶岩台地を西に流下し、熊本平野貫流して有明海に注ぐ、流域面積480km2幹川流路延長74kmの一級河川です。上流域には、これまで何度となく噴火繰り返し大量火山灰噴出して時には流域甚大な被害及ぼしてきた阿蘇活火山位置してます。
流域ジョーロになっており、流域の約80%を占め上流域阿蘇カルデラ外輪山火口原及び中央火口丘群形成して草原及び田畑多くまた、細長い中流域河岸段丘及び洪積台地上に田畑多く下流域には扇状地及び沖積平野熊本市街地が広がり河口域水田地帯となってます。
流域の地質は、上流域では阿蘇火山活動によって生成され阿蘇溶岩基盤とし、地表にはヨナ呼ばれる火山灰土厚く堆積しており、中流域段丘砂礫層が黒色ロームで、下流域沖積層覆われています。

《菊池渓谷》
4.白川の主な災害


発生発生原因被災市町村被害状況
昭和28年6月26日梅雨前線熊本市死者422
傷者1,077名
家屋被害40,247
田畑被害43,514ha
昭和55年8月30日梅雨前線熊本市家屋被害5,400
田畑被害329ha
平成2年7月2日梅雨前線阿蘇郡阿蘇町床上浸水120
床下浸水204
浸水面積23ha

(注:この情報2008年2月現在のものです)




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