火災沈没事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/04 14:14 UTC 版)
「ヤーマス・キャッスル (客船)」の記事における「火災沈没事故」の解説
1965年11月12日、乗客376名、乗員176名、合計552名を乗せたヤーマス・キャッスルは、ナッソーに向けてマイアミを出港した。翌日にはナッソーに到着する予定であった。船長は35歳のバイロン・ヴォーチナス (Byron Voutsinas) であった。 11月13日の午前1時少し前、マットレス置き場になっていた610号船室で、マットレスが照明の電気回路に近過ぎるところまで積まれていたことから出火。室内には部屋いっぱいのマットレスと塗料の缶があり火勢を増すことになった。 午前1時ころ、酷く火傷を負ったひとりの乗客が階段を上ってきて、デッキ上に倒れ込んだ。この乗客を助けようと駆けつけた乗員は、階段が煙と炎で充満していることに気づく。当直船員は直ちにヴォーチナス船長に火災発生を知らせた。船長は二等航海士に霧笛を使って警報を吹鳴するよう命じたが、警報を出す前にブリッジ(船橋)まで炎が達した。非番だった船舶通信士も通信機へと向かったが、到着したときには通信機は完全に炎に包まれていた。この時点で、ヤーマス・キャッスルはマイアミから東に120マイル、ナッソーの北西60マイルの位置にいた。 船の火災報知器は作動せず、スプリンクラーも機能しなかった。乗客たちは、半狂乱になって救命胴衣を求める人々が船内の通路で絶叫しながら走り回るのを耳にして、目が醒めた。 火は船体の上部構造に急速に広がったが、これは船体の自然換気システムに沿って進んだためであった。炎は階段吹き抜けを通って垂直に上り、木製の羽目板、木製の甲板、壁面の新しい塗料の層などが燃料となって火勢を強めた。乗客の多くは、舷窓を壊し小さな丸窓を通って、炎上する船室から脱出した。船の前方半分はすぐに炎に呑み込まれ、乗客乗員は船尾へと逃れた。ヤーマス・キャッスルの救命ボートは、着水させる間もなく、炎上してしまったものも多かった。 さらに問題は重なった。船の消火栓は水圧が足らず、消火活動はできなかった。ホースの1本は切り取られていた。乗員は救命ボートの着水にも手間取った。ボートを降ろすために使うロープが、分厚く上塗りされていた塗料の層のためにウインチ(巻き上げ機)で絡んで動かせなかったのである。ボートがうまく着水した場合も、ボートに櫂受け(オール受け)がなかったために、ボートを進めるためにはカヌーのように漕がなければならなかった。結局、13艇用意されていた救命ボートのうち、使われたのは6艇だけであった。 こうした状況の中で、乗員の勇敢な行動を伝える話も、臆病さを伝える話も残されている。乗員の多くが、乗客を援助することなしに逃げ出した。しかし、乗客を船室の窓から引っぱり出す手助けをして、舷側にある縄梯子へと誘導した乗員たちもいた。迫り来る炎から助けるために、弱ってパニック状態に陥った人々を、舷側から海中に投げ降ろした乗員たちもいた。自分の救命胴衣を乗客に渡した船員たちもいた。 フィンランド船籍の貨物船フィンパルプ (Finnpulp) は、ヤーマス・キャッスルの前方8マイルの位置で、ヤーマス・キャッスルと同じく東へ進んでいた。午前1時30分、同船の航海士がレーダー画面で、ヤーマス・キャッスルが急減速していることに気づいた。船尾方向を見ると、燃え上がる炎が目視できたため、就寝中だった船長ジョン・レート (John Lehto) に急を知らせた。レート船長は直ちにフィンパルプの転回を命じた。同船はナッソーへの無線通報を3度試みたが、応答はなかった。午前1時36分に、フィンパルプはマイアミの合衆国沿岸警備隊に連絡をとることに成功し、第一報が伝えられた。 旅客船バハマ・スター (Bahama Star) は、ヤーマス・キャッスルの後方12マイルを進んでいた。午前2時15分、カール・ブラウン (Carl Brown) 船長は、立ち上る煙と海面に照り返す赤い輝きに気づいた。これがヤーマス・キャッスルであることを悟った船長は、全速前進を命じた。バハマ・スターから合衆国沿岸警備隊への通報は、午前2時20分であった。 現場に最初に到着したのはフィンパルプだった。最初に同船までたどり着いたヤーマス・キャッスルの救命ボートには、半分程度しか人は乗り込んでいなかった。フィンパルプのレート船長は、このボートに乗っていた乗客が4名だけだと知って激怒した。残りの20名は、最初の警報を聞いて船から逃げ出した乗員たちであり、その中にはヴォーチナス船長も含まれていた。乗客4名は貨物船に収容された。ヴォーチナス船長は、無線通信が必要だったからフィンパルプへ来たのだと主張した。フィンパルプのレート船長は、「戻って生存者を見つけて来い」と言って、ヴォーチナスと乗員たちをヤーマス・キャッスルへ追い返した。これに続いた2艇の救命ボートも、乗っていたのは乗員だけであった。 やがてバハマ・スターが現場に到着した。同船はヤーマス・キャッスルから100ヤードほどの位置まで近づき、自船の救命ボートを降ろして炎上するヤーマス・キャッスルの右舷側に並べた。炎上する船から海中に飛び込み、この救命ボートに泳ぎついた者もいた。フィンパルプはモーターボートを降ろし、救命ボートをバハマ・スターまで曳いていく作業をした。 バハマ・スターのブラウン船長が後日報告したところによると、ヤーマス・キャッスルからはパニック状態に陥った大きな音が聞こえていたという。船長の回想では、船室のドアが破られる音、ガラスが割れる音、多数の人々の絶叫が聞こえていたという。ブラウン船長も、レート船長も、救助活動の最中ずっと低い唸るような音が聞こえていたと語ったが、これはヤーマス・キャッスルの霧笛から漏れた蒸気の音だったと結論づけられた。ベンチ、デッキチェアー、マットレス、手荷物など(水に浮くもの)が、炎上する船から、水中でもがく人々の方へ投じられた。 ヤーマス・キャッスルの左舷側に回り込んだフィンパルプは、ヤーマス・キャッスルに接舷して、炎上する船から貨物船の甲板へと、乗客を直接乗り移らせたが、自船の塗装が煙を発して焼け始めたため、すぐに安全な距離まで離れることを余儀なくされた。その後、同船は、海中に浮かぶ人々を引き上げるべく、自船の救命ボートを出した。 合衆国沿岸警備隊は4機の飛行機を現場上空4,000フィートに出したが、パイロットたちは、何マイルも手前から煙と炎が見え、飛行機もそれに包まれそうになった、と語った。 午前4時までには、生存者全員がフィンパルプとバハマ・スターに収容されたが、この頃にはヤーマス・キャッスルの船体は完全に炎に包まれていた。船に近い海水は沸騰しているように見えたという。午前6時少し前にヤーマス・キャッスルは左舷側に横転した。蒸気の咆哮、破裂するボイラーの音がして、午前6時3分には海面下に船体が沈んだ。
※この「火災沈没事故」の解説は、「ヤーマス・キャッスル (客船)」の解説の一部です。
「火災沈没事故」を含む「ヤーマス・キャッスル (客船)」の記事については、「ヤーマス・キャッスル (客船)」の概要を参照ください。
火災・沈没事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 08:34 UTC 版)
「フェリシティ・エース」の記事における「火災・沈没事故」の解説
2022年2月10日、フォルクスワーゲン・グループの自動車3,965台を積載してドイツのエムデンからアメリカ合衆国東海岸のロードアイランド州デイビスビル(英語版)に向けて出港した。2月16日、北大西洋のアゾレス諸島南西沖の北緯37度29.9分 西経30度14.0分付近を航行中に貨物室より出火。乗員22人はポルトガル海軍・空軍と付近を航行する民間船により全員救助され、ポルトガルのアゾレス諸島に避難した。乗員の退避後に船は火災を続けながら漂流し、2月22日には運航会社が手配したタグボートがジブラルタルから到着して放水を開始した。2月25日には救助船により曳航が開始されたが、悪天候のため右舷に傾き、現地時間3月1日午前9時頃に沈没した。 積荷はVWのほか、同社の系列のアウディ、ポルシェ、ベントレー、ランボルギーニなどの高級車が含まれていた。自動車の被害総額は3億3500万ドルに上るが、保険が適用されるとVW社では説明している。火災の原因は特定されていないが、積荷の中にはリチウムイオン電池を使用した電気自動車(EV)も含まれており、EVの火災は消火が困難である。同船には重油1000トン、軽油400トンの燃料油が詰まれていたが、漏出は確認されていない。
※この「火災・沈没事故」の解説は、「フェリシティ・エース」の解説の一部です。
「火災・沈没事故」を含む「フェリシティ・エース」の記事については、「フェリシティ・エース」の概要を参照ください。
- 火災沈没事故のページへのリンク