本拠地移転の動き
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 14:10 UTC 版)
「1964年のメジャーリーグベースボール」の記事における「本拠地移転の動き」の解説
ドジャースとジャイアンツの西海岸への移転とリーグ10球団へ拡張しても大リーグ球団を誘致する動きは収まらなかった。特に本拠地移転に先鞭をつけたブレーブスは最初にミルウォーキーに移転してしかもリーグ連覇して成功に見えたが、成績の下降とともに観客動員数が減り、再び本拠地を移すことを模索していた。これにカンザスシティに移ったアスレチックスも加わり、この年に本拠地移転の用意があることを表明して、さっそくオークランドとアトランタ、サンディエゴ、インディアナポリス、ダラス=フォートワース、トロント、シアトルなどが動き始めた。そしてこの1964年末に翌1965年のシーズン終了後にブレーブスはミルウォーキーからアトランタへ、アスレチックスはカンザスシティからオークランドへ、エンゼルスはそれまでドジャースタジアムに仮住まいであったのが新球場アナハイムスタジアムの完成に伴って本拠地をロサンゼルスからアナハイムへ移すことを決めた。これらは翌1965年に入ってから公表された。この突然の発表にミルウォーキーとカンザスシティの市民は猛反発して、特にミルウォーキーでは裁判にまで持ち込まれる事態となり、10球団拡張(エクスパンション)の時からあった12球団への再度の球団拡張が具体化し始めた。
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