暖房用ボイラー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 02:09 UTC 版)
「国鉄EF58形電気機関車」の記事における「暖房用ボイラー」の解説
改良型EF58形には暖房用蒸気供給のため、自動式の重油ボイラー(蒸気発生装置)が搭載された。冬期における客車の暖房は長らく蒸気暖房方式が主流であった。これは蒸気機関車の走行用蒸気の一部を流用して客車に引き通すものである。 1912年、信越本線碓氷峠に電気機関車が導入されると、冬季運行の旅客列車に対し、暖房用蒸気が供給できないことから、廃車となった蒸気機関車のボイラーを搭載した「暖房車」を別に連結して蒸気を供給した。この手法はその後の他線区における電気機関車牽引列車にも踏襲され、結果として暖房車は1970年代後半まで使用されていた。 しかし、暖房車は起・終点でつなぎ換えの手間が掛かり、また重量がかさむため、機関車には余分な重荷かつ輸送乗客減や、給水を必要とするために運転時間が長くなる原因となった。加えてその多くは石炭焚きボイラーを用い、電化された路線でありながらホームに蒸気機関車並みの黒煙が漂うこともしばしばであった。さらに、暖房車には専属の係員を乗務させる必要もあった。 これを嫌い、1925年から電化された東海道本線・横須賀線の普通客車列車の一部は、電気暖房装置装備の客車を使用し、機関車から直流1,500V電源の供給を受けて暖房を行っていた。しかし、電気暖房車は東京近郊のみの限定運用となっており、非電化区間に直通する大多数の客車は蒸気暖房のみの装備であった。なお、この東京地区1,500V電気暖房は、運用区間での電車への置き換え進展に伴って、1951年ごろまでに廃止された。 暖房車問題に対する一策として、1937年に開発された旅客用電気機関車EF56形は、機関車内に暖房用の重油焚きボイラーと水・重油タンクを装備する手法を初めて採用、これは1940年に登場した強化改良型のEF57形にも受け継がれた。これらにおいても係員の配備は必要で、改良の余地を残していた。 国鉄技師で1951年から静岡鉄道管理局の機関車課長を務めた西尾源太郎は、運用に当たる立場から、当時東海道本線で第一線の機関車として運用されていたEF56・57の車載暖房ボイラーがキャパシティ不足気味であると上申し、その意見がEF58形改良型の大型ボイラー搭載に繋がったという。 改良型の本形式に搭載されたのは、新たに開発された自動制御の水管式重油ボイラー「SG1形」である。EF56形・EF57形の煙管式ボイラーよりも高効率化され、かつ乗務員のボタン操作のみで簡単に扱えるという画期的なボイラーであった。開発にあたっては、汽車製造会社技師の高田隆雄の主導でアメリカのALCOとの技術提携が図られ、自動式車載ボイラーの技術が導入された。 このボイラーは、東海道本線の長大編成運用に供しても十分な暖房能力を備え、短編成の上越線運用ではオーバーキャパシティ気味と言われるほどのスペックを持っていたが、短期間で設計された急造の機器であっただけでなく、EF56形・EF57形のボイラーと全く構造の異なるものであったことから、東海道本線での運用開始に際しては浜松工場や東京機関区ほかで機器の講習や取り扱い訓練を行い、1953年夏から習熟を兼ねて一部列車で蒸気を送り洗面所に温水を提供するといったことも行われたが、同年年末からの本運用では燃焼不良にボイラーの水管破損、給水ポンプの異常による送水不能といった故障が頻発し、製造メーカー及び機関区や担当工場では常に対応に追われることとなった。 作家の内田百閒は、1953年の早春に(新)EF58形の牽引する上野発新潟行き急行「越路」に乗車したが、機関車のボイラーが故障したため、高崎で機関車が交換されるまで暖房が効かず、寒い思いをした。内田は、この時の旅を描いた作品『雪中新潟阿房列車』の中で、EF58形のボイラーがあまりにしばしば故障するので、関係者に「『冷凍機関車』とあだ名されている」旨を記述している。 このため、自動ボイラーは使用燃料や機器の変更を行っただけでなく1957年途中(104・105号機および115号機以降)から改良型のSG1A形に移行し、それ以前のSG1搭載機ものちにSG1Aに載せ替えている。このSG1Aはさらに改良され最終的には「SG1A改」となった。ボイラーの標準搭載は機関車運用の合理化に寄与し、本形式の運用範囲を著しく広げることになった。 SGがSG1からSG1Aに改良されたことに伴い、1エンド側屋上のSG排風口の形状が変更されている。(T型ガーランドベンチレータ左右2個から、2位側に大型のダクト型1個) また、1956〜58年にかけて浜松工場担当の既存車にも排風口の改造が行われたが、鷹取工場担当の宮原機関区配置車には施工されなかった。その後、1970年から始まった電気暖房 (EG) 改造や、SGダクト化未施工車に対して追加改造が70年代半ばに施工されたが全車には及ばず、結局88・96・98・100号機は廃車まで原型のガーランドベンチレーターのままだった。 なお、1号機は試験的に蒸気発生量を増したSG2を搭載して運用されたことがあったが、後年にSG1Aへ戻されている。 EF58形が多数存在した時代には、工場へ入場した際に工期短縮と言う理由によって、別のEF58形から降ろされ整備済のSG装置へ振り替えを行なう事が多かった。後述のお召し機である61号機のボイラーも9号機→85号機→61号機と載せかえられたものである。 なお、のちに電気暖房装置が普及した東北本線系統などで運用される機では、ボイラーを撤去し「電気暖房化改造」を施されたものも存在した(後述)。
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