フットボールに対する公的な非難と禁止の試み
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/28 09:46 UTC 版)
「フットボール」の記事における「フットボールに対する公的な非難と禁止の試み」の解説
詳細は「en:Attempts to ban football games」を参照 フットボール競技、とりわけ最も乱暴で破壊的なものを禁止する数多くの試みが、特に中世および近世のイングランドおよびその他のヨーロッパで行われてきた。1324年から1667年の間、イングランドにおいてのみフットボールは30以上の国家法と地方法によって禁止されていた。このような法律を繰り返し布告する必要があったことは、人気のある競技を禁止することがいかに困難であったかを証明している。イングランド王エドワード2世は、ロンドンにおけるフットボールの手に負えなさに悩まされ、1314年4月13日にフットボールを禁止する声明を発表した: 「この都市においてやかましい音の原因となっている大きなボールを追い掛け回す行為は神が禁じる邪悪を生じることから、我々は、国王の代理として、今後そのような競技をこの都市で禁止することを命ずる。さもなくば禁固刑」。 エドワード3世が1349年6月12日にフットボールを禁止した理由は明確であり、フットボールやその他の競技が、戦争に必須である弓術の鍛錬から大衆の気を逸らしたためである。1424年、スコットランド議会(英語版)はフットボール法(英語版)を可決した。この法律でフットボールは違法となり、違反したものは4ペンス(英語版)の罰金を課せられた。 1608年までに、マンチェスターの地方自治体はフットボールに関する苦情を述べている: "With the ffotebale...[there] hath beene greate disorder in our towne of Manchester we are told, and glasse windowes broken yearlye and spoyled by a companie of lewd and disordered persons ..."。同年、ウィリアム・シェイクスピアは、とがめるような文脈で「フットボール」という言葉を使用している。シェイクスピアの戯曲『リア王』には以下の一節がある: "Nor tripped neither, you base football player(その上,足を払われ放しでは黙っておれまい。この蹴鞠野郎)"(第1幕第4場)。また、シェイクスピアは『間違いの喜劇』でもフットボールに言及している(第2幕第1場) Am I so round with you as you with me,That like a football you do spurn me thus?You spurn me hence, and he will spurn me hither:If I last in this service, you must case me in leather. 「Spurn」は文字通り「蹴飛ばすこと」を意味することから、このフットボールが選手間でボールを蹴る行為を含んでいることが示唆される。 17世紀の清教徒革命の時代になると日曜日にフットボールを行うことは厳禁となった。 しかしながら、イングランド王ジェームズ1世の著作『Book of Sports』(1618年)では、毎週日曜日の礼拝の後の午後にフットボールを行うようキリスト教徒に説いている。この本の目的は、安息日(英語版)を守るピューリタンの厳格さを弱めようとすることであるように思われる。
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