フットボーラー・オブ・ザ・イヤー
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「澤登正朗」の記事における「フットボーラー・オブ・ザ・イヤー」の解説
1999年シーズンは、日本代表への復帰も果たし、クラブでは清水エスパルスで4季目のキャプテンを務め、中盤の要としてチームを牽引。通算5シーズン目の2桁得点となる公式戦13得点をマークした。99年度の新加入選手には、久保山由清、安永聡太郎のほか、大学・高校の後輩の田坂和昭や、年代別日本代表で一緒に戦った服部浩紀等がいた。 2月27日、横浜マリノスと合併して消滅した横浜フリューゲルスの代替で、スーパーカップに初出場。前年度リーグチャンピオンの鹿島と対戦した。前半24分に鹿島に先制点を許すも、1分後にアレックスのクロスを澤登がヘディングシュートを決め同点。後半は清水が主導権を握ったが、前年まで得点源の一人であったオリバの退団の影響もあってか、後半23分に鹿島の名良橋晃にボレーシュートを決められると、終盤の反撃実らず1-2で惜敗した。 3月6日、ヴェルディ川崎とのリーグ開幕戦では、森岡隆三からのロングフィードを右サイドに抜け出した長谷川健太が中央に折り返し、ペナルティーエリア内でボールを受けた澤登がスルーパスでアレックスのシーズン初ゴールのアシストするなど勝利に貢献した。第3節の京都戦では、リーグ戦初得点をマーク。後半開始早々に退場者を出し10人となったが、後半17分に決勝点となるヘディングシュートを決め1-0で勝利した。1stステージは、14試合出場6得点をマーク。終盤4連勝を記録するも追い上げ及ばず10勝1分4敗の首位と勝ち点4差の3位に終わった。 8月23日、日本代表で共に戦ったラモス瑠偉の引退試合に出場。同月7日に開幕した2ndステージは、スターティングメンバーに、GK真田雅則、DFは斉藤俊秀、森岡隆三、戸田和幸の3バック。ウイングバックの右に市川大祐、左にアレックス。ボランチは伊東輝悦とサントス。FWは久保山由清、安永聡太郎の2トップ。澤登はトップ下で攻撃のタクトを振るった。第2節の磐田戦で初勝利を飾ると、第5節の名古屋戦では、ヘディングシュートで先制点を挙げるも相手DFと交錯し流血。頭に包帯を巻いてプレーを続けたが出血が止まらず前半で負傷交代となった。翌第6節のガンバ大阪戦で先発復帰しフル出場を果たした。第10節のヴェルディ戦では、1999年シーズン3回目となる直接フリーキックの得点をニアサイドに突き刺し2-0で勝利。2ndステージ2度目の4連勝に貢献し、リーグ戦残り5試合を残して2位横浜F・マリノスと勝ち点3差の首位で1ヶ月のリーグ中断期間に入った。中断期間中には、セレッソ大阪にレンタル移籍していた堀池巧が清水に復帰。クラブ初の国際大会となった、第10回アジアカップウイナーズカップ99-00の2回戦(初戦)がホームアンドアウエーで開催され、中国の上海申花に合計2-0で勝利した。リーグ再開後の第11節京都戦では、リーグ戦2試合連続となるゴールを決めて5連勝に貢献。この試合で守備の要である森岡隆三が負傷して今季絶望となり、戸田和幸がCBの中央に入り、西澤淳二が左サイドに入ることになった。その後は苦しい台所事情の中でも僅差の勝利を重ね8連勝を記録。11月23日、横浜国際総合競技場で行われた横浜F・マリノス戦でフル出場し、勝利に貢献。初のステージ優勝を果たした。 12月4日、年間優勝を賭けたホーム・アンド・アウェー(全2試合)のチャンピオンシップの第1戦に出場。1stステージを制したジュビロ磐田との静岡ダービーでの頂上決戦となった。試合は前半30分にシーズン途中に清水から磐田に移籍した安藤正裕のクロスボールを中山雅史に頭で決められ失点。4分後の前半34分に澤登がドリブルでサイドから中央に切れ込んできた久保山由清とスイッチして放った技ありのミドルシュートを決め同点とする。スコアは1-1のまま90分で決着がつかずVゴール方式の延長戦となり、延長前半8分に清水がペナルティーエリア内でハンドを取られPKを献上。リーグ戦では堅守を誇った清水であったが、前夜の発熱で欠場になった戸田和幸と、リーグ戦で右足を骨折した森岡隆三という主力2人を欠き、このPKを沈められ2失点目を喫し第1戦を落とした。 12月11日、優勝するためにはもう負けが許されない状況となったチャンピオンシップ第2戦。0-0で迎えた前半34分に痛恨の失点を喫すると、すぐに追いつきたい清水は1分後の前半35分、アレックス(三都主アレサンドロ)が左サイドをドリブルで駆け上がり、ペナルティーエリアの手前で相手のファウルを受ける。このファウルは清水のFKとなったが、冷静さを欠いたアレックスが相手DFの腹部を蹴る報復行為で一発退場。清水は前半早くも1点ビハインド、1人少ないという危機的状況に陥ってしまう。しかし、その直後の前半37分、澤登が同シーズン4回目となる直接フリーキックの得点をマークする。左45度から放ったボールは弧を描きファーサイドのゴール右隅に吸い込まれ、後に自身のベストゴールと語った25メートル超の直接FK弾を決め同点とした。得点後には1失点目の起点になってしまったチームメイトに声をかけて鼓舞する姿もあった。その間わずか5分程の出来事であったが、磐田に一気に傾きかけていた試合の流れを、右足の一振りで引き戻すと、その後10人の清水が、延長戦をファビーニョのVゴールで制して勝利した。トータル1勝1敗とし、チャンピオンシップ史上初のPK戦となり、澤登は1人目のキッカーを務め成功。両手を組み勝敗の行方を見守ったが、サントスとファビーニョが失敗し、PKスコア2-4で敗れて悲願のリーグ優勝はならなかった。チャンピオンシップを振り返って、2得点をマークしたキャプテンの澤登は、「(PKを)外した選手の責任ではなく、我々の力が足りなかった。それに尽きます。勝ち切るということの難しさが改めて分かりました。アレックスの退場もありましたが、我々は10人でもこれだけ出来るのだということが証明できた。チャンピオンにはなれなかったが、非常に良い試合だった」と話した。同じく2得点をマークした磐田のキャプテン中山雅史は、「エスパルスが一人少ない中でも素晴らしいプレーと闘志を魅せていたので、今日は本当に苦しかった。(要略)僕らがチャンピオンになりましたけど、年間通しての戦いはエスパルスが素晴らしいサッカーを展開していた。勝ち点を見てもエスパルスが一番かなと思います。僕らもまたそれに見合うだけのチームに作り直して来年に臨んていきたい」と試合後のインタビューで健闘を讃えた。清水は年間順位は2位となったものの、年間勝ち点は磐田を大きく突き放す16ポイント差の1位であった。澤登はその功績を称えられJリーグのベストイレブンに初選出されると、翌年の1月には、1999年度の日本年間最優秀選手賞(フットボーラー・オブ・ザ・イヤー)を受賞。Jリーグチャンピオンシップ第1戦で決めた得点がアジアサッカー連盟(AFC)月間最優秀ゴール賞に選ばれた。
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