歌手として・女優としてとは? わかりやすく解説

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歌手として・女優として

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 05:40 UTC 版)

桜田淳子」の記事における「歌手として・女優として」の解説

1972年昭和47年7月19日放映8月6日)、中学2年生14歳)の時に日本テレビ人気オーディション番組『スター誕生!』秋田県民会館行われたテレビ予選牧葉ユミの「見知らぬ世界」を歌い番組史最高得点となる573点で合格挑戦者は7人で、合格ライン250点。会場500点、プロ各自100点の計500点で、合計1000満点)。同年9月6日放映9月17日)、後楽園ホール行われた第4回決戦大会で、これも番組史上最高の25社から獲得意向を示すプラカード上がり審査員からの評価圧倒的最優秀賞グランドチャンピオン)を受賞したホリプロ創業者堀威夫自伝いつだって青春によれば当初桜田ホリプロ入り意向示していたが、ホリプロには既に同番組出身森昌子所属しており、(スター誕生!出身者が)同じ事務所ばかりに偏るのはどうかとの日本テレビ側配慮もあって、サンミュージック所属することになったという。桜田本人は、芸能界の悪いイメージ中にあって、森田健作はさわやかで清潔な印象があり、森田さん所属事務所なら間違いないという、ただ一つ理由で、秋田にやってきた日本テレビプロデューサーに「森田さん事務所に行かせて下さいと言った話している。1972年昭和47年10月中旬先の大森叔母宅に寄宿し私立品川中学校現・品女子学院中等部2年生転入した3年時に同じクラス山口百恵転入してきて、よく似た境遇でもあり、すぐに打ち解け親しくなる同年3月23日二人で卒業する高校別々になった。 1973年昭和48年2月25日ビクター音楽産業より歌手デビューデビュー曲天使も夢みる」は、オリコンチャートでも12につけるなど好スタート切ったまた、歌う時に被っていたキャスケット2枚目のシングル天使の初恋」まで)も桜田トレードマークとなり、当時エンジェルハット」と呼ばれて話題になった。この時点で既に人気アイドル仲間入り果たしていたが、その後、同じ『スター誕生!』出身で、同世代森昌子山口百恵と共に花の中三トリオ当時)と呼ばれるようになり、トリオとしての名称は3年後の「高三トリオ」まで続いた3枚目のシングルわたしの青い鳥」のヒットで、第15回日本レコード大賞新人賞第4回日本歌謡大賞放送音楽新人賞受賞。さらにその年の大晦日には第15回日本レコード大賞最優秀新人賞にも輝いた同年11月リリースされた4目のシングル花物語」で初めオリコンチャートベストテン入りを果たす。続く「三色すみれ」「黄色いリボン」「花占い」も順調にベストテン入りし、8目のシングルはじめての出来事」ではオリコンチャート第1位を獲得その後も「ひとり歩き」「十七の夏」「夏にご用心」「ねえ!気がついてよ」「気まぐれヴィーナス」「しあわせ芝居」「リップスティック」「サンタモニカの風などなど数々ヒット飛ばしたシングル累計600万枚近く売り上げトータル18曲をオリコンチャートベストテン送り込んでいる。デビュー3年目1975年昭和50年)には、オリコン・シングルレコード年間売上マルベル堂ブロマイド売上、『月刊明星』の年間人気投票において、いずれも女性歌手部門の1位を獲得するなど(「マルベル堂」『明星』『平凡』『近代映画首位の4冠は美空ひばり吉永小百合に続くもの)で、名実共に1970年代代表するトップアイドルのひとりであった。 また、コメディーリリーフとしてのセンスもあり、特に『8時だョ!全員集合』見せた志村けんとの「夫婦コント」(『私って駄目な女』シリーズ)での絶妙なかけ合いは、音響照明効果相まって人気博しお茶の間だけでなく、井上ひさし放送作家達からも絶賛された。歌手として活躍する一方で女優として1975年の映画スプーン一杯の幸せ』を皮切りに、『遺書 白い少女』『若い人』『愛情の設計』『愛の嵐の中で』と、5本の映画主演務めていたが、1978年には東宝歌舞伎大御所長谷川一夫指名により、『おはん長右衛門』で舞台女優にも挑戦初舞台ながら長谷川一夫相手役演じたことで、役者として資質改め注目されるようになった。その資質翌年市川崑監督作品病院坂の首縊りの家』での一人二役経て1980年の初主演ミュージカルアニーよ銃をとれ』で大きく開花し、その年の芸術祭大衆芸能部門2部優秀賞を、当時史上最年少受賞するなど高い評価得たこの頃から次第女優としての活動比重置かれるようになっていき、1983年発売され小椋佳作曲シングル眉月夜」のリリース最後に歌手活動停止、完全に女優業転向したその後数多くテレビドラマ舞台映画活躍歌手時代のみならず女優転向してからも、芸術選奨新人賞大衆芸能部門 文部大臣新人賞)や菊田一夫演劇賞演劇賞)を始め数多くの賞を受賞している。 『週刊プレイボーイ』、『平凡パンチ』、『明星』、『平凡』などで何度もグラビア飾っている。またしゃべり方特徴があり、ものまね番組などでサ行発音デフォルメして真似されることも多くフジテレビシチュエーションコメディ『やっぱり猫が好き』でも、出演者一人である小林聡美がたびたび桜田物真似披露している。アイドルありながらリクエストされれば秋田弁しゃべってみせたり秋田音頭持ち歌お国訛り歌ったりするなどサービス精神旺盛で、1970年代後半井関農機田植機『さなえ』のCM起用された際も、「やっぱし早苗だべさ」というお国訛りセリフ有名になった。重度近眼

※この「歌手として・女優として」の解説は、「桜田淳子」の解説の一部です。
「歌手として・女優として」を含む「桜田淳子」の記事については、「桜田淳子」の概要を参照ください。

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