本拠地化
本拠地化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/03 22:05 UTC 版)
同年12月の実行委員会でロッテの保護地域を暫定的に宮城県へ移転することが承認され、宮城球場は翌1974年から正式な本拠地となったが、球団事務所や合宿所などの諸施設は東京都に置いたままで、試合の開催方法も前年同様だった。ロッテは同年、プレーオフを制してリーグ優勝を果たしたものの、中日ドラゴンズとの日本シリーズにおけるロッテの主管試合は、収容人員や施設上の問題などから全て後楽園球場で行われることとなった。これに関して仙台では「施設が不備だから仕方がない」と理解を示す論調が大勢を占めていたものの、いざロッテが中日を下して日本一に輝くと、優勝パレードは東京で行われただけで、仙台では何の行事も開催されなかった。これに関して市民からは「地元のチームとして応援してきたのに、裏切られた」などと言った痛烈な批判が寄せられ、さらにこの一件を境に仙台でのロッテ応援熱は冷め、翌年の観客動員は大幅な減少に転じた。 ロッテはその後1977年まで宮城球場を本拠地とし、年間30試合前後(ピーク時の1977年は38試合)の主催公式戦を開催したが、この間も首都圏の他球団本拠地も併せて使用しており、開催方式は5年間ほぼ変わらないまま。特に1976年以降、宮城球場でのロッテの主催公式戦は首都圏での雨天中止分の振替開催が主体となっていたのが実情だった(この間のロッテについてはジプシー・ロッテを参照)。
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