本拠地を山口へ移す
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/25 15:46 UTC 版)
弘世は正平15年/延文5年(1360年)に本拠を大内館から山口(現在の山口市大殿地区)へ移転。京都に倣った都市計画に基づく市街整備を行い、後の大内文化に繋がる基礎を築いた。また、京から迎えた姫君を慰めようと、一の坂川を京都の鴨川に見立てて、宇治のゲンジボタルを取り寄せ、放したと伝えられている。しかし、近年の考古学的調査によれば、山口の都市化は少なくとも弘世期までは遡ることはなく。いまだに大内(現在の山口市大内御堀地区)が本拠地だったと考えられる。
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