歌手の戸川智子の陳述
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「神坂四郎の犯罪」の記事における「歌手の戸川智子の陳述」の解説
神坂とは満鉄に神坂が居た頃からの知り合いで、太平洋戦争が危うくなりかけていた頃で、満洲の開拓義勇軍で、開拓地や工場など慰問する際の案内役が神坂だった。それから今まで4年以上、5年近く関係があったが、終戦当時は岡崎へ疎開しており、東京へ戻ったのは去年の正月からで、その間は疎遠だった。 神坂は露骨に言えば女たらしで、悪党ではないが、秘密にすることができない、明けっ放しな人である。梅原のことも、奥さんのことも、永井さち子のこともみんな神坂から聞かされて知っている。 最初の関係は、大連へ行く船の中でであり、前の夫と別れ、一人になっていたところだった。神坂は実は四つも年下だった。疎開先から東京へ戻るのも神坂の世話によるもので、郷里でのんびりしていたら、芸がだめになると、レコード会社を世話してくれたり、大きな工場の芸能指導の話をまとめたりした。東京での活動にも多大なる世話をして貰った。また、十万近くを神坂に貸している、 神坂は三景書房では信用があり、近いうちに副社長に就任する予定だった。社長がもう一つの製紙事業の方を専門にし、神坂が三景書房を引き受ける筈だった。永井さち子が神坂を裏切って社長を味方につけ、社長の妾か第三夫人になったのがいけない。永井さち子は恋人が戦争で死に、神坂に熱心なアプローチをしていた。神坂は好きでも何でもなかったが、良い気にはなっていた。そのため、神坂から、永井さち子と熱海へ行くから一万円を貸してくれと頼まれ、一文も貸さないと強情を張ったら、自分の舞台の衣裳を持ち出そうとして喧嘩になった。別れ話を切り出したら、神坂は自分に手をついて謝罪し、永井のことなど見向きもしないと誓った。結果、自分と神坂が伊豆山へ二泊した。永井さち子は執念深く、痩せてひょろひょろしているのに自分のように肥って、丈夫そうな者よりもしつこかった。後には神坂は永井のことを邪慳にしたが、効果がなく、越度を捕らえて馘にしようとしたが、永井さち子は社長に泣きついて、勘弁して貰った。 三四ヶ月前、神坂とダンスホール・酒場で遊び、遅くなった際に日本間のある編集室に泊まったことがあり、机などを片づけて寝床を敷いたが、神坂は明日の朝、永井さち子が来る、日曜でも校正がたまっているので、出社すると言い、明くる朝、ようやく起きたばかりのところへ永井さち子が現れ、寝巻き姿の自分たちの姿を見て、逃げていった。神坂はこの姿を永井に見せつけるために自分を利用したのだという。男は残酷だと思いつつ、少しだけ良い気持ちだった。今にして思うと、こんなひどいことをした報いで業務上横領の罪を着せられたのではないか。永井は同じ事務所の大森を味方につけたり、社長に取り入ったりして、神坂を陥れたのではないか。お金が要るときは自分の方から取り上げており、梅原を養っていた資金もほとんど自分が出していたようなものだった。永井さち子は妖婦だ。 神坂は奥さんを愛してはいなかった。それが女遊びを始めた一番の動機であろう。奥さんは怕い人で、冗談の言えない堅い人だった。だから、一週間のうち五日までは自分のところに泊まり込み、そこから出勤していた。そういうことをしても、奥さんは文句も言わず、嫉妬やヒステリーを起こしたりせず、石地蔵のように無表情であり、家庭は木を噛むような味気なさだと語っていた。女房は義務だけ知っている自動人形で、子供や良人へのつとめを果たしている精巧な機械だ。刑務所に入れられても、死刑にされても泰然としている、貞女の鏡だ、と言っていた。それを聞いて、神坂が可哀相でたまらなかった。神坂は月に一度の割合で、自分と結婚したいと言ったが、なるべく家に帰るようにと自分は行った。すると、神坂は家に帰ってもすることがなく、味気なさに夜中に本を読んだり、編集の仕事をしながら夜明けを待っていると言った。いくら立派な女性であっても、良人のために良い妻であり、愛されないと価値があるのではないか。今回の事件にも奥さんの責任は大きい。事件があったとき、神坂は自分のところへ来て、女の怨みにやられたと言ったが、それも奥さんが旦那様を愛していなかったからではないか。 神坂は要は他人に使われる人間ではない、独立して再出発する必要があり、身辺整理をすると語り、自分が一緒に暮らしていける女は自分だけだ、子供も引き取ってくれないか、と頼んだ。子供は奥さんが手放さないだろうと答えると、今度こそ最後だから、女房への手切れ金はないか、という話になり、スター・ルビーの指輪を貸してくれないか、と頼んできた。その指輪は最初の満洲旅行の際に新京で貰ったもので、甘粕正彦氏の慰問団の一行を招待した際に甘粕氏がくれたものだった。自分は嫌だと言ったら、喧嘩になったが、到頭指輪だけは渡さなかった。そうしたら、貴様みたな奴は芸能界から追い出す、と言った。その三日後、二カラットのダイヤの指輪を持ってきて、25万円で買えと言ってきた。そんな金はない、どこからそんなものを持ってきたのかと尋ねたら、梅原千代と結婚することになり、彼女が渡してくれたものだ、と答えた。口惜しかったので、梅原に神坂の欠点をすべて教えようと思ったが、住所を知らないのでできなかった。そうしたら、その五六日あとに自殺幇助事件が起こった。 神坂は梅原とのことは性的なことも含めて、洗いざらい語ってくれた。まるで自分の嫉妬心を煽りたてるような感じで、不思議なことに競争心がわいてきた。梅原の方にも自分のことをしゃべっており、自分の吹き込んだ民謡や歌謡曲のレコードを持って行ったりしていた。岸本というのが梅原の本名で、北海道の小地主の娘で文学少女の二十四五歳で、政治評論家の今村徹雄の奥さんの遠縁で、北海道の女学校を卒業してから、家事見習いとして今村家へ来たところ、今村に見初められたらしい。今村が奥さんに内緒で箱根か湯河原へ連れ出して、発覚し、家庭争議になった。今村の奥さんは住友の親戚か何かから来た人で、大変威張っていた。そこで、今村は神坂に岸本八重子の処遇を頼み、今村が岸本と手を完全に切ることと、三万円で神坂がもらい受けることになった。そして、岸本を梅原と偽名させて、愛人にした。梅原の方にも手に職があるわけでなし、女給になるしか道はなかった。今村はその後も、岸本の居所を知らせろ、もう一度引き取らせろと神坂を困らせていた。梅原は二人の玩具にされていた。 今村は酒が飲みたくなると、神坂を連れ出し、三日にあけずに街へ出て三景書房の社の費用で酒場を飮み歩いていた。神坂は金の工面のために苦労し、自分のところからも二万円位持って行っている。東西文化の広告料の二割は神坂の収入になっていたので、それを殆ど使用していた。そこから業務上横領の話が出たのか。眼上の人にはとても気の弱い人間だった。今回の横領事件も今村自身が半分は自分の責任と分かっているので、事件の発覚当時、酒場で神坂を怒鳴り付けていたが、八百長芝居だ。その後で鳩の街へ遊びに行くから同じ穴の狢だ。三景書房の社長が神坂を馘にし、告訴したのは今村の提案だそうだが、それも二人の八百長芝居で、頃合を見て、今村が社長に告訴を取り下げさせようとしている。男はみな獣だ。告訴を取り下げた後で、今村が知り合いの代議士に神坂に出版事業をさせる方針も決まっている。 梅原の自殺事件は自分も良く分からない。奥さんが介抱に行っているから、自分は行けないので詳しい話を聞けない。梅原が肺病を悲観したのは、今村の奥さんも永い肺病で、三四年今村宅にいたのだから伝染したのだろう。奥さんが病気なので、今村は梅原に気持ちが向いたのだろう。しかし、神坂が泊まっていたのだから、大した症状はなかったのだろう。心中の際に酒と一緒に飲んだ催眠剤は多分自分がよく使うものだろう。事件の三日前に神坂が来て、眠れないから薬をくれと言って来た。次の晩に自分が飲もうと思ったら、七八回分はあったのが箱ごとなくなっていた。しかし、神坂が梅原を殺し、自殺するだろうか。きっと道連れにされたのだろう。 神坂は本当は我が儘なお坊ちゃん育ちの駄々っ子で、世間知らずで、少し非常識かも知れない。自分では一生懸命やっていいても、他人から憎まれたりそねまれたり、今村や梅原に利用されたり、永井に裏切られたりで、それでお人好しで何とか済んできたようなものだ。彼の女好きも許せるような気がする。
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