第三リーグ創設の提案
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 23:27 UTC 版)
「1953年のメジャーリーグベースボール」の記事における「第三リーグ創設の提案」の解説
前年に2リーグ16チームのメジャーリーグが全国組織でありながら東部に本拠地が偏っている現状で西部や南部に本拠地を置く球団の必要性に言及したアメリカ議会のセラ報告書が提出されたが、これに対してフォード・フリックコミッショナーは議会の報告書に対応して各フランチャイズを全国に拡散させるために第三のリーグを創設することを提案した。このコミッショナーの提案はオーナーの大部分によって無視されたが、ブレーブスのオーナーのペリーニはこれに賛同して、東部・中部・西部の3リーグ制を取ることを主張した。しかしこれらの提案は結局受け入れられることは無かった。それでもブレーブスの移転から始まった本拠地移転の動きが加速し、マイナー球団を持つ各都市も球団誘致に動き始めて、それらが第三リーグの創設を求める動きとなり、そしてその対抗策としてリーグを10球団制に増やす動きが出てきた。 この時期からドジャースのオマリーは西部への移転を考え始めていた。ドジャースは戦後にナショナルリーグの強豪チームになり、ジャイアンツと毎年優勝争いを繰り広げ、ワールドシリーズではヤンキースと鎬を削るチームでありながら、観客動員数が伸び悩み、1947年には180万7,526人を記録したが、1950年以降は130万人を超えることなく、本拠地エベッツ・フィールドは老朽化して市に新球場の建設を要望していた。しかし球場については思うようには進んでいかなかった。
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