セラ報告書
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 23:26 UTC 版)
「1952年のメジャーリーグベースボール」の記事における「セラ報告書」の解説
フォード・フリックが新しいコミッショナーとして就任したのとほぼ時を同じくして、連邦議会下院の「反トラスト小委員会」(委員長 イマニュアル・セラ)が野球機構に対して「独占禁止法」違反の疑いがあるとして調査に入った。そして翌1952年に1,643ページからなる調査報告書をまとめて調査結果を発表した。一般には委員長の名前から「セラ報告書」と呼ばれている。 委員会では主として選手を拘束する保留条項の合法性を検討し、あわせて法律による野球機構の規制が必要かどうかを討議したのであった。公聴会には野球機構の役員、選手、新聞記者が招かれ、タイ・カッブは保留条項を擁護する意見を述べ、チャンドラー前コミッショナーは数名のオーナーを激しく非難した。調査官によると1950年度のメジャーリーグは、全体で総収入が約3,203万4,000ドルで総支出が約2,550万4,000ドル、差引き653万ドルの収益があったと指摘した。さらに選手の年俸は5,000ドルから9万ドルの間で、各球団ごとの平均年俸は最高がヤンキースの1万8,788ドル、最低はブラウンズの8,031ドルであることも報告された。そして結論として法廷で何らかの判決が出るまでは保留条項を違法と決めつけることは出来ず、必要悪と見なすべきで、野球は反トラスト法の適用範囲からはみ出すユニークな企業であると報告書は記している。そして2リーグ16チームのメジャーリーグが全国組織でありながら東部に本拠地が偏っている現状に、西部や南部に本拠地を置く球団の必要性に言及した。
※この「セラ報告書」の解説は、「1952年のメジャーリーグベースボール」の解説の一部です。
「セラ報告書」を含む「1952年のメジャーリーグベースボール」の記事については、「1952年のメジャーリーグベースボール」の概要を参照ください。
- セラ報告書のページへのリンク