日本での事情
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「チップ (サービス)」の記事における「日本での事情」の解説
前述のとおり、日本ではチップの習慣は廃れ、サービス料といった形でそれに相当するものが徴収されているが、ごく一部にチップに相当する現金を収受する慣習例が残っている。 例えば、旅館で見られる「茶代」もしくは「心付け」収受の慣習がそれである。宿屋における茶代とは宿泊料とは別に帳場(宿主)へ客が与える金銭であり、心づけは部屋の女中や荷物係の下男などに与える金銭を指した。欧米のチップと違う点は、日本ではそれらを渡すときに、紙、もしくは祝儀袋、ポチ袋などに包んで渡すのが礼儀とされる点である。硬貨や紙幣をそのまま渡すことは「相手に対する非礼」と見なされる。但し、タクシーの料金支払い時に、チップを渡す場合などは、欧米と同様に裸のまま渡す。 旅館における茶代の習慣は江戸時代にはすでに行われ、明治・大正期には廃止論が叫ばれはじめ、昭和期に次第に廃れていった。明治の思想家内村鑑三は茶代を賄賂の一種とみなし、日本から排除しなくてはならないと説いた。当初、日本の旅館の宿泊費は実費のみの請求であったため、茶代が宿の純益となっていた。帝国ホテル元社長の犬丸徹三によると、茶代はあくまで客の自由意志で与えるものだが、必ず出すべきものであり、その金額は、宿の格、部屋の規模・造作・設備、従業員の接遇ぶりを観察して客が決めるものだった。通は勘定書きと同額の茶代を払ったというが、昭和初期には茶代と心づけとで宿料と同額というのが多かった。昭和15年のマナー本では茶代が支払金額の2~3割、女中への祝儀が1~2割としている。昭和初期の旅行雑誌の著名人アンケートによると、女中への心づけは茶代の半額もしくは同額とする者、茶代より心づけのほうを多くする者などさまざまで、まったく払わないという者もいた。この煩わしさを嫌う客も多く、次第に茶代廃止の宿や茶代の代わりに総額に応じた一定の給仕料を取る宿が増えていった。 萩原朔太郎によると、茶代は江戸時代の旅客取締規則が厳しかったために始まった風習という。宿泊料が一定の額に規定され過度にむさぼることが禁止されていたため、とくに優待した富裕客にはその分だけ茶代の名目でもらい受けるようになった。茶代はあくまで客の自由意志であるため、取締規則に触れなかったのである。反対に貧しい客からは茶代は取らず、昭和の時代でも学生や行商人からは茶代を受け取らないのが一般的だった。 また、日本料理屋においても給仕に祝儀を送る慣習が存在したが、西洋料理屋にチップを払う文化は、全く生まれなかった。明治時代後期に書かれた村井弦斎の小説『食道楽 秋の巻』(1903年)において、登場人物の中川は以下のように話している。 しかるに今の人は日本の料理屋へ行くと.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}楼婢(おんな)に三十銭も五十銭もはずむ癖に西洋料理屋へ往って給仕人に十銭銀貨の一つも遣らないような人さえ折々まだあるようです。五、六人で日本料理屋へ登(あが)るとオイこれを帳場へ遣ってくれろと二円も三円も祝儀を奮発する癖に西洋料理屋へ往って今日のスープは格別の味に出来ているからと五十銭銀貨を料理人に遣る人もない。つまり日本風の料理屋へ行くと外見(みえ)のために贅沢をしなければならず、西洋料理屋へ往くとなるたけ吝嗇(けち)にしなければならんものと心得ています。 — 食道楽 秋の巻、村井弦斎 祝儀や心づけは料理屋の給仕人や女中、下足番、料理人のほか、芝居や寄席の出方(案内人)などに渡していた。芸者を呼んだ場合には時間料金とは別に芸者に祝儀を渡さなければならないし、箱屋にも心づけが必要だった。人夫・車夫・職人などに、約束した賃金以外に与える心づけの金銭は酒手、酒代(さかだい、さかしろ)と呼ばれ、江戸時代には酒手を強要する馬士・人足を取り締まる令達が出されることもあった。また、酉の市の熊手を買う際には、売り手と値引き交渉をし、その値引きになった額を祝儀として売り手に与えるのが昔から粋な買い方とされている。 学校の遠足や修学旅行などでは、あらかじめバスガイドや運転手への「心付け」として、旅行費用と一緒に徴収する例が見られる。このほかゴルフコースなどでも、キャディーに対して「心付け」として個別に封筒に入れて渡す場合がある。一般に初心者が多い場合やコンペを前提としたペース配分が求められる場合などが多い。 また、日本国内でも「チップトイレ」という、利用者に使用料金を求める公衆便所が存在する。例えば、山岳地域などの観光地によく見られる。これは汚物処理や環境保護などに莫大な経費が掛かるという事情があるためである。 他にも、引越客が専門業者に対して「御飯代」「御祝儀」として、チップあるいは飲み物などを渡す場合もあるが、あくまで一部の客の裁量で行なわれるため、全ての客がそうしている訳ではない。 また、入院や手術の際などに、医師や歯科医師などの医療職(主として執刀医)に対して、「心付け」として、お金を渡すという習慣も一部にあるが、これについては、正規の診療報酬以外の報酬を、金銭で受け取ることに対し「医療職業倫理に反する」として、批判の声も根強くある。近年では、付け届けは受け取らない旨を、予め患者に対して明確に表明している医療機関も多い。 なお、日本において、公務員(国立病院・公立病院・国公立大学や特別職も含む)に心付けを渡すことは、渡した側が賄賂罪(贈賄)に問われる刑法犯罪行為である。
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日本での事情
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自衛隊では兵員輸送車の意味で装甲車と呼ぶ(自衛隊用語)。60式装甲車や73式装甲車のように装軌式の装甲兵員輸送車の事を「装甲車」と呼び、96式装輪装甲車のように装輪式の装甲兵員輸送車の事を「装輪装甲車」と呼ぶ。また、大日本帝国陸軍では歩兵科と騎兵科の戦車を巡る対立のため、騎兵科が使用する装甲戦闘車両に「戦車」の名称を使えず、「装甲車」と呼称される装軌車両が存在した。
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日本での事情
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/20 20:03 UTC 版)
日本においては、休日などに起床時刻が遅くなった際に摂る昼食を兼ねた朝食をブランチと呼ぶことが多い。特徴としては、朝食のような比較的軽い食事ではなく、昼食と同様の比較的重い食事となる点である。したがって、ブランチを取る日は、ブランチと夕食だけの1日2食となることが多い。
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