棋聖戦の歴史とは? わかりやすく解説

棋聖戦の歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 09:15 UTC 版)

棋聖 (囲碁)」の記事における「棋聖戦の歴史」の解説

以下の項目では、日本国内開催される棋聖戦について説明する棋聖戦が始まる前、読売新聞社1957年から日本最強決定戦開催し1961年からは日本最強決定戦からの移行となる名人戦主催していた。しかし、当時狂乱物価」とも呼ばれた物価高騰のなか、1974年まで日本棋院からの契約金増額要請主催者読売新聞がほとんど応じなかったことから、日本棋院では名人戦朝日新聞への移管進め1974年末に契約打切り読売新聞通告した読売新聞はこれに反発し傘下メディア通じて日本棋院の対応を批判し続け1975年8月には日本棋院相手にした訴訟起こした同時に水面下交渉行い日本棋院顧問岡田一による「名人戦朝日契約」「読売序列第一位の新棋戦最高棋士決定戦棋聖戦新たに契約」(岡田私案)とする斡旋案で、同年12月10日和解した。この経緯は「名人戦騒動」として知られ将棋名人戦契約にも大きな影響与えた棋聖戦は、この「名人戦騒動」の渦中から生まれ1976年スタートした当時全盛林海峰木谷實一門実力者たちを退け第1期棋聖戦最高棋士決定戦トーナメント勝ち上がったのは、藤沢秀行橋本宇太郎の両ベテランであった決勝七番勝負では藤沢70歳橋本4-1降し初代棋聖の座に就いた。 翌1977年第2期は、四冠保持する挑戦者加藤正夫迎え藤沢はたちまち1勝3敗に追い込まれる。このカド番第5局藤沢は、2時間57分という大長考払って加藤大石全滅させ、気迫勝利を挙げた最終局でも藤沢半目差で逃げ切り大逆転での防衛果たした以降藤沢超一流挑戦者迎えるも毎年ことごとく撃退50代棋聖戦6連覇果たした。しかし1983年第7期挑戦者趙治勲は3連敗から残り4番連勝して棋聖奪取世代交代果たした藤沢はこの時期胃ガン進行していた)。 1986年3連覇果たした趙は兄弟弟子小林光一挑戦者迎えるが、直前交通事故両足左手骨折する重傷を負う。不戦敗やむなしとの声もあった中、趙は車椅子対局臨み逆境中2勝を挙げるが力尽き小林棋聖明け渡した以降小林は8連覇果たし、碁界の第一人者として君臨するこの間加藤正夫3度棋聖挑み奪取すれば趙に続くグランドスラム達成となったが、全て小林の壁に阻まれた。 1994年小林連覇止めたのは、宿命ライバル・趙であった。その翌年小林覚挑戦者として登場初挑戦にして趙を降して棋聖の座に就く。しかし翌年には趙がすかさず奪回。するとその翌年、再び小林覚挑戦者となり、3年連続同一カードとなった。趙はこの対決制し、再び大三冠君臨した2000年、趙の5連覇による名誉棋聖資格獲得阻んだのは王立誠であった。王の3連覇目、挑戦者柳時熏迎えた第5局で、ダメ詰め最中アタリ放置、王がこれを打ち抜いて逆転勝ちするという事態が生じた立会人裁定で王の勝利認められたが、ルール・マナー・美学など様々なレベル物議を醸すことになった2001年推薦棋士存在や、出場人数年ごと一定しないことなど、批判の声があった最高棋士決定戦方式取りやめ、挑戦者選定AリーグBリーグに6人ずつ属す2リーグ制変更となった2003年山下敬吾挑戦者として登場第4局封じ手でハナヅケの妙手放つなど王を圧倒し4-1棋聖奪取する。しかし翌年羽根直樹粘り屈し1年棋聖明け渡した2005年には結城聡挑戦獲得関西棋院棋士として28年ぶりの七番勝負挑んだが、3勝2敗から後を連敗し関西悲願は成らなかった。 翌2006年山下敬吾4-0ストレート棋聖奪回翌年小林覚挑戦4-0降し実力見せつけた。2008年には「七番勝負の鬼」趙治勲挑戦者迎えたが、乱戦に次ぐ乱戦制してフルセット山下防衛、翌2009年には、実力者依田紀基をも4-2撃破し、4連覇達成した2003年から2010年まで1期除いて山下毎年挑戦手合登場しており、現代の「棋聖戦男」と呼ばれた2010年山下が5連覇による名誉棋聖資格獲得挑戦者張栩グランドスラム達成、という対局者双方大きな記録が懸かった勝負となった結果張栩4-1山下降し山下名誉棋聖資格獲得阻む同時に史上二人目グランドスラム達成した2011年前期グランドスラム達成した張栩挑戦者井山裕太によって争われた。張栩が、3勝2敗で防衛王手掛けた第6局2日目3月11日には、対局となった山梨県甲府市常磐ホテル地震見舞われ、8分の一時中断打ち切り張栩が1目半勝で防衛成功した。翌2012年高尾紳路挑戦フルセットの末に降して3連覇を果たすが、2013年には井山裕太の再挑戦前に4-2棋聖明け渡す井山23歳史上最年少棋聖となると共に、史上初の六冠王、3人目グランドスラム達成果たした2014年からは、現行の4段リーグシステム変更となった井山この年以降防衛続け2021年現在9連覇続けていた。「棋聖戦男」山下敬吾20142016年2019年4度井山挑戦しているが、全て退けられていた。しかし第46挑戦手合一力遼井山10連覇打ち砕いた。 第46期まで、棋聖冠したのはわずか10人。そのうち名誉棋聖藤沢小林光一井山と、名誉棋聖あと一歩まで届いた趙と山下の5人で通算36期制している。 棋聖戦リーグ入りした棋士王立誠趙治勲淡路修三今村俊也楊嘉源石田篤司柳時熏石田芳夫宮沢吾朗長谷川直、彦坂直人張栩三村智保山田拓自羽根直樹溝上知親依田紀基中小野田智己小林覚山下敬吾王銘エン結城聡本田邦久加藤充志小松英樹高尾紳路山城宏井山裕太片岡聡河野臨清成哲也李沂修秋山次郎瀬戸大樹小林光一村川大介張豊猷一力遼

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