主な文業とは? わかりやすく解説

主な文業

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/13 07:46 UTC 版)

山口剛 (文学者)」の記事における「主な文業」の解説

主要な論文は、中央公論社山口剛著作集』(全6巻)に収められている。 論文好色一代男成立」(『早稲田文学』、1922) - 著作集1巻江戸文学都市生活」(『早稲田文学』、1923)- 著作集4巻 孔尚任桃花扇伝奇」(『近代劇大系16』(近代劇大系編集会、1924))、のち春陽堂(1926)- 著作集5巻近松庚申塚に就て」(『歌舞伎』、1926) 支那小説史の輪郭」(『世界短編小説大系 支那篇』近代社、1926)- 著作集6巻 伝斑固「漢武内伝」(『世界短編小説大系 支那篇』近代社、1926)- 著作集5巻黄表紙本質」(『国語と国文学』、1927)- 著作集3巻黄表紙から合巻へ」(『早稲田文学』、1927)- 著作集3巻洒落本本質」(『国語と国文学、1927)- 著作集3巻西鶴好色本研究」(『日本文学講座新潮社、1927 - 1928)- 著作集1巻怪奇小説研究」(『日本文学講座新潮社、1928) 「好色二代男1、2」(早稲田大学文学部会編『文学思想研究』1928、1929)- 著作集1巻山東京伝黄表紙」(『日本文学聯講』中興館、1930)- 著作集3巻国姓爺合戦の紅流しに就いて」(『総合世界文学研究』、1930)- 著作集1巻為永春水研究」(『日本文学講座新潮社、1930)- 著作集4巻種彦研究」(『日本文学講座新潮社1931)- 著作集4巻支那思想 大学中庸論語孟子荀子(抄)、老子荘子墨子(抄)、韓非子(抄)、近思録(抄)、伝習録(抄)」(『世界大思想全集 53春秋社1931) 「訳西廂記」(『槻の木』、1931 - 1932) - 著作集5巻一部) 「春秋左氏伝国字解 1、2」(『漢籍国字解全書33・34早稲田大学出版部、1932) 単著江戸文学都市生活』(春秋社1924) 『日本文学講座 1 - 7』(アルス文化講座、1927 - 1928) 『断碑断章』(武蔵野書院、1930)- 著作集6巻 上田秋成雨月物語』(校訂改造文庫1931) 『西鶴成美一茶』(武蔵野書院1931) 『紙魚文学』(三省堂大阪支店、1932)

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主な文業

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/26 02:05 UTC 版)

為永春水」の記事における「主な文業」の解説

為永連の合作とされている本は、右にずらせた。 滝亭鯉丈との共著:『明烏後正夢 初、2編』(人情本)、青林堂(1821) 『明烏後正夢 3編』(人情本):文渓堂(1822) 『総角結紫総糸』(合巻)、(1822) 『藤枝恋情柵』(新内)、(1824) 『袷妻雪古手屋』(新内)、(1824) 『軒並娘八丈 初編』(富本節)、(1824) 『玉川日記 初編』、文渓堂(1825) 『園の三勝草紙』、文渓堂(1825) 春川英笑画:『腹内窺機関』(合巻)、永寿堂(1826) 柳川重山画:『梅花春水 1 - 4』(読本)、永寿堂(1826) 歌川国安画:『阿古義物語拾遺』(読本)、(1826) 春川英笑画:『婦女今川』(人情本)、永寿堂(1826) 歌川国丸画:『浦島太郎家土産』(合巻)、青林堂(1828) 歌川国丸画:『風俗西遊記』、青林堂(1828) 『玉川日記 前後編』、文渓堂(1828) 春川英笑画:『愚智太郎懲悪伝』(合巻)、(1829) 渓斎英泉画:『繋馬七勇婦伝』(合巻)、(1829) 歌川国安貞斎泉晁画:『坂東水滸伝』(読本)、(1830 - ) 渓斎英泉画:『大内興隆十杉伝』(読本)、文永堂(1830 - ) 柳川重信画:『吾褄春雨 前編』(人情本)、(1832) 柳川重信画:『春色梅児誉美 初、2編』(人情本)、永寿堂文永堂(1832) 柳川重信柳川重山(4編)画:『春色梅児誉美 3、4編』(人情本)、永寿堂文永堂(1833) 歌川国直画:『梅暦余興春色辰巳園 初、2編』(人情本)、永寿堂文永堂(1833) 松亭金水合作:『尼子九牛七国士伝』(読本)、(1833) 『新田功臣柱石伝』(読本)、(1833) 歌川国直画:『梅暦余興春色辰巳園 3、4編』(人情本)、永寿堂文永堂(1835) 渓泉英泉画:『春色恵之花 初、2編』、永寿堂文永堂(1836) 『処女七種』(人情本)、(1836) 歌川国直画:『春告鳥』(人情本)、文渓堂(1837) - 徳町富豪福富屋左衛門には息子2人、兄は幸次郎、弟雅は後妻の子後妻本家福富屋右衛門の娘で、雅は本家血筋をひく孫にあたる。兄幸次郎とはなかがよくないので、母の取りなし向島別荘若隠居どうぜんの生活をしている。雅は和歌町の唄女お浜かこっているが、お浜家出する雅は桜川新孝にさそわれ遊廓行き薄雲に会う。薄雲はかつて雅に恋していたから、2人交際日々こまやかになる。ある夜、雅は遊廓行こうとしてになり、腰元お民と話すうちに、お民契るうになる。ところが雅の金遣いのあらさ、お民との関係が両親知られ上方の店に預けられお民安房長挟郡の縁者のもとにやられるお民はそこでたのみの伯母死なれ、家の主人寅吉にしいられて遊女売られるところをあやうくまぬかれ相坂町の唄女となり、お熊妹分お花となる。雅は上方から帰り本店抱え仕事師甚五郎のもとに預けられる小僧千松はその身の上同情しお民似た唄女が相坂町にいると告げ雅はお花に会うことができる。お花姉分芸者お熊には、通人梅里という情人がいたが、ひさしく来ないので、気を揉んでいたところ、梅里が婦多川で八重という娘と恋におちていると聞きお熊嫉妬立腹苦しんでいると、或る夜、梅里八重をつれてお熊訪れる。お熊はあまりのことに憤慨して話を聞くと、----八重女装男子で、梶原家老臣番場忠太夫の次男忠之丞。ことし16歳御小姓つとめたが、いまの主君平次景高という。亡兄源太愛妾定まった腰元千鳥が、源太死亡とともに切髪となり、春心院と称して下屋敷住んでいたが、景高が春心院を見初めて妾にと申し込むが、春心院は承知しない。景高は怒り扶持小遣の給与をとめる。源太の母公がこれを哀れみ隠居所を下屋敷移築し、自ら住み春心院を手元に置く。忠之丞は隠居所の付となって、同じ御殿住み春心院と恋に落ち、これを聞いた景高は大い怒り春心院を押し込め、忠之丞に切腹命じようとする。母公はこれに同情し出入町人梅里命じて忠之丞に女装させ、免れさせ、梅里それまで婦多川の伊勢本に預けておいたが、あやうく今日とらえられようとしたため、深夜連れ出してお熊のもとに逃れてきた。----お熊事情がわかり、安心し親切にかくまう。忠之丞はそこで会う梅里の妹お玉と恋におちる。雅はなおも放蕩するので、分家させて店を持たせ結婚したらと、母と本家祖母相談する梅里仲人となり、お見合いには忠之丞の女装姿を連れて行き祖母と母とに見せ婚礼のおりには、お民お花連れて行き、ぶじ結婚させ、雅は満足する。(家出お浜遊女薄雲梅里お熊、忠之丞とお玉春心院の千鳥その他の問題未解決のまま。) 歌川国直画:『重陽嘉言応喜名久舎』(人情本)、(1837) 渓斎英泉画:『春色袖の海』(人情本)、(1837 - 1841) 歌川国直静斎英一画:『春抄媚景英対暖語』(人情本)、永寿堂文永堂(1838) 歌川国直静斎英一画:『春色梅見婦禰』、永寿堂文永堂(1841) 『閑窓瑣談 4巻』(随筆)、(1841)

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