フットボーラー・オブ・ザ・イヤーとは? わかりやすく解説

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フットボーラー・オブ・ザ・イヤー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 05:39 UTC 版)

澤登正朗」の記事における「フットボーラー・オブ・ザ・イヤー」の解説

1999年シーズンは、日本代表への復帰果たしクラブでは清水エスパルスで4季目のキャプテン務め中盤の要としてチーム牽引通算5シーズン目の2得点となる公式戦13得点マークした99年度の新加入選手には、久保山由清安永聡太郎のほか、大学高校後輩田坂和昭や、年代別日本代表一緒に戦った服部浩紀等がいた。 2月27日横浜マリノス合併して消滅した横浜フリューゲルス代替で、スーパーカップ初出場前年度リーグチャンピオンの鹿島対戦した前半24分に鹿島先制点を許すも、1分後にアレックスクロス澤登ヘディングシュート決め同点後半清水主導権握ったが、前年まで得点源の一人であったオリバ退団影響もあってか、後半23分に鹿島名良橋晃ボレーシュート決められると、終盤反撃実らず1-2惜敗した。 3月6日ヴェルディ川崎とのリーグ開幕戦では、森岡隆三からのロングフィードを右サイド抜け出した長谷川健太中央折り返しペナルティーエリア内でボール受けた澤登スルーパスアレックスシーズンゴールアシストするなど勝利貢献した第3節京都戦では、リーグ戦得点マーク後半開始早々に退場者を出し10となったが、後半17分に決勝点となるヘディングシュート決め1-0勝利した1stステージは、14試合出場6得点マーク終盤4連勝記録する追い上げ及ばず10勝1分4敗の首位勝ち点4差の3位終わった8月23日日本代表で共に戦ったラモス瑠偉引退試合出場同月7日開幕した2ndステージは、スターティングメンバーに、GK真田雅則DF斉藤俊秀森岡隆三戸田和幸3バックウイングバックの右に市川大祐、左にアレックスボランチ伊東輝悦サントスFW久保山由清安永聡太郎2トップ澤登トップ下攻撃タクト振るった第2節磐田戦で初勝利を飾ると、第5節名古屋戦では、ヘディングシュート先制点挙げる相手DF交錯し流血。頭に包帯巻いてプレー続けた出血止まらず前半負傷交代となった。翌第6節ガンバ大阪戦で先発復帰しフル出場果たした。第10節のヴェルディ戦では、1999年シーズン3回目となる直接フリーキック得点をニアサイドに突き刺し2-0勝利2ndステージ2度目の4連勝貢献しリーグ戦残り5試合残して2位横浜F・マリノス勝ち点3差の首位1ヶ月リーグ中断期間に入った中断間中には、セレッソ大阪レンタル移籍していた堀池巧清水復帰クラブ初の国際大会となった第10回アジアカップウイナーズカップ99-002回戦(初戦)がホームアンドアウエー開催され中国の上海申花に合計2-0勝利したリーグ再開後の第11京都戦では、リーグ戦2試合連続となるゴール決めて5連勝貢献。この試合守備の要である森岡隆三負傷して今季絶望となり、戸田和幸CB中央入り西澤淳二が左サイドに入ることになったその後苦し台所事情中でも僅差勝利を重ね8連勝記録11月23日横浜国際総合競技場行われた横浜F・マリノス戦でフル出場し、勝利貢献。初のステージ優勝果たした12月4日年間優勝賭けたホーム・アンド・アウェー(全2試合)のチャンピオンシップの第1戦に出場1stステージ制したジュビロ磐田との静岡ダービーでの頂上決戦となった試合前半30分にシーズン途中清水から磐田移籍した安藤正裕クロスボール中山雅史に頭で決められ失点。4分後の前半34分に澤登ドリブルサイドから中央切れ込んできた久保山由清スイッチして放った技ありミドルシュート決め同点とする。スコア1-1のまま90分で決着がつかずVゴール方式延長戦となり、延長前半8分に清水ペナルティーエリア内でハンド取られPK献上リーグ戦では堅守誇った清水であったが、前夜発熱欠場になった戸田和幸と、リーグ戦右足骨折した森岡隆三という主力2人欠き、このPK沈められ2失点目を喫し第1戦を落とした12月11日優勝するためにはもう負け許されない状況となったチャンピオンシップ第2戦。0-0迎えた前半34分に痛恨失点喫すると、すぐに追いつきたい清水は1分後の前半35分、アレックス(三都主アレサンドロ)が左サイドドリブル駆け上がりペナルティーエリアの手前で相手ファウルを受ける。このファウル清水FKとなったが、冷静さ欠いたアレックス相手DF腹部を蹴る報復行為一発退場清水前半早くも1点ビハインド1人少ないという危機的状況に陥ってしまう。しかし、その直後前半37分、澤登が同シーズン4回目となる直接フリーキック得点マークする。左45度から放ったボールは弧を描きファーサイドゴール右隅に吸い込まれ、後に自身のベストゴールと語った25メートル超の直接FK弾を決め同点とした。得点後には1失点目の起点になってしまったチームメイトに声をかけて鼓舞する姿もあった。その間わずか5分程の出来事であったが、磐田一気傾きかけていた試合の流れを、右足一振り引き戻すと、その後10人の清水が、延長戦ファビーニョVゴール制して勝利したトータル1勝1敗とし、チャンピオンシップ史上初のPK戦となり、澤登1人目のキッカー務め成功両手組み勝敗行方見守ったが、サントスファビーニョ失敗しPKスコア2-4敗れて悲願リーグ優勝はならなかった。チャンピオンシップ振り返って、2得点マークしたキャプテン澤登は、「(PKを)外した選手責任ではなく、我々の力が足りなかった。それに尽きます。勝ち切るということ難しさ改め分かりましたアレックス退場ありましたが、我々は10人でもこれだけ出来るのだということ証明できた。チャンピオンにはなれなかったが、非常に良い試合だった」と話した同じく2得点マークした磐田キャプテン中山雅史は、「エスパルス一人少な中でも素晴らしプレー闘志を魅せていたので、今日本当に苦しかった。(要略)僕らチャンピオンなりましたけど、年間通して戦いエスパルス素晴らしサッカー展開していた。勝ち点見てエスパルスが一番かなと思います僕らもまたそれに見合うだけのチーム作り直して来年に臨んていきたい」と試合後のインタビュー健闘を讃えた。清水年間順位2位となったものの、年間勝ち点磐田大きく突き放す16ポイント差の1位であった澤登はその功績称えられJリーグベストイレブンに初選出されると、翌年1月には、1999年度日本年間最優秀選手賞(フットボーラー・オブ・ザ・イヤー)を受賞Jリーグチャンピオンシップ第1戦で決めた得点アジアサッカー連盟(AFC)月間最優秀ゴール賞に選ばれた。

※この「フットボーラー・オブ・ザ・イヤー」の解説は、「澤登正朗」の解説の一部です。
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