性格・人物評
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「リチャード・ホルブルック」の記事における「性格・人物評」の解説
長年にわたる外交官としてのキャリアを持ち、デイトン合意成立などの功績を挙げたことから、有能な外交官として評価が高い。その手腕は直言型で時に強引とも評され、「ブルドーザー」 や「猛牛(レイジング・ブル)」、「剛腕」 との異名を取った。その有能さから、アフガニスタン・パキスタン特使在任中は、直属の上司であるクリントン国務長官から絶大かつ全面的な信頼を寄せられていたとされる。しかしながら、たびたび国務長官の候補に名前が挙がったり、ノーベル平和賞の候補にも挙げられることもあったこともあったが、国務長官については3度の就任機会をいずれも逃し、またノーベル賞についても受賞を逃すなど、その有能さや業績を評価されながらも閣僚ポストや大きな栄誉に恵まれなかった人物でもある。このように、アメリカ外交に大きな影響を与えながらも最後まで閣僚(政治家)になることなく、外交官として公務にあたったことについて、ニューズウィーク誌のコラムニスト兼編集委員であったジョナサン・オルター(英語版)は、「ジョージ・ケナンとチャールズ・ボーレンの2人と同じ(閣僚になれなかった境遇を持つ)人物である」と述べている。 彼の交渉術について、交流のあったヘンリー・キッシンジャーは「リチャードに何かを頼まれたら、素直に『イエス』と言った方がいい。『ノー』と言っても、いずれは『イエス』と言わされ、それまでの旅路は多大な痛みを伴うからだ」と述べ、その交渉術を高く評価している。また、政策に関する立案力・見識についても定評があり、クリントン政権で上司にあたる国務副長官を務め、個人的にも交友があったストローブ・タルボットは、NATO拡大とヨーロッパの安全保障に関わる政策についての彼の見識・能力について「NATOの将来とヨーロッパの安全保障について、アイディアを作り出すワンマン工場」と高く評価している。このような有能さと共に、自信家・野心家の一面も併せ持っていたとされ、アフガン・パキスタン担当特使に起用された際にも、「私の経歴でもっとも困難な仕事」としながらも「成功が不可能なら、この仕事には就いていない」と述べるなど自信を見せていたという。また、ホルブルックの人物評については、ベトナム戦争中に外交官とジャーナリストという立場で出会い、その後終生にわたって交友があったデイヴィッド・Ĵが著書『静かなる戦争』の中で多くを記しているが、ハルバースタムはホルブルックの人物像について、彼の旧友の言葉を引用し「回転ドアに入った時には後ろにいたのに、出る時には前にいる」と評している。 しかし、有能であるがゆえに自信家かつ強引で野心が強く、自分の意見をまず優先しようとする傾向がある、また単独プレイやスタンドプレイを好み、人を踏みつけにする傾向もあるなど人格的・性格的な欠点も多分にあったとされ、このため非常に毀誉褒貶が激しく、同僚の中でも彼のことをよく思わない人物や敵は多かったとされる。ハルバースタムはこの点についても『静かなる戦争』の中で取り上げており、クリントン政権発足時にホルブルックが国務長官候補に挙がったエピソードやデイトン合意に関連するエピソードを引き合いに出し、前者においては人選担当者の「才能には恵まれているが、リスクも大きい」、「手がかかる人物」、「圧倒的な行動力と知性を持つが、『自己中心的』という点でも飛び抜けている」、「チームプレイをさせ、政権内の同僚たちと派閥争いをさせないようにするのは一苦労だ」、「マスコミを意識しすぎ、ことがうまく運べば自分の手柄にし、うまくいかなければ逃げてしまう」 など、その才能を評価しつつも人格・性格的な欠点を懸念する声や、ウォーレン・クリストファーらがホルブルックを政権ポストに就けることを嫌ったことなどを紹介することによって、また後者においては「高潔とはほど遠い。炎に集まる蛾のように、明るいところに吸い寄せられる性格で、羞恥心がないのではないかと思われるほど、あからさまに自己宣伝をする」という記述や、部下の「名誉心が服を着てやってきた」 という言葉によって、彼の性格と毀誉褒貶の激しさを語っている。また同書では、彼の友人がデイトン和平交渉について「(ミロシェヴィッチやトゥジマン、イゼトベゴヴィッチの3人をうまく扱える人物はホルブルック以外おらず、)他に良い候補者がいるとしたら、ジミー・ホッファだけだ」と述べたこと、クリントン大統領がフランスのシラク大統領から「なぜホルブルックはデイトン和平交渉であれほど成功できたのか?」と問われた際に「ミロシェヴィッチと同じ性格だから」と答えたこと も取り上げられており、ホルブルックの強烈な性格や強引さが友人や上司である大統領にもよく知られていたことが示されている。 オバマ政権においてもこの毀誉褒貶の激しさは変わらなかったようで、ワシントン・ポスト紙のボブ・ウッドワードは著作『オバマの戦争』の中において、バイデン副大統領がホルブルックを「最も利己的で嫌なヤツ」だが、アフガン・パキスタン担当には「適した人物かもしれない」と評したとするエピソードを紹介し、彼が有能さを評価されつつも、性格的には好まれていなかった様子を記している。また、アフガニスタン駐留アメリカ軍司令官で、国際治安支援部隊(ISAF)総司令官だったスタンリー・マクリスタル将軍(陸軍大将)ら軍関係者とも折り合いがあまり良くなかったとされ、マクリスタル将軍が2010年6月に解任されるきっかけとなった『ローリング・ストーン』誌による特集の中では、彼の補佐官や参謀など側近たちが同誌の記者に対し、「ボス(マクリスタル将軍)は、ホルブルック特使を手負いの動物のようだと言う。ホルブルック氏は解任されるとの噂を耳にし続けており、だからこそ(成果を挙げようと安易なやり方に飛びついてしまいかねず)危険だ」と語ったり、ホルブルックからのEメールを受け取った際にマクリスタルが「やれやれ、またホルブルックからメールだ。開ける気もしない」と嫌がっている様子を再現して見せるなど、ホルブルックを批判し皮肉った様子が示されている。また、対外的にもその強引で率直な交渉姿勢ゆえに、デイトン合意を成立させた立役者としての功績がある一方で、前述のようにアフガニスタンのカルザイ大統領などとの関係悪化が取りざたされることもあった。カルザイ大統領らとの関係悪化については、ホルブルックと何度も会合に同席したことのある西側諸国のある外交官から「彼にとっての悲劇はその性格だ」と評されている。
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性格・人物評
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「ヴォルフガング・パウリ」の記事における「性格・人物評」の解説
パウリは実験が下手であり、よく実験装置を壊していた。その噂が広がると、パウリが実験装置の近くにいるだけで装置が壊れるという伝説が広がり、彼のこの奇妙な能力に対してパウリ効果という名称が付けられていた。パウリ自身もこの評判を知っており、パウリ効果が現れるたびに喜んだ。 物理学に関してはパウリは完全主義者として有名だった。この性格は彼自身の研究だけでなく、同僚の仕事に対しても発揮された。結果的にパウリは「物理学の良心」として物理学のコミュニティの中に知られるようになり、彼の批評を受けた同僚は彼の疑問に答える義務を負うこととなった。パウリは自分が欠点を見つけた理論はどんなものでも ganz falsch(完全な間違い)とレッテルを貼って酷評することもあった。かつて自分が誤りを見つけたある論文に対して彼が「"Das ist nicht nur nicht richtig, es ist nicht einmal falsch!"[この論文は、間違ってすらいない(正しいとか間違えているとかという次元にさえ至っていない)]」と述べた言葉は有名である。また、逆に自分の仕事をパウリに認めてもらうことを彼らは「パウリのご裁可(sanction)を得る」と言っていたという。 物理学界でのパウリに関する有名なジョークとして次のようなものがある。「パウリは死後、天国で神への拝謁を許される機会を得た。パウリは神に、なぜ微細構造定数は 1/137.036... という値をとるのかと尋ねた。神はうなずいて黒板に向かい、すさまじい勢いで数式を書き殴り始めた。パウリは非常に満足げに神の様子を眺めていたが、しばらくして突然頭を激しく振り始め言った「全然まちがっている」…。」
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