主な文業
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主要な論文は、中央公論社『山口剛著作集』(全6巻)に収められている。 論文 「好色一代男の成立」(『早稲田文学』、1922) - 著作集1巻 「江戸文学と都市生活」(『早稲田文学』、1923)- 著作集4巻 孔尚任「桃花扇伝奇」(『近代劇大系16』(近代劇大系編集会、1924))、のち春陽堂(1926)- 著作集5巻 「近松の庚申塚に就て」(『歌舞伎』、1926) 支那小説史の輪郭」(『世界短編小説大系 支那篇』近代社、1926)- 著作集6巻 伝斑固「漢武内伝」(『世界短編小説大系 支那篇』近代社、1926)- 著作集5巻 「黄表紙の本質」(『国語と国文学』、1927)- 著作集3巻 「黄表紙から合巻へ」(『早稲田文学』、1927)- 著作集3巻 「洒落本の本質」(『国語と国文学、1927)- 著作集3巻 「西鶴好色本研究」(『日本文学講座』新潮社、1927 - 1928)- 著作集1巻 「怪奇小説研究」(『日本文学講座』新潮社、1928) 「好色二代男考 1、2」(早稲田大学文学部会編『文学思想研究』1928、1929)- 著作集1巻 「山東京伝と黄表紙」(『日本文学聯講』中興館、1930)- 著作集3巻 「国姓爺合戦の紅流しに就いて」(『総合世界文学研究』、1930)- 著作集1巻 「為永春水研究」(『日本文学講座』新潮社、1930)- 著作集4巻 「種彦研究」(『日本文学講座』新潮社、1931)- 著作集4巻 「支那思想 大学、中庸、論語、孟子、荀子(抄)、老子、荘子、墨子(抄)、韓非子(抄)、近思録(抄)、伝習録(抄)」(『世界大思想全集 53』春秋社、1931) 「訳西廂記」(『槻の木』、1931 - 1932) - 著作集5巻(一部) 「春秋左氏伝国字解 1、2」(『漢籍国字解全書33・34』早稲田大学出版部、1932) 単著 『江戸文学と都市生活』(春秋社、1924) 『日本文学講座 1 - 7』(アルス文化大講座、1927 - 1928) 『断碑断章』(武蔵野書院、1930)- 著作集6巻 上田秋成『雨月物語』(校訂、改造文庫、1931) 『西鶴・成美・一茶』(武蔵野書院、1931) 『紙魚文学』(三省堂大阪支店、1932)
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主な文業
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為永連の合作とされている本は、右にずらせた。 滝亭鯉丈との共著:『明烏後正夢 初、2編』(人情本)、青林堂(1821) 『明烏後正夢 3編』(人情本):文渓堂(1822) 『総角結紫総糸』(合巻)、(1822) 『藤枝恋情柵』(新内)、(1824) 『袷妻雪古手屋』(新内)、(1824) 『軒並娘八丈 初編』(富本節)、(1824) 『玉川日記 初編』、文渓堂(1825) 『園の雪三勝草紙』、文渓堂(1825) 春川英笑画:『腹内窺機関』(合巻)、永寿堂(1826) 柳川重山画:『梅花春水 1 - 4』(読本)、永寿堂(1826) 歌川国安画:『阿古義物語拾遺』(読本)、(1826) 春川英笑画:『婦女今川』(人情本)、永寿堂(1826) 歌川国丸画:『浦島太郎珠家土産』(合巻)、青林堂(1828) 歌川国丸画:『風俗女西遊記』、青林堂(1828) 『玉川日記 前後編』、文渓堂(1828) 春川英笑画:『愚智太郎懲悪伝』(合巻)、(1829) 渓斎英泉画:『繋馬七勇婦伝』(合巻)、(1829) 歌川国安・貞斎泉晁画:『坂東水滸伝』(読本)、(1830 - ) 渓斎英泉画:『大内興隆十杉伝』(読本)、文永堂(1830 - ) 柳川重信画:『吾褄春雨 前編』(人情本)、(1832) 柳川重信画:『春色梅児誉美 初、2編』(人情本)、永寿堂・文永堂(1832) 柳川重信・柳川重山(4編)画:『春色梅児誉美 3、4編』(人情本)、永寿堂・文永堂(1833) 歌川国直画:『梅暦余興春色辰巳園 初、2編』(人情本)、永寿堂・文永堂(1833) 松亭金水と合作:『尼子九牛七国士伝』(読本)、(1833) 『新田功臣柱石伝』(読本)、(1833) 歌川国直画:『梅暦余興春色辰巳園 3、4編』(人情本)、永寿堂・文永堂(1835) 渓泉英泉画:『春色恵之花 初、2編』、永寿堂・文永堂(1836) 『処女七種』(人情本)、(1836) 歌川国直画:『春告鳥』(人情本)、文渓堂(1837) - 徳町の富豪福富屋幸左衛門には息子が2人、兄は幸次郎、弟鳥雅は後妻との子。後妻は本家福富屋万右衛門の娘で、鳥雅は本家の血筋をひく孫にあたる。兄幸次郎とはなかがよくないので、母の取りなしで向島の別荘で若隠居どうぜんの生活をしている。鳥雅は和歌町の唄女お浜をかこっているが、お浜が家出する。鳥雅は桜川新孝にさそわれて遊廓に行き、薄雲に会う。薄雲はかつて鳥雅に恋していたから、2人の交際は日々こまやかになる。ある夜、鳥雅は遊廓に行こうとして雨になり、腰元お民と話すうちに、お民と契るようになる。ところが鳥雅の金遣いのあらさ、お民との関係が両親に知られ、上方の店に預けられ、お民は安房長挟郡の縁者のもとにやられる。お民はそこでたのみの伯母に死なれ、家の主人寅吉にしいられて遊女に売られるところをあやうくまぬかれ、相坂町の唄女となり、お熊の妹分のお花となる。鳥雅は上方から帰り、本店抱えの仕事師甚五郎のもとに預けられる。小僧千松はその身の上に同情し、お民に似た唄女が相坂町にいると告げ、鳥雅はお花に会うことができる。お花の姉分で芸者のお熊には、通人の梅里という情人がいたが、ひさしく来ないので、気を揉んでいたところ、梅里が婦多川で八重という娘と恋におちていると聞き、お熊は嫉妬と立腹に苦しんでいると、或る夜、梅里が八重をつれてお熊を訪れる。お熊はあまりのことに憤慨して話を聞くと、----八重は女装男子で、梶原家の老臣番場忠太夫の次男忠之丞。ことし16歳、御小姓をつとめたが、いまの主君は平次景高という。亡兄源太の愛妾に定まった腰元千鳥が、源太の死亡とともに切髪となり、春心院と称して、下屋敷に住んでいたが、景高が春心院を見初めて妾にと申し込むが、春心院は承知しない。景高は怒り、扶持小遣の給与をとめる。源太の母公がこれを哀れみ、隠居所を下屋敷に移築し、自ら住み、春心院を手元に置く。忠之丞は隠居所の付となって、同じ御殿に住み、春心院と恋に落ち、これを聞いた景高は大いに怒り、春心院を押し込め、忠之丞に切腹を命じようとする。母公はこれに同情し、出入の町人梅里に命じて忠之丞に女装させ、免れさせ、梅里はそれまで婦多川の伊勢本に預けておいたが、あやうく今日、とらえられようとしたため、深夜、連れ出してお熊のもとに逃れてきた。----お熊は事情がわかり、安心し、親切にかくまう。忠之丞はそこで会う梅里の妹お玉と恋におちる。鳥雅はなおも放蕩するので、分家させて店を持たせ結婚したらと、母と本家の祖母と相談する。梅里が仲人となり、お見合いには忠之丞の女装姿を連れて行き、祖母と母とに見せ、婚礼のおりには、お民のお花を連れて行き、ぶじ結婚させ、鳥雅は満足する。(家出のお浜、遊女の薄雲、梅里とお熊、忠之丞とお玉、春心院の千鳥その他の問題は未解決のまま。) 歌川国直画:『重陽嘉言応喜名久舎』(人情本)、(1837) 渓斎英泉画:『春色袖の海』(人情本)、(1837 - 1841) 歌川国直・静斎英一画:『春抄媚景英対暖語』(人情本)、永寿堂・文永堂(1838) 歌川国直・静斎英一画:『春色梅見婦禰』、永寿堂・文永堂(1841) 『閑窓瑣談 4巻』(随筆)、(1841)
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