ペンタックス Mシリーズ
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「PENTAXの銀塩一眼レフカメラ製品一覧:35mm判 (KマウントMF機種)」の記事における「ペンタックス Mシリーズ」の解説
新たな時代と実質的な需要である「小型軽量化」、「電子化によるAE化」、「システムの充実」を目指し、特に当時の小型軽量一眼レフカメラの代表格であったオリンパスのOMシリーズへの対抗製品として、特に小型軽量化に重点を置いて開発されたシリーズである。高性能化を志向していたOMとは異なり機能のスリム化を重視しており、旭光学独自の小型軽量化路線への考え方が現れている。筐体の小型軽量化に合わせてボディ設計も従来のK(SP)シリーズから一新された。当初は継続して"アサヒペンタックス"の名称が使われていたが、MV1より"アサヒ"が外れ、"ペンタックス"ブランドとなった。 このMシリーズより各部の電子化がより進められ、ファインダー内の露出計表示が従来までの「アナログ式の指針」による追針式露出計から「LED」を採用した定点式のものとなった。電子回路も大幅な進歩をとげ、K2のものよりも更なる小型化が実現した。またTTL露出計もカメラ専用露出計として開発され、かつ中央重点測光に適しているGPD(ガリウム・ヒ素・リン・フォト・ダイオード)が従来のSPDに替わって採用された。ファインダースクリーンの合焦補助機構も従来の「マイクロプリズム」に加えて「スプリット・イメージ」が追加され、よりピント合わせがしやすくなった。あわせて電子制御による縦走行式シャッターユニットの実装や、外装のプラスチック化、アナログ式ではなく電子ボタン式の入力操作系が採用されている。 アクセサリは従来のK(SP)シリーズから一新され、新規の様々なアクセサリー群が用意された。ファインダー系アクセサリー用のアイピースのスリット幅はこのシリーズから変更され、現行のKマウントデジタル一眼レフまで変更されていない。 MX 1976年11月発売。Mシリーズ1号機であるが、シリーズ唯一のフルマニュアル操作方式のみの「布幕横走行式の機械式シャッター搭載機」である。よって、同時に開発されたMEとは基本設計レベルから異なり、ワインダーなどのオプション品も他のME派生型機との互換性もなく、独自のシステム展開がなされているのが特徴である。8年にわたって製造されたが後継機種は存在せず、電子制御カメラ一色のMシリーズのアクセントとなっている。全高を抑えるためにシャッター幕の巻き取りリボンをより細くするために紐(ひも)を採用するなど、小型化への執念は凄まじいものがあり、同じ超小型軽量の機械式カメラである『オリンパスOM-1』と寸法を比較すると、幅・高さ・厚さともすべて0.5mmずつ小さくなっているのも興味深い。 その一方で、他のMシリーズ機同様、TTL露出計はMEと同様にGPDが採用されているほか、ファインダー内の露出表示も追針式からLED表示の定点式に変更されている。 ME 1976年12月発売。MXとは対照的に、シリーズのコンセプトに忠実に機能のスリム化と電子制御化を図った、絞り優先AE専用機という大胆な仕様の機種である。小型化のために超小型の専用シャッターユニットが採用されたが、MXとは異なり電子制御式の金属縦走行式シャッターユニット、『セイコーMFC-E』を採用している。このシャッターユニットは、サイズもK2で採用された『セイコーMF』と比較して縦横5mmずつ小型化され、重量も半分となっている(ME以降の電子シャッター搭載機種はすべて縦走行式シャッターユニットになった)。またTTL測光用の受光素子もMXと同様にGPDが実装された。他にもK2ではICを採用していた電子制御回路には、従来よりも大幅に集積度を向上させた、当時最新の「Bi-MOSLSI」が搭載され、応答速度の更なる向上と省電力性の両立のため、当時の最先端技術が投入されたため、MXより更なる小型軽量化が実現し、サイズは131mm×82.5mm×49.5mm、重量は460gとMXよりも 35gほど軽くなった。 従来よりペンタプリズム部分に刻印され続けてきた"AOCOマーク"の刻印はこの機種以降なくなり、"ASAHI PENTAX"ブランドとしての最後の機種となった。 MV1 1979年9月発売。MEベースの普及機種。各部のパーツを共有しつつ、大幅なコストダウンとスリム化が図られた。軍艦部の素材も従来の真鍮からプラスチックに変更され、更なる軽量化を実現している。またファインダー内部のインジケーター表示も簡素化(「シグナルファインダー」と呼ばれ、露出の適正(グリーン)、アンダー(オレンジ)、オーバー(レッド)、しかない)され、より普及機としての位置付けが鮮明になった。 シリーズ中、やや違和感のあるネーミングである"MV1"は、当時の大ヒット商品であった『キヤノンAE-1』の影響があったといわれている。発売当時旭光学は、その簡易な操作方法を、「撮影者がズームレンズの操作と画作りに専念出来る様に」として『ズームシステムカメラ』と呼んでいたが、実際のところシステム的にズームとの連動性は無い。smcPENTAX-M50mm f2とのセットで¥49,500と廉価であった為、かなり普及したカメラであったと言えるだろう。 この機種より"PENTAX"ブランドとして展開されることとなる。 ME スーパー(Super) 1979年12月発売。絞り優先オート撮影に特化したMEにマニュアル撮影機能を追加し、最高シャッター速度を1/2000秒に向上させるなどのスペックアップがなされた高級機種である。シャッターユニットも従来の改良型である『セイコーMFC-E2』が搭載されている。この機種よりファインダースクリーンに新規開発された『クリアーブライトマットスクリーン』が採用され、より明るくピントの山がつかみやすくなった。 マニュアル露出時におけるシャッター速度の設定方式は、「アップ」・「ダウン」の機能をあてがわれた「プッシュ式の2ボタン」であるのが特徴であり、電子シャッターを採用したことから実現した方式である。この操作方法は後の『ペンタックススーパーA』などの他、セミ判一眼レフである『645』にも採用された。 ME F 1981年11月発売。MEスーパーをベースとしたペンタックス初のオートフォーカスカメラであり、世界初の製品化されたオートフォーカス一眼レフカメラである。ペンタックス一眼レフ開発史においては第4世代のカメラと位置付けられている。旭光学工業独自のTTL電子合焦装置(TTL-EFC=TTL-Electronic Focus Control)と命名され、高精度の合焦性能を持った「コントラスト検出方式」を採用し、マウントも新たに専用のKFマウントが開発され採用された。ただし、オートフォーカス駆動用のモーターは、当時のAFカメラでも見られたレンズに搭載される方式のため、対応レンズはモーターの他、電源となる電池も内蔵しており、ボデイよりも下に張り出す大柄なタイプのものであった。肝心のオートフォーカス機能も、合焦精度が高すぎたために被写体のごく微妙な動きすら検知してしまい、なかなかピントが決まらないという致命的な欠陥があった。これらの欠点により、KAFマウント採用機種はこの1機種に終わり、対応レンズであるSMCペンタックスAFレンズも、ズームレンズ1種のみのリリースとなった。 現在のペンタックスのオートフォーカスレンズ(F・FA・FAJ・DFA・DA)とは測距方式も異なるなど機能の互換性はなく、オートフォーカス機能は使用できない。だが、従来のマニュアルフォーカスレンズや現行のレンズを使用した場合でも合焦検知機能は働くため「フォーカスエイド機能」は利用できる。 MG 1982年1月発売。Mシリーズ最終機種。位置付けとしてはMV1の後継機に相当するも、MV1では簡素だったファインダー内情報表示はMEと同等以上となり、そのベース機は併売されているME Fである。スペック面でも時代の変遷にあわせてほぼME相当にまで引き上げられ、ファインダー内情報表示には新たにストロボ充電完了表示が追加されており、初代のME登場から大幅な電子技術の進歩があったことを示している。 CMキャラクターは歌手デビュー前の早見優であり、当機のCMはがテレビCMデビュー作だった。オリンパスOM10(1979年)の大場久美子、ミノルタX-7(1980年)の宮崎美子と当時はよく比較された。
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