湾岸戦争での戦争プロパガンダ事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 07:27 UTC 版)
「ヒル・アンド・ノウルトン」の記事における「湾岸戦争での戦争プロパガンダ事件」の解説
メディアと民主主義センター (Center for Media and Democracy) によれば、1990年H&K社は、米国内で「アメリカ世論操作を狙った、外国資本によるかつてない最大のキャンペーン」を行い、他の20以上の米国の広報会社を率いた。 H&K社は、クウェート政府がほぼ全面的に資金提供した偽装草の根市民運動 (Astroturf) 団体自由クウェートのための市民運動 (Citizens for a Free Kuwait) が払う1,080万ドルで受注した。 1990年10月10日のアメリカ下院の下院人権議員集会 (Congressional Human Rights Caucus) で行われたナイラ看護師の証言が問題になった。「命からがらクウェートから逃げてきた」と言うナイラは、H&K社の副社長ローリー・フィッツペガドから直接演技指導を受け、ボランティアをしていたクウェート市のアル=アダン病院に、イラク兵が乗り込み保育器から取り出された多くの幼児が虐殺されたという嘘の証言を涙ながらに行った。 このエピソードはサダム・フセインを非難するときに毎回のように引用され、ブッシュ大統領も「赤ん坊殺し」と言う表現を好んで使用するほど影響を与えた。湾岸戦争終結後、世界中のマスメディアがこの証言の真偽を確認するため取材したが、虐殺の証言が集まらない上に、100以上もあるはずの保育器そのものがクウェート全土に数えるほどしかなかった。現実には、ナイラは当時のクウェート駐米大使サウド・ナシール・アル・サバ (Saud bin Nasir Al-Sabah) の娘だった。 その後クウェート政府が危機管理会社クロール社 (Kroll Inc.) に委託した調査で、保育器が略奪され幼児が死亡したのは少なくとも7人と結論づけたが、何人が死んだか記録もないし現場のコンセンサスもないとした。調査によるインタビューで、ナイラは、議会での証言はH&K社が手伝って用意したものだと述べ、事件で赤ん坊が保育器の外にいるのを「ほんの一瞬」見ただけだったことを証言した。またナイラは、その病院でボランティアをしたことがなく、かつて数分間居たことがあるだけだったことも証言した。ワシントン・マンスリー (Washington Monthly) でTed Rowseは、被害者が159人と言う数字も、議会証言でH&K社から事前配布された資料には書かれていて、ナイラの口頭証言で数字が一切出てこなかったことから、H&K社が作ったものだと断定している。 詳細は「ナイラ証言」を参照
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