湾岸戦争以降
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1991年 - 第1次インティファーダが下火となる湾岸戦争が発生。リンキングを図るイラクにより、テルアビブを標的とした短距離弾道ミサイルの攻撃を受ける。 アメリカ・ソ連両国の支援のもとマドリッド会議開催。PLOとの顔合わせの機会となる(イスラエル、シリア、レバノン、ヨルダン・パレスチナが参加) 1992年 - 中国・インドとの国交樹立左派政党の労働党政権が成立し、労働党のイツハク・ラビンが首相になる。 1993年(9月13日調印) - イスラエルとPLO、パレスチナ人の暫定自治の原則宣言に調印(オスロ協定*)成立。PLOによるヨルダン川西岸及びガザ地区のパレスチナ人居住地の自治が始まる。基本原則宣言(DOP)ではA地区、B地区、C地区に分割、C地区のアラブ人の住まないとされた土地に入植地を建設パレスチナ自治区拡大。1999年まで、5つの平和条約が結ばれ、そのたびに自治区が拡大されてきた。 1994年5月4日 - ガザ・エリコ地区における自治が実施されるローマ教皇庁との国交が樹立される 10月26日 - イスラエル・ヨルダン平和条約調印。ヨルダン、ユダヤ・サマリア地区の領有権を放棄 モロッコ、チュニジアがイスラエルの利益代表部を設置 イツハク・ラビン、シモン・ペレス、アラファト、ノーベル平和賞を受賞 1995年9月28日 - 西岸・ガザのパレスチナ人自治区が拡大され、456町村においてパレスチナ人自治が開始される。パレスチナ人評議会が選出される11月4日 イツハク・ラビン首相がテルアビブで右派のユダヤ系イスラエル人に射殺される、後任としてシモン・ペレス外相、首相に就任 p 1996年 - イスラエルに対する、アラブ・イスラム原理主義者(ハマス、イスラーム聖戦、ヒズボラ)のテロが激化するイスラエル北部へのヒズボラのテロ攻撃に対処するため、怒りの葡萄作戦が発動される 4月 PLO、式典において憲章からイスラエル破壊条項を削除(その後無効とされる) オマーン、カタールにイスラエルの通商代表事務所を設置する 6月 イスラエル総選挙。右派といわれるリクード政権樹立、ベニヤミン・ネタニヤフが首相に就任 オマーン、テルアビブに通商代表事務所を開設する 1997年1月17日 - ヘブロン・プロトコル、自治拡大 1998年10月23日 - ワイリバー覚書、自治拡大 1998年 ゴラン高原の入植地拡張計画を発表 1999年 - 労働党のエフード・バラック、首相就任9月、11月 シャルム・エルシェイク会議により自治区拡大シャルム・エルシェイク会議では、この月から最終地位交渉に入り、一年以内で包括的協定が結ばれるという見通しが立っていた。 2000年1月20日 自治区拡大 9月末 - アル・アクサ・インティファーダ(第二次インティファーダ)発生によりPLOとの和平交渉決裂 2001年 - リクード党のアリエル・シャロン、首相就任9月11日 - 同時多発テロ。パレスチナ問題とのリンキングが謀られる。 2002年 ダニエル・カーネマン、ノーベル経済学賞を受賞 2003年 -1月 - 空軍大佐イラン・ラモンが、同国初の宇宙飛行士として米スペースシャトル・コロンビアに搭乗。しかし2月1日、大気圏再突入時の空中分解事故によりクルー全員と共に死亡。 4月30日 - 米国国務省が和平ロードマップを提示() 2004年アーロン・チカノーバー、アブラム・ハーシュコ、ノーベル賞受賞 PLO議長ヤーセル・アラファート、フランスで死去。後任にマフムード・アッバース就任 2005年 - アッバースPLO議長、パレスティナ自治政府議長に就任2月28日 - ヨルダンでイスラエルとシリアの水面下での秘密和平交渉 3月1日 - 反政府デモを受けてレバノンの親シリア政権が崩壊、ラホード大統領辞任 3月17日 - ガリー・ベルティーニ逝去 9月 ガザの入植地を撤退 10月 イスラエル・アウマン(ロバート・オーマン)がノーベル経済学賞受賞 2006年1月4日 新党カディーマを結党したシャロン首相が脳出血を起こし入院。エフード・オルメルト副首相が首相代行 7月 ヒズボラがイスラエル軍兵士2人を拉致、報復としてヒズボラ拠点であるレバノン南部への空爆と地上軍侵攻を開始し、第二次レバノン戦争が勃発。両軍およびイスラエル民間人やレバノン民間人を含め多数の死傷者を出す。8月14日、国連安保理決議に基づき停戦が発効される。 2007年9月 5~6日に掛け、秘密裏にシリアを空襲。イスラエルは箝口令を敷いていたが、19日夜、ネタニヤフ元首相は「私は最初からこの件に関与していたし、支持した」と発言し、空襲を行ったことを認めた。 2008年12月27日 イスラエル軍がガザ地区で、イスラム原理主義組織ハマースの治安施設などを標的とした大規模な空爆を実施。空爆で195人が死亡、300人が負傷したとしている。報復としてハマースはガザ地区に隣接したイスラエル南部にロケット弾を撃ち込み、イスラエル人1人が死亡した(ガザ紛争 (2008年-2009年)) 2009年1月3日 地上侵攻を開始(ガザ紛争 (2008年-2009年)) 2010年8月3日 レバノンと衝突。 2018年7月19日イスラエル議会は、イスラエルを「ユダヤ人の国家」と定義する法案の採決を行い、これを採択した。
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