演出・仕事
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 04:39 UTC 版)
緻密な構成力を有し、アニメーションでありながら、リアルで自然な説得力のある世界観を追求している。 高畑作品の絵コンテは自身がまずラフコンテを描き起こし、それを元に優秀なアニメーターが清書するという共同作業で完成される。各場面のキャラクターの演技をどうするか、その心理を深く考え抜き、アニメーターにも深く考える事を求めた。自分の考えを押しつけはせず、民主的にアイデアを募り、有機的にまとめており、その中で頭角を現したのが宮﨑だった。宮﨑と組んだ時には、どんな物語にするか・プロット・一つ一つの情景を綿密に打ち合わせて、共通のイメージが出来上がった時点で絵にしていくという事を繰り返した。物語を作る際に宮崎は、膨大な量のイメージボードを描いている。 高畑は自分で絵を描かない事で「自分で描く狭さから脱出」出来、『絵描きではないにしても、絵への感覚を研ぎ澄ませて「絵がわかる」という状態を持っていれば……「様々な才能と組む事が出来る」』と述べている。 アニメは「誇張」や「省略」の手法を用いて描く事が主流だった中で、徹底した生活描写や舞台設定を行ない、作品に「リアリズム」を持ち込んだ。「アルプスの少女ハイジ」では当時のアニメ界では珍しい、海外へのロケーション・ハンティングを行なった。 アニメーションの本流への復帰を目指し、現実の日常生活の自然主義的な描写に留まっていてはアニメーションではないと考え、子供達の想像力を膨らませ、遊びの開放感と発見の喜びを味わわせる方向へと表現を高める事を要求した。 表現が記号やパターンでしか表現されないのでは実在感を感ずる事が出来ないと考え、生き生きとしたキャラクターは生き生きと、美しいものは観客にとっても美しく、楽しい事は楽しそうに、おいしそうなものはおいしそうに実質として表現した。 演出の特色は原作を深く読み込み、ドラマとキャラクターに距離をおいて、客観的に描き切る所にある。人物に対しては過度な理想を抱かず、ペシミズムに陥るわけでもなく、リアリズムを基調にしている。シビアな題材を扱った場合には冷徹ですらあり、コメディタッチの題材であっても、生真面目な視点で物語る。 高畑は原作への態度について、「原作が面白いと思ったら、その面白さをどう活かすか、どう発展させるかということに集中します」「原作に感心するから作るのであって、そうじゃなければ断りますよ。『原作には感心しないけど、換骨奪胎してこう作れば面白くなる』というのは原作者に対して失礼だと思うから。」と述べており、『かぐや姫の物語』だけがその例外だったとしている。『母をたずねて三千里』の次に『ペリーヌ物語』の監督が予定されていたが原作の内容に否定的な立場を表明して拒否したという、『ペリーヌ物語』スタッフによる証言がある。 キャラクターには平板な印象ではなく、靴を脱いだり履いたりといった日常の極めてささいな動作、立ち振る舞い家事等の表現を重視した。行動の過程をしっかり書く事で行動自体が楽しさや面白さが呼び起こすようにし、また、アニメーションの世界を現実のものとして感ずるようになる演出とショットの構成を求めた。 『ハイジ』はスポ根もの・ロボット系・魔法少女が人気だった当時のアニメ界で、地味な生活や質素な衣食住を丁寧に描いていこうと作られ、平均視聴率20%超えの大成功を収めた。 『となりの山田くん』『かぐや姫の物語』では日本の絵画の描線で、スケッチ風の淡彩の画面でやりたいという意志があった。アニメーターが描いたラフな線が持つ生命力を、そのまま画面に出す事を可能にした。 音楽に対しても非常にこだわりを持っていた。主題歌や挿入歌の作詞や訳詞も行なっている。『母をたずねて三千里』で、エンディングテーマ「かあさんおはよう」の作詞、『おもひでぽろぽろ』ではベット・ミドラーの「The Rose」を翻訳し、「愛は花、君はその種子」とタイトルを付けて都はるみに歌わせた。宮崎駿監督作『紅の豚』では、シャンソンの名曲「さくらんぼの実る頃」の訳詞も手がけ、こちらは加藤登紀子が歌って話題になった。そして、『ホーホケキョ となりの山田くん』では、ドリス・デイがヒッチコック映画で歌った「ケ・セラ・セラ」の訳詞も行なった。宮崎の監督作『魔女の宅急便』では高畑は「音楽演出」の担当者としてクレジットされている。また、作曲も手がけており、『じゃりン子チエ』の挿入歌である「バケツのおひさんつかまえた」を惣領泰則と共作。『かぐや姫の物語』では劇中歌の「わらべ唄」と「天女の歌」を高畑が作詞作曲を手がけた(作詞は坂口理子との共作)。この際、ボーカロイドの初音ミクに歌わせてデモ作りを行ない、久石譲に曲のイメージを伝えた。久石譲や矢野顕子・上々颱風等、多数のミュージシャンを指名し起用した。高畑の没後に坂本龍一も依頼を受けたことがあったと明かしている。坂本によると音楽が「シリアス過ぎて」起用は見合せになったという。坂本は作品名は答えていないが、2012年に坂本が鈴木敏夫と公開対談した際に鈴木から高畑作品への協力を要請されたことがあった。 制作のスピードに関しては、宮崎が「パクさんはナマケモノの子孫です」と喩える程スローである。『太陽の王子 ホルスの大冒険』では、製作の遅れの責任を取って、プロデューサーが何度も交代する程であった[要出典]。鈴木敏夫は高畑没後のインタビューで、(ジブリ時代に)高畑が「公開日に間に合わせて映画を作った事が、遂に一度もなかった」と述べている。『火垂るの墓』では一部カットの彩色が間に合わず、未完成版を公開した。『おもひでぽろぽろ』の時には遅延が明らかになって、宮崎がメインスタッフに「(間に合わせるには)今までのやり方を全部変えてくれ」と説明した後も、高畑は「今まで通りでいい」と主なアニメーターに話したが、彼等はそれに恐怖感を抱いて作業を早めた為、「何とか間に合った」という。『平成狸合戦ぽんぽこ』では、鈴木はあらかじめ遅延を見越し、高畑には「3月公開」と伝えた上で本来の公開予定である7月に間に合わせる計略を仕掛けたものの、それでも間に合わなくなりそうになった為、10分削る事を約1ヶ月、高畑と交渉して間に合わせた。『ホーホケキョとなりの山田くん』では「製作は順調に遅れています」という異色の予告編が作られた。『かぐや姫の物語』が一旦『風立ちぬ』と同日公開とされたのは、制作作業の遅れ(絵コンテの進捗が1ヶ月で2分相当で、企画から5年経過の時点で30分しか完成しなかった)に業を煮やしたプロデューサーの西村義明が鈴木敏夫と相談の末、高畑を奮起させて進捗を回復させる為に打った「大博打」だったという。 予算管理については甘いと指摘されている。特に、『柳川堀割物語』を監督した際には、高畑が巨額の製作費を注ぎ込んだ為、宮崎駿が調達した資金だけでは足りず、結果的に宮崎が自宅を抵当に入れざるを得なくなるという騒動が起きている。この『柳川堀割物語』騒動について、鈴木敏夫は「高畑さんはプロデューサーとしては予算管理が出来ても、自分が監督となると際限なくお金を使ってしまう」と指摘している。また、製作費50億円という日本映画としては破格の予算を注ぎ込んだ『かぐや姫の物語』の完成報告会見では、自ら「お金も時間もたくさんかけてやっと完成した。お金の事は考えずに作っちゃうのですが、出来てしまうと、後はどう回収するか。問題はそればかり」と述べた。『かぐや姫の物語』にこれだけの製作費を投入出来たのは、高畑の監督作品、とりわけ『ホーホケキョ となりの山田くん』を気に入った日本テレビ会長(当時)の氏家齊一郎が、「高畑さんの新作を見たい。大きな赤字を生んでも構わない。金はすべて俺が出す。俺の死に土産だ」という意向で製作を要請し、氏家の逝去後も、そのパトロンとしての遺志が尊重された事が要因であると鈴木敏夫は述べている。
※この「演出・仕事」の解説は、「高畑勲」の解説の一部です。
「演出・仕事」を含む「高畑勲」の記事については、「高畑勲」の概要を参照ください。
- 演出・仕事のページへのリンク