プロ野球招致構想
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 13:59 UTC 版)
泉田は当球場が各方面から施設面などで高評価を得たことを受け、NPB球団本拠地の誘致活動を開始する意向を2009年9月8日の県議会9月定例会・一般質問の答弁において示し、「夢の実現に向けてチャレンジして参りたい」と意欲を語った。またこれを受け、新潟市長の篠田昭も9月10日の定例記者会見で「市としても誘致したい気持ちは十分ある。札幌市(北海道日本ハムファイターズ)や仙台市(東北楽天ゴールデンイーグルス)など、地方でも誘致に成功した例があるので、新潟にも可能性があると思っている」と話した。県・市では同年秋から複数のNPB球団に対し本拠地誘致に関する活動を水面下で開始し、関係者は「早ければ2012年シーズンの本拠地化を目指したい」と話した。なお、9月19日に明治神宮野球場で開催された東京ヤクルトスワローズ対読売ジャイアンツ21回戦では、同年秋のデスティネーションキャンペーンに因むデーイベント「うまさぎっしり新潟Day」が行われ、県からヤクルト球団に魚沼産コシヒカリ300kgが贈られた他、泉田が始球式を務めた。この日、泉田は先の誘致構想との因果関係について「それはそれ、これはこれ」と明言を避けつつも「長いスパンで来て頂けるところがあればチャレンジしたい」とコメントした。 その後県と市、県内の野球関係者が検討を進めた結果「当面は原則として球団を特定せずにNPB12球団を対象として活動し、まずは公式戦の開催数増加を図り、その上で拠点の一つとして年間数試合を開催する『準フランチャイズ』を招致し、最終的には本拠地誘致を目指す」という方向性が決まり、2012年頃を目途にセ・パ各1球団を誘致する方針が打ち出された。そして2010年3月24日には県と市、県内財界関係者などが中心となって「プロ野球新潟招致委員会」が発足し、同年春以降に競技団体とNSGグループが中心となって県内全域で20万人の署名を集め、秋を目途にNPBへ提出するなどの活動方針も内定した。 この招致委員会発足に先立ち、2010年1月21日付の朝日新聞新潟版では関係者の話として、セ・パ双方の有力な誘致候補としてセ・リーグ側は前述のヤクルト、パ・リーグ側は新潟空港からの航空便が1往復運航され、前出の水島の代表作『あぶさん』の舞台としても描かれている福岡ソフトバンクホークスの2球団の名が挙げられた。 2010年シーズン中には泉田らがプロ野球公式戦の開催誘致を目指し、NPB各球団に対し相次いでトップセールスを行っている。9月11日に西武ドームで開催された埼玉西武ライオンズ対千葉ロッテマリーンズ23回戦では、県とプリンスホテルの共催によるデーイベント「元祖スキー天国in新潟」が行われ、泉田は県と西武グループの官民連携協定締結式に出席。西武の後藤高志オーナーに対し、翌2011年以降の主催公式戦開催継続を要請した。また泉田は9月15日に神宮球場で開催されたヤクルト対巨人21回戦のデーイベント「うまさぎっしり新潟Day」にも2年連続で来訪し、ヤクルトの鈴木正オーナー代行兼球団社長に対し主催公式戦の開催を要請。しかしヤクルト側は2年連続で態度を保留した。 だがそれから間もなく、横浜ベイスターズがオーナー企業の東京放送ホールディングスの業績不振などから、住生活グループとの間で球団株式の売却に向けて交渉を進めていることが判明。9月30日発売の一部週刊誌でこの売却問題と新潟への移転構想が報じられたのを受け、巨人の渡邉恒雄球団会長が同日夜の取材に対し、横浜の専用球場で横浜市に所在する横浜スタジアムの問題点を示した上で「新潟という説が起きても当然。新潟の球場は良い。巨人も今年(公式戦を)やった。選択肢としてはいいんじゃないかな」と話したのを発端に当球場の準本拠地化、さらにはフランチャイズを完全移転する構想が各メディアで大きく報じられた。これを受けて翌10月1日、泉田は「候補に挙がっているとすれば嬉しく思う。歓迎したい」と期待感を示し、2日には前述のファーム日本選手権の開会式に出席した篠田が取材に対し「名前が挙がったのはありがたい。横浜かヤクルトを念頭に置いてイメージトレーニングをしてきたのが、急に現実味を帯びてきた。優位性と拠点性があるので機会があればお伝えし、誠意を見せたい」と、共に歓迎する意向を示した。 しかしTBS側・住生活G側とも、交渉段階では当球場の準本拠地化には否定的な姿勢を見せていた。住生活G側で球団取得関連の検討グループでプロジェクトリーダーを務めていたトステムの溝口和美取締役副社長は10月22日の取材で本拠地問題に関し、横浜スタジアムについて「駅からも近く、12球団の中では一番立地がいい。人口も多いし、いい立地条件があるならそれを生かせばいい」とした上で、県側との接触については「新潟とは全然やってません。アクセスも大変だし、横浜が一番いい」と交渉の事実を否定し、準本拠地化には消極的な見解を示した。だが一方、住生活Gの潮田洋一郎会長は10月7日、株式買収後に県側から誘致を受けた場合の対応について「球団の株を取得した時にそういう話があれば、全ての可能性を拒絶すべき理由はない」と、将来的には本拠地移転も視野に入れて検討する意向を示唆し、交渉過程では本拠地と球団首脳陣の人事について「白紙」を強調し続けていた。その後、一時は交渉の進捗こそ見られたものの、神奈川県内の他地域や新潟市、当時静岡県草薙総合運動場硬式野球場の大規模改修が3箇年計画で進められていた静岡市などへの本拠地移転を模索する住生活G側と、横浜での本拠地継続を求めるTBS側との間で条件面で折り合いが付かなくなり、結局両社は10月27日までに交渉を断念。2011年シーズンはTBSが横浜の球団株式を継続保有する方向となった。同日開かれた住生活G側の交渉決裂に関する記者会見で、溝口は本拠地問題などの存在を認めたものの「実際に相手の球場や、新潟といったところと話し合いをしたことは一度もない」と、県側との接触がないことを改めて強調した。なお、横浜球団は同年5月8日、当球場でセ・リーグ公式戦(対阪神タイガース1試合・デーゲーム)を開催したが、これは売却交渉以前から開催が内定していたものである。 一方10月18日には、西武の前田康介取締役球団本部長がスポーツ各紙の取材に対し、今後の主催公式戦の地方開催について「新潟も含め、いろいろと考えて検討したい」と話し、前述の通り県と西武グループが連携協定を締結したことなどを鑑みて、2011年以降も当球場での主催公式戦を継続開催する旨を示唆し、同年8月23日にパ公式戦・対オリックス・バファローズ1試合を開催した(ナイトゲーム)他、巨人も7月19日・7月20日にセ公式戦・対中日ドラゴンズ2連戦(いずれもナイトゲーム)を開催した。またヤクルトは、6月11日・6月12日にイースタン・リーグ公式戦・ヤクルト対巨人2連戦(いずれもデーゲーム)の開催を予定していたが、その後開催球場は2試合とも三條機械スタジアムに変更された。 その後、横浜の球団売却に関する問題は2011年秋、携帯電話向けゲームサイト「Mobage」やショッピングサイトの運営などを手掛けるIT関連企業のディー・エヌ・エー(以下「DeNA」)が、TBSグループが保有する球団株式の大半を買収する形で収束を見た。なお、DeNAの取締役で同社の創業者でもある南場智子が新潟市の出身であることから、一部メディアではDeNA球団が将来的に本拠地を新潟へ移転する可能性が報じられている。DeNAは2012年4月15日、当球場でセ・リーグ公式戦(対巨人戦1試合・デーゲーム)を開催しているが、これは売却交渉以前から開催が内定していたもので、前述事項との関連はない。同年5月8日・9日には3年ぶり2回目の広島カープ主催の新潟での公式戦(対阪神戦)がいずれもナイターで開催されている。また9月8日・9日にはこれまで1軍公式戦開催を保留していたヤクルトも対巨人戦2試合を開催した。 2013年シーズンのNPB公式戦は5月11日・12日にDeNA対巨人2連戦、9月10日には巨人対DeNA戦1試合の計3試合が開催されたが、ホームとビジターが入れ替わったのみの実質1カードだけの開催となった。さらに2014年の公式戦は8月5日の同カード1試合のみ、2015年は5月9日・10日の同カード2連戦のみであった。なお、DeNAは2016年、交流戦・対日本ハム1試合を開催した。 近年のNPB公式戦は開催数自体も年間1カード、1~2試合にとどまっており、開場以来、主催公式戦を継続して開催しているのはDeNA1球団のみである。またDeNAが2010年と、2012年から2015年までの計5シーズンに開催したのはいずれも対巨人戦であり、巨人主催も含めて2013年以降の3シーズンに開催された公式戦は、全てこの2球団による対戦である。なお、2012年シーズン以降、パ・リーグ公式戦は開催されていない(2016年に開催されているDeNA対日本ハム戦はDeNA主催のため、セ・リーグ公式戦として扱われる)。
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