滝亭鯉丈とは? わかりやすく解説

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りゅうてい‐りじょう〔‐リヂヤウ〕【滝亭鯉丈】

読み方:りゅうていりじょう

[?〜1841]江戸後期滑稽本作者江戸の人。本名池田八右衛門江戸町人の退廃的な遊戯生活を写実的に描いた。作「花暦(はなごよみ)八笑人」「滑稽和合人」など。


滝亭鯉丈

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/08 16:10 UTC 版)

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滝亭 鯉丈(りゅうてい/たきてい りじょう、生年不詳 - 1841年7月27日天保12年6月10日))は、江戸時代後期に活躍した戯作者である。本姓は池田氏、通称は八右衛門後に八蔵。

経歴・人物

江戸幕府の300石の旗本池田氏の一家として江戸に生まれる。幼年期の家業や生涯は浅草東本願寺の乗物師や縫箔職人、象牙職人、櫛屋等の諸説があり、不明である。その後、先祖が夭逝した事により禄を損失し落語家の滝亭鯉楽の弟子となり、落語を披露する等の寄席芸人に転じ、戯作の道を開く。

これによって、江戸の町人遊民を滑稽に描いた人情本を多く出版し、一躍有名となった。当時江戸で活躍していた十返舎一九式亭三馬と並び、滑稽本の代表的な作者の一人となった。また、同時期に活躍していた為永春水との共著も刊行し、江戸時代後期における戯作の大成者なった。なお、鯉丈は春水の実兄とされているが、定かではない。死後、文京区の称名寺の境内に鯉丈のが建てられ、文化財に指定された。

主な作品

代表的な滑稽本

  • 『(花暦)八笑人』‐ 1820年文政3年)~1849年嘉永2年)に刊行。執筆中に死去したため、一部は共著の一筆庵主人、與鳳亭枝成が執筆し刊行した。
  • 『(滑稽)和合人』‐ 1840年(文政6年)~1844年弘化元年)に刊行。為永春水との共著。

その他の滑稽本

  • 『大山道中栗毛後駿馬』‐ 1817年文化14年)に刊行。十返舎一九の『東海道中膝栗毛』から派生された作品である。
  • 『明烏後正夢』‐ 1821年(文政4年)~1824年(文政4年)に刊行。為永春水との共著。

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