プロ野球審判員時代
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1993年よりセ・リーグ審判員となる。同じセ・リーグ審判の橘高淳は、現役時代阪神の同期生。 若い頃から評価は高く、出場試合数も重ねていた、安定したジャッジと時に優しく対応する当時の審判員としてはあまり居ない存在であったが、元々そこまで体は強くない審判員の一人でもあり、2003年9月2日の広島対阪神戦で球審を務めていたが試合中に突然倒れて途中交代した。この時は控え審判員の谷博が2塁へ、2塁塁審だった上本孝一が球審にそれぞれ廻った。また、2005年5月にも原因不明の病気で長期離脱し、復帰が同年シーズン最終盤の10月にまでずれ込んだ。 そんな最中に、球審を担当していた2006年4月21日の巨人対阪神戦で、阪神先発の井川慶が巨人小坂誠に5球目を投げようとしたとき、捕手の矢野輝弘に向かって覆いかぶさるように倒れ途中交代した。試合は、控え審判員の有隅昭二が3塁へ、3塁塁審の井野修が球審にそれぞれ廻り、続行された。渡真利は担架で運ばれ退場し、そのまま緊急入院したが翌日には退院した。 原因は不整脈といわれているが、精密検査では異常は見られなかった。結局、倒れた当該試合が審判員としての最後の担当試合となった。セントラル野球連盟は渡真利の体調が近年安定しないこと等を考慮し、2007年1月1日付で、渡真利を審判部から連盟関西事務所職員とする人事異動を発令した。渡真利は不整脈治療の手術も受けて審判復帰を目指したものの、最終的に断念した。
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