独立 - セルフ・プロデュースへとは? わかりやすく解説

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独立 - セルフ・プロデュースへ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 01:55 UTC 版)

松田聖子」の記事における「独立 - セルフ・プロデュースへ」の解説

1989年6月サンミュージック契約満了機に退社8月には個人事務所ファンティック」を設立した独立に関しては、海外進出を狙うレコード会社側と、それを受け入れない事務所側との方針ズレ原因だという。アメリカ行き決断した聖子は、育ての親である事務所社長相澤連絡取ろう何度も電話をかけるが、独立ショック受けていた相澤電話に出る事はなく、絶縁状態で別れる事となる。 11月27目のシングルPrecious Heart」がオリコンチャート2位止まりとなり、連続1位の記録遂に途絶えた1990年海外進出となるシングルAll the way to Heaven」、「THE RIGHT COMBINATION」、アルバムSeiko』などを国内外発売した1985年アルバムSOUND OF MY HEART』で海外進出目指していたが、芸能活動休止によるプロモーション不足のため中止された)。日本ではあまり報道されていなかったが「THE RIGHT COMBINATION」はカナダ2位ヒットし結果残した11月シングルWe Are Love」から再び日本拠点移して活動。続くシングルきっと、また逢える…以降は、作詞だけでなく作曲にも自ら取り組むようになった1992年アルバム1992 Nouvelle Vague』から1998年アルバムForever』まではセルフ・プロデュース基本となり、全曲作詞・作曲自身行った作曲多く小倉良との共作)。シングルではチャート4位の「きっと、また逢える…」(1992年)、7位の「大切なあなた」(1993年)、12位の「輝いた季節へ旅立とう」(1994年)、5位の「さよならの瞬間」(1996年)などをヒットさせた。 作詞家として恋愛感情赤裸々さらけ出す歌詞、あるいは生き方気持ち切り替え方などを含め、非常に前向きな歌詞を書く事が多い。当時作曲法としては、聖子イメージしたメロディピアノ鼻歌などで伝え共作者の小倉ギターなどで形にするというスタイルだった。「あなたに逢いたくて〜Missing You〜」のように、同主調平行調、あるいは属調下属調などの近親調への転調アクセントに使う傾向見られ、これは小倉特徴でもある。 1994年の『第45回NHK紅白歌合戦』で6年ぶりに同番組出場舞台上に下降したミラーボールの中から登場し会場沸かせた。翌1995年の『第46回NHK紅白歌合戦』では、ピンクドレス熊のぬいぐるみ背負うという出立ちで、「青い珊瑚礁」などを含むメドレー披露してアイドル性の健在ぶりを見せた1996年発売の「あなたに逢いたくて〜Missing You〜/明日へと駆け出してゆこう」が久々にチャート1位となる。自身初のミリオンセラー記録し最大ヒット曲2021年現在となった。この時期には「私だけの天使〜Angel〜/あなたのその胸に」(1997年)など、長女沙也加への母性愛テーマとした楽曲いくつか発表した1997年1月神田正輝離婚した事を公表。翌1998年5月に、6歳年下歯科医師2度目の結婚2000年12月離婚)。 1999年のアルバム永遠の少女』では、11年ぶりに松本隆作詞担当し作曲聖子以外の作家作品となった1997年亡くなった大村雅朗の遺した楽曲櫻の園」も収録された。歌手活動20周年迎えた2000年アルバム20th Party』からは再び、自身小倉良楽曲メインとなるが、原田真二制作加わり同年アルバムLOVE & EMOTION VOL.1』から2004年アルバムSunshine』までは原田作曲・プロディースを担当したその間海外進出第3弾となったアルバムarea62』もアメリカインディーズレーベル発売した2005年以降は、鳥山雄司プロディースのアルバムfairy』を経て2006年の『bless you』で再び小倉とのコンビとなるが、2007年の『Baby's breath』で初め作詞・作曲単独行ったアルバム発売それ以降セルフ・プロデュースアルバムメインとなった2001年から2005年ごろは、芸能界デビューした娘の神田沙也加音楽番組バラエティ番組でよく共演したり、2005年以降自身旧来ファンである著名人とも共演したりした。 2006年年末ディナーショーにてかつての所属事務所サンミュージック会長相澤秀禎17年ぶりに再会。ようやく和解できた喜びから、楽屋駆けつけ相澤の姿を見て号泣したという。翌2007年には聖子からの提案によりサンミュージック業務提携している。 2011年には、女性アーティストからの楽曲提供尾崎亜美以来26年ぶりとなる、竹内まりや作詞・作曲シングル特別な恋人」がオリコン14となった2012年6月に、同世代大学准教授歯科医)と3度目の結婚2015年には、デビュー35周年記念シングルとして「時間の国のアリス以来31年ぶりに松本隆呉田軽穂松任谷由実)のコンビによる「永遠のもっと果てまで/惑星になりたい」が発売されチャート11となった2016年にはYOSHIKI作詞・作曲シングル薔薇のように咲いて 桜のように散って」がチャート6位のヒットとなった2015年の『Bibbidi-Bobbidi-Boo』から起用され編曲家野崎洋一が、以降作品編曲担当する事が多い。 2014年2月末、新事務所felicia club」を設立しファンティック」から移籍2017年新たな取り組みとして全編ジャズ構成されアルバムSEIKO JAZZ』を発売2019年には第2弾となる『SEIKO JAZZ 2』を発売した2020年デビュー40周年迎えアルバムSEIKO MATSUDA 2020』を9月リリース初期楽曲数多く手掛けた財津和夫37年ぶりのタッグ組んで制作した風に向かう一輪の花」などを収録。同曲の歌詞の内容ファンへの感謝自身人生回顧今後決意となっており、40周年記念における中心的楽曲となっている。

※この「独立 - セルフ・プロデュースへ」の解説は、「松田聖子」の解説の一部です。
「独立 - セルフ・プロデュースへ」を含む「松田聖子」の記事については、「松田聖子」の概要を参照ください。

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