フットボーラー時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 05:10 UTC 版)
「レックス・ルガー」の記事における「フットボーラー時代」の解説
ニューヨーク州オーチャードパークの高校から奨学金を得て、ペンシルベニア州立大学に進学したが、マイアミ大学に転校した。ペンシルベニア州立大学のコーチたちは、彼をラインバッカーかディフェンシブエンドでプレーさせようとしていた。1979年よりマイアミ大学に転校し、後にプロフットボール殿堂入りを果たすジム・ケリーらとチームメートとなった。同年ジョージア工科大学との試合を前に問題を起こし、5試合の出場にとどまり、チームを離れた。その後、CFLのモントリオール・アルエッツでプレー、エドモントン・エスキモーズとの第67回グレイ・カップにも出場した。アルエッツでは1981年までプレーした。 1982年、NFLのグリーンベイ・パッカーズと契約し移籍したが、トレーニングキャンプ中の負傷により、故障者リスト入りして、シーズンを棒に振った。1983年、パッカーズのトレーニングキャンプに参加したが、レギュラーシーズン開幕前に解雇された。パッカーズでは彼は背番号66をつけていたが、この背番号は、レイ・ニチキ(英語版)が引退した後、誰もつけていない背番号であった。 1984年はUSFLのタンパベイ・バンディッツ(英語版)、メンフィス・ショーボーツ(英語版)、ジャクソンビル・ブルズ(英語版)に所属、タンパベイでは、後にWCWでライバルとなるロン・シモンズとチームメートとなった。
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